「また海苔の営業でミラノとローマに行くんですよ」
「わっ、ついてって、いいですか!」
と、われながらほんとうにずうずうしいのだが、
築地(現在は豊洲)の海苔屋さんの営業ツアーにくっついて
ミラノ〜ローマを回ってきました。
林屋さんは、インポーターを通じて現地の和食店に
ずいぶんとたくさんの焼き海苔を卸しているので、
年に2度、挨拶回りや新規開拓をするのです。
最初にくっついて行ったのは
expoを開催していた2015年、
興味本位で(そして調理係として立候補し)
ついていったらおもしろいのなんの。
ぼくはぼくでいつものようにアパートを借りて自炊、
3人(全員、おじさん)で同じアパートをシェア、
メシはぼくがつくったり、食べに行ったり。
ローマに移動したあとはホテルに泊まって、
ここではたのしい外食。
現地で待っていてくださるみなさんも
レストランや食材のインポート、
PR関係のひとたちなので、食べることが好き。
いっしょにおいしいものを食べましょうと待ちかまえていてくれて、
すばらしい食体験ができた。
一気にイタリアが好きになり、すっかり味をしめて、
2回目はミラノのみ同行、
3回目の今回はほぼ全行程同行をしてきたというわけ。
3/8、JALで成田からヘルシンキへ。
ここで1泊した理由は、翌日午前中に開かれる
MUJIがデザインした無人バスのお披露目を見るため。
友人夫妻がかかわっているプロジェクトというご縁で、
まったく関係のないぼくを参加させてくれた。
ヘルシンキは──というかフィンランドは
本1冊分の取材をしているからなじみがあり、
だから1泊でいいかなと思っていたのだが、
いざ行ってみると足りない足りない。
それでも好きなレストランjuuriでひとりディナーをとり、
時間のあるかぎり町をうろうろしてきました。
無人バスはすばらしい試みで、
多少の困難や問題があっても、
提案をし、実験をし、失敗もし、
ということが世の中を変えてゆく、
それを市民や企業が行政と組んでやっていく、
それは戦後からずっと続いている、
フィンランドの人々の心根というもので、
しかも「デザインで」というところが、
かっこいいし、すばらしいんだよなあ。
バスを見た午後、ヘルシンキを出て、
フィンエアーでミラノへ。
マルペンサ空港は遠く、到着は夜で、
やや治安に不安があるときいていたので、
思い切ってタクシーで移動。
この日はストが予定されていたそうで、
じっさいは回避されたものの、
交通網がぐちゃぐちゃだったらしく、
道路もひどい混雑。
空港タクシーは定額なのだけれど
おじ(い)さんの運転手さん、
「ストだなんて知らなかった、
こんなに混むとは知らなかった、
だから10€足してもいいかい」
と、しれっと言う。ダメです。
ミラノではアパートを借りて5泊。
3層のメゾネット(中2階がある)で、
使いやすいかと言われたら使いにくいのだが、
こういうことはまさしく「住めば都」です。
すぐになじむ「なじみ力」を発揮し、
たのしい一人暮らしをしてきました。
林屋さんや、もと同僚で
いっしょに海苔の仕事をしてきた女子も合流、
歩ける範囲内にみんな宿をとったので、
ご近所付き合い的にたのしかったな。
ミラノにいたなかで1日は鉄道でレッジョエミリアへ、
もう1日はトリノ〜ピョッサスコへ行ったので、
今回はあんまりミラノを堪能していなかったんだけれど、
それでも市場へ買い出しに行ったし、
大好きなあの店にも行けた。
もう本当にこの店のことがぼくは好きだ。
なにしろ肉屋が夜になるとレストランに変身するのだ!
ハラミを食べたかったんだけどなくって、
強烈にオススメしてくれたTボーンの
ロース側の塊をどかーんとレアで炭火焼に。
ほかにはハムとサラミの盛り合わせ、
生のカルチョフィ(アーティチョーク)のサラダ、
プンタレッラとアンチョビのサラダ。
春は苦い野菜をたっぷり食べて、
冬に溜めちゃった毒を出すって、日本と一緒だねえ。
ワインもケーキも美味しかったな。
いいお肉って脂が軽いんだね。
ミラノの滞在がみじかく、
できたてブッラータの店には行けなかったし、
馬肉のレストランの立ち食いランチも行けなかったし、
生産数が数百本クラスのワインしか置かない
おもしろいエノテカにも行けずじまいだったけど、
やっぱりミラノは「集散地」。東京的おもしろさがあって、
イタリアのごった煮の入り口としては最適だと思う。
レッジョエミリアでは
パルマの生ハム(おお、クラテッロ!)。
このエリアはパルミジャーノ・レッジャーノ、
それからバルサミコやバルバレスコなんかも有名。
つまり、好きなものばっかりじゃないか。
治安は、なんとなーく不穏な空気の駅前を抜け、
旧市街へ出てしまえばかなり安全な町で、
時間のゆるすかぎり、
クラテッロとバルバレスコを求めてハシゴ。
クラシックな店も、モダーンな店も、どっちもよかったなあ。
あれですね、ミラノにはなんでもあるとはいえ、
地元って格別なんですね。そりゃそうだよね。
そしてトリノ。
「ここはフランスですから」と現地住まいのYさん。
ほんとうにうつくしい町で、
道路が広くてゴミもすくない。
人々ものんびりしていて、
なんだかイタリアじゃないみたい。
星つきのレストランでランチをとったあと、
林屋さんが営業のあいだ、ぼくらは王宮と、
ホットチョコレートツアー。
王宮は武器庫がすごくて、
王族がほんとうに乗っていた馬たちが剥製になり、
