パーラン・マーケットでギリシャ総菜を買った。
ムサカ、フェタチーズとビーツのサラダ、
ピーマンのピラフ詰め。
ものすごく混んでいて人気のありそうな総菜屋で、
店頭では店主らしき老女がワゴンに総菜をのせて
「ちょっと食べてご覧」と試食をすすめつつ、
なかなか睨みの効いた眼力と
ぶっきらぼうなトークで売りさばいている。
「買ぁーいーなーさぁーいー」と言われると買っちゃうみたいな、
ちょっと呪いのような迫力がある。
冷蔵ケースにはパンチェッタとか生ハムもあったので、
最初イタリア系かギリシャ系かわからなくて、
そのおばあちゃんに「どっち?」とたずねたら、
けっこうでかい声で「ギリシャだよ!」と
(児島だよ! な感じで)言われた。
その風貌と職業からするに、
きっと移民第一世代だね、おばあちゃんは。
そしてビーツとフェタチーズの冷菜をちょっと試食させて貰ったら、
ありゃ、おいしいじゃないの。
こういうものはじぶんでつくらない(つくれない)ので
ちょっと買っていこうかと1パックお願いすると、
タッパにどかどか詰めてくれた。
「もっと入るね、まだ入るよ」。
そのうち「これじゃ小さいね。あんたたち何人? 3人?」
と、タッパを大きいのに換えて、また詰め出した。
もう、隙間なく、ぎゅうぎゅうに詰めてくれる。
怖い顔して親切なおばあちゃんだねえ!
‥‥と思ったら「さあ、これでいっぱいになった」と、
娘らしき後ろのおばちゃんに渡す。
するとそこには、秤が。
げっ、グラムいくら?
1パックいくらだと思ってたよ!
‥‥いいけどね、おいしいから。
と、食材の買い物は
日々たのしくしているんだけれど、
いわゆる「むだな買い物」をしていない。
おみやげとか、趣味のものとか。
この物欲大魔神の武井がである。
唯一買ったのが業務用の店で買ったフォークだが、
これは借りている家のキッチンにあるフォークのツメの部分が短くて、
スパゲッティが食べづらいゆえ仕方なく。
1本300円くらいでした。やけに安いな。
糸井さんの1988年の西武百貨店のコピーに
「ほしいものが、ほしいわ。」
というのがあったんだけれど
(わあ、もう30年近く前のことなんだ!)、
これは「ほんとうにほしいものがあると、
それだけでうれしい」という気持ちがあったように思う。
買えなくてもそれが豊かさというものだった。
だからほしいものがあることが健康だと思っていたし、
そのためにがんばろー、ということでもあった。
当時のじぶんもそうだったし、
というかいまもずっとそんなところがある。
ましてや旅に出ると文化が変わるものだから、
さらにほしいものだらけになって困る、
‥‥と思い込んでいたんだけれど、
オーストラリアにいると
「別に、ほしいもの、ないし」
という気分になるのはなぜなんだろう。
「いまあるものでじゅうぶんじゃない?」
という気分が、空気に含まれているかのようだ。
けっして後ろ向きな意味じゃなく、
「これでいいのだ」感というか。
オーストラリアの人々は
あまりブランドに興味がないという。
それでも街の中心部にエルメスとグッチはあったし、
ランボルギーニやフェラーリに乗っている人もいるから、
もちろんそうじゃない人もいるだろうけど、
一般的には、ブランド品を身に付けている人というのを、まず見ない。
どうやらあまり物欲というか、
ブランド的なるものに金をつかって、
それで自己主張しようなんていうことは、
あんまり考えないどころか、
ちょっと「なにそれ。くすくす」
と思っているんじゃないだろうか。
というくらい、徹底しているように思う。
アンチ・エスタブリッシュメントなんだろうか。
ちなみに景気はよく、平均年収も高く、
きのう書いたようにミネラルウォーターとかコーラは
ものすごく高い(4ドルとか)し、
不動産も高騰しているらしいけれど、
ふつうに暮らしていればそんなにお金はかからない。
これは食材を買って家計簿をつけて数日で感じたことだ。
東京にいて「ふつう」と思っている物価よりも
ずいぶん安価にいい食材が手に入るし、
街で飲むコーヒーなんかも、
東京って高いなあと思う。
まあコンビニコーヒーがあるけれど。
ファッションだって、店がないわけじゃなく、
個人経営っぽい洋服屋さんとかはわりといっぱいある。
あるんだけど、そんなに尖ったファッションではなく、
いわゆるリラックス系がほとんど。
ここで買いました、というような、
ブランドが特定できないような感じのものばかりだし、
あんまりお客さんが入っているようには見えないんだけれど、
それなりに成り立っているみたいだ。
ファインダイニング、は、あることはある。
そこは大都市である。
といってもミシュランはなく、
地元の「Good Food Guide」とかがある。
Atticaという店にちょっと行ってみたいかな、と、
来る前に予約を試みたのだが、けっこう早い段階で満席でした。
もともと自炊が目的だからいいんだけれど。
さてクリスマスイブの24日、
クリスマス当日の25日は街がひっそり。
自炊用の食材と酒の買い出しをすませ、
そんなになにもせずに過ごしました。
あ、動物園には行った!
入場料は高いけど、のんびりしていていい動物園だったな。
わりとどの動物も
「あ、見るなら見てくださーい」なムードで、
なかには腹を出して寝ているようなのもいたけど、
ライオンがものすごくがんばっていた。
樹の上に立ち、鈴なりの客をもてなしてました。
夜はブラックアンガスをふたたび。
またもやちょっと火を入れすぎましたが、
おいしかったです。
26日は早起きしてヴィクトリア国立美術館(NGV)へ。
おもしろかった!
ここは入場無料。しかもトリエンナーレをやっていて、
いろーんな現代美術、デザインが観られた。
(アートだけじゃなく、デザインも参加している。)
常設展を観ずに、5時間くらいいたかな。
入るとXU ZHENの巨大彫刻。
涅槃仏をグレコ・ローマン、ルネッサンス、新古典主義の彫像が
取り囲むというもので、台座からしてなかなかの再現性。
なんと3Dプリンタでつくられたのだというところが、
おお、現代なりよ。
好きなRON MUECKの新作は、髑髏。おお肉体から骨へ。
オーストラリア出身でちょっと贔屓されてるのかな、
中世美術のなかに展示されるというおもしろい趣向。
草間彌生は、来場者が花のシールを
部屋に貼っていくという趣向。
つまり(おそらく)最初は部屋のみがあって、
草間色はなかったんじゃないかと思う。
それがちゃんと草間作品になっていくのだから凄い。
織物で表現するアーティストも複数いて、どれも面白く、
遊べる空間ごとアートという趣向のものもあり。
匂いを嗅ぐ彫刻もあった(くさい)。
2017春夏のGUO PEIのコレクションも!
踊ることが作品という人もあれば。
テクノロジー系のアート。
ジャワだとかエチオピアとか南アフリカなど、
そんな場所出身のアーティストの作品もけっこう多かった。
しかしながら現代美術は脳にくる。
キャパいっぱいになり、生あくびが出てきたので、
また来ればいいねと退散しました。
家に戻ってポテチとビールでおやつ。
夜は骨付きリブロースの塊を低温でじっくり焼いてディナーに。
なかなかおいしくできました。
ムサカ、フェタチーズとビーツのサラダ、
ピーマンのピラフ詰め。
ものすごく混んでいて人気のありそうな総菜屋で、
店頭では店主らしき老女がワゴンに総菜をのせて
「ちょっと食べてご覧」と試食をすすめつつ、
なかなか睨みの効いた眼力と
ぶっきらぼうなトークで売りさばいている。
「買ぁーいーなーさぁーいー」と言われると買っちゃうみたいな、
ちょっと呪いのような迫力がある。
冷蔵ケースにはパンチェッタとか生ハムもあったので、
最初イタリア系かギリシャ系かわからなくて、
そのおばあちゃんに「どっち?」とたずねたら、
けっこうでかい声で「ギリシャだよ!」と
(児島だよ! な感じで)言われた。
その風貌と職業からするに、
きっと移民第一世代だね、おばあちゃんは。
そしてビーツとフェタチーズの冷菜をちょっと試食させて貰ったら、
ありゃ、おいしいじゃないの。
こういうものはじぶんでつくらない(つくれない)ので
ちょっと買っていこうかと1パックお願いすると、
タッパにどかどか詰めてくれた。
「もっと入るね、まだ入るよ」。
そのうち「これじゃ小さいね。あんたたち何人? 3人?」
と、タッパを大きいのに換えて、また詰め出した。
もう、隙間なく、ぎゅうぎゅうに詰めてくれる。
怖い顔して親切なおばあちゃんだねえ!
‥‥と思ったら「さあ、これでいっぱいになった」と、
娘らしき後ろのおばちゃんに渡す。
するとそこには、秤が。
げっ、グラムいくら?
1パックいくらだと思ってたよ!
‥‥いいけどね、おいしいから。
と、食材の買い物は
日々たのしくしているんだけれど、
いわゆる「むだな買い物」をしていない。
おみやげとか、趣味のものとか。
この物欲大魔神の武井がである。
唯一買ったのが業務用の店で買ったフォークだが、
これは借りている家のキッチンにあるフォークのツメの部分が短くて、
スパゲッティが食べづらいゆえ仕方なく。
1本300円くらいでした。やけに安いな。
糸井さんの1988年の西武百貨店のコピーに
「ほしいものが、ほしいわ。」
というのがあったんだけれど
(わあ、もう30年近く前のことなんだ!)、
これは「ほんとうにほしいものがあると、
それだけでうれしい」という気持ちがあったように思う。
買えなくてもそれが豊かさというものだった。
だからほしいものがあることが健康だと思っていたし、
そのためにがんばろー、ということでもあった。
当時のじぶんもそうだったし、
というかいまもずっとそんなところがある。
ましてや旅に出ると文化が変わるものだから、
さらにほしいものだらけになって困る、
‥‥と思い込んでいたんだけれど、
オーストラリアにいると
「別に、ほしいもの、ないし」
という気分になるのはなぜなんだろう。
「いまあるものでじゅうぶんじゃない?」
という気分が、空気に含まれているかのようだ。
けっして後ろ向きな意味じゃなく、
「これでいいのだ」感というか。
オーストラリアの人々は
あまりブランドに興味がないという。
それでも街の中心部にエルメスとグッチはあったし、
ランボルギーニやフェラーリに乗っている人もいるから、
もちろんそうじゃない人もいるだろうけど、
一般的には、ブランド品を身に付けている人というのを、まず見ない。
どうやらあまり物欲というか、
ブランド的なるものに金をつかって、
それで自己主張しようなんていうことは、
あんまり考えないどころか、
ちょっと「なにそれ。くすくす」
と思っているんじゃないだろうか。
というくらい、徹底しているように思う。
アンチ・エスタブリッシュメントなんだろうか。
ちなみに景気はよく、平均年収も高く、
きのう書いたようにミネラルウォーターとかコーラは
ものすごく高い(4ドルとか)し、
不動産も高騰しているらしいけれど、
ふつうに暮らしていればそんなにお金はかからない。
これは食材を買って家計簿をつけて数日で感じたことだ。
東京にいて「ふつう」と思っている物価よりも
ずいぶん安価にいい食材が手に入るし、
街で飲むコーヒーなんかも、
東京って高いなあと思う。
まあコンビニコーヒーがあるけれど。
ファッションだって、店がないわけじゃなく、
個人経営っぽい洋服屋さんとかはわりといっぱいある。
あるんだけど、そんなに尖ったファッションではなく、
いわゆるリラックス系がほとんど。
ここで買いました、というような、
ブランドが特定できないような感じのものばかりだし、
あんまりお客さんが入っているようには見えないんだけれど、
それなりに成り立っているみたいだ。
ファインダイニング、は、あることはある。
そこは大都市である。
といってもミシュランはなく、
地元の「Good Food Guide」とかがある。
Atticaという店にちょっと行ってみたいかな、と、
来る前に予約を試みたのだが、けっこう早い段階で満席でした。
もともと自炊が目的だからいいんだけれど。
さてクリスマスイブの24日、
クリスマス当日の25日は街がひっそり。
自炊用の食材と酒の買い出しをすませ、
そんなになにもせずに過ごしました。
あ、動物園には行った!
入場料は高いけど、のんびりしていていい動物園だったな。
わりとどの動物も
「あ、見るなら見てくださーい」なムードで、
なかには腹を出して寝ているようなのもいたけど、
ライオンがものすごくがんばっていた。
樹の上に立ち、鈴なりの客をもてなしてました。
夜はブラックアンガスをふたたび。
またもやちょっと火を入れすぎましたが、
おいしかったです。
26日は早起きしてヴィクトリア国立美術館(NGV)へ。
おもしろかった!
ここは入場無料。しかもトリエンナーレをやっていて、
いろーんな現代美術、デザインが観られた。
(アートだけじゃなく、デザインも参加している。)
常設展を観ずに、5時間くらいいたかな。
入るとXU ZHENの巨大彫刻。
涅槃仏をグレコ・ローマン、ルネッサンス、新古典主義の彫像が
取り囲むというもので、台座からしてなかなかの再現性。
なんと3Dプリンタでつくられたのだというところが、
おお、現代なりよ。
好きなRON MUECKの新作は、髑髏。おお肉体から骨へ。
オーストラリア出身でちょっと贔屓されてるのかな、
中世美術のなかに展示されるというおもしろい趣向。
草間彌生は、来場者が花のシールを
部屋に貼っていくという趣向。
つまり(おそらく)最初は部屋のみがあって、
草間色はなかったんじゃないかと思う。
それがちゃんと草間作品になっていくのだから凄い。
織物で表現するアーティストも複数いて、どれも面白く、
遊べる空間ごとアートという趣向のものもあり。
匂いを嗅ぐ彫刻もあった(くさい)。
2017春夏のGUO PEIのコレクションも!
踊ることが作品という人もあれば。
テクノロジー系のアート。
ジャワだとかエチオピアとか南アフリカなど、
そんな場所出身のアーティストの作品もけっこう多かった。
しかしながら現代美術は脳にくる。
キャパいっぱいになり、生あくびが出てきたので、
また来ればいいねと退散しました。
家に戻ってポテチとビールでおやつ。
夜は骨付きリブロースの塊を低温でじっくり焼いてディナーに。
なかなかおいしくできました。