ご主人様の鎧兜とともに展示されている。
きれいだわおっかないわ。
王宮前広場には謎のミッキーマウス的なものがいました。
ホットチョコレートは、片栗粉を使う
かなり濃厚なものでした。
トリノからクルマで40分ほどのピョッサスコは、
「ほぼ日」にいたイタリア人シモーネが
レストランを開いている村。
イタリアンと和食店、2つを経営していると知り、
こりゃ営業にいかねば! と、でかけることに。
駅までシモーネパパが迎えに来てくれた。
はたしてシモーネはとっても元気で、
日本にいたときよりエネルギーが何倍にもなっているかんじ。
元気そうでよかった。
村の施設を借りて運営しているというイタリアンレストランは
広くてとても快適、
シェフの出身地のローカル料理をはじめ
こころづくしもてなしを受ける。
どれも、しっかりと、おいしかった。
蕎麦粉のパスタであるピッツォッキリ、
はじめて食べたけど、おいしいものだなあ。
翌朝、ミラノからローマへ。
もちろん鉄道で移動。
特急「赤い翼号」の一等車に乗ったら、
電動エスプレッソメーカーのカートが回ってきた。
ローマではいつものHOTEL ISAで2泊。
屋上から遠くバチカンを臨むいいロケーション。
部屋は鏡張りでなんだかなぁ‥‥ではあるものの
広くて快適、サービスもとてもいい。
朝食ビュッフェにしょっぱいものが並ぶのも
旅行者フレンドリーである。
荷物を置いて街へ。
まずはテルミニ駅ちかくのポルケッタ屋さんへ。
ここはこのチームの「定番」。
おじさんがポルケッタを切り、
硬いパンとともにテーブルに置いてくれるだけ。
皿もない。テーブル(それもメラミン仕上げの上に
紙ナプキンをしいた上でポルケッタをギコギコやるのである。
ああ、このいいかげんさ、素敵だ。
味はもちろんおいしい。
この日はちょうど皮の硬いところと、脂身の柔らかいところ、
赤身肉の締まったところなどがバランスよく入ってた。
ここからちょっと単独行動。
今回、ミラノの治安が不安ということで
スーツケースはひとつにしたのだけれど
食材をばんばん買ってたらパンク。
なんとか詰め込んだものの、
ぼくでも持ち上げるのが困難な重さに!
ローマでもいろいろ買う予定なので
スーツケース屋に行くことにする。
‥‥あれ? 前回も、そうじゃなかったっけ?
まるで学習をしないんだから。
でっかいのを1つ買ってUBERでホテルへ。
UBERほんと便利。
さて、初日の夜は念願のBetto e Maryという、
市内中心部からクルマで40分くらいかかる住宅地にある
(観光客はほんとうに誰も行かない)ローカル料理店へ。
マニアックな料理人のかたが発見したそうで、
かなりディープなローマ料理が食べられる。
地元の名店‥‥というか、おいしい食堂。
ローマっ子のおばあちゃんがつくる総菜
(製作総指揮、みたいな感じ)を中心に、
いわゆる「これぞローマ」な地元の料理が
じゃんじゃん出てくる。
ぼくにとって、ここに来ることは、
ローマを訪れる最大の目的のひとつといってもいい。
メニューはなくて、かなりコワモテのスタッフ男子が、
横にどかっと座って、早口のローマ弁でメニューを説明する。
もちろんぼくにはわからない。
つまりこの店、イタリア語を解し、通訳をしてくれ、
そこそこ現地の食材に精通している人とじゃないと、
たのしめない。
4人のうち2人はイタリア語を話す。
しかも1人は、料理関係者である。
しかしながら「ローマ弁がわからない‥‥」。
ぼくはぼくで、彼らの必死の努力による通訳を、
そのときは説明を受けてふんふんと言っていたのに、
「これなんだっけ?」状態である。
見た目から、内容が、想像できなのだ。
ゆっくり揚げるとこうなるというブロッコリ(黒いヤツ)とか、
馬のコーンドミート(コンビーフ的な)とか、
ハムを竃に吊るしておいたらこうなるという
謎のジャーキー的なつまみ(臭いけどおいしい)とか、
仔牛のタンとか、豆の煮物や、アキレス腱などなど。
トリッパのトマト煮はさすがにわかりますね。
あと花みたいなのはカルチョフィ(アーティチョーク)の
ユダヤ風(からあげ)。茎以外はカリカリ全部食べられる。
スパゲッティはアマトリチャーナと、カルボナーラ。
リガトーニは、これもまあ、アマトリチャーナか。
いま思えば、リガトーニはちがう味のほうがよかったなあ
(似てるから。ちょっとは違うけど)。
じつは今回の旅での最大の後悔は、
この夜、腹がすいていなかったということである。
なぜならばこの前に、
林屋さんの海苔を使っている和食店「禅」の
オーナーであるOさんがよくしてくださって、
アペルティーボ(食前酒)をさそっていただき、
なかなかの高級店であるトリュフ専門店でつまみを食べ、
スプマンテをがぶがぶ飲んでしまったのだ!
ああ、後悔してもしきれない。
もちろんおいしかったし、とてもうれしかったけれど、
ぼくとしては悔しいのだ。
だって、ここには、腹ぺこで来たかった。
どうかお願いだから次回は腹ぺこで行かせて! と嘆願。
それでも、さんざん食べて飲んで(ワインはノーブランド、
赤も白もたぶん使い回しの容器に入ってくる)、
もう入らない、動けないという状態で、追加の肉。
さすがに「もういらない」と言ったのだが、
こればっかりは無理にすすめてもらい、よかった。
というのはこれ、馬のハラミだったのである。
初めて食べた。ものすごく硬いので、
ハモのように隠し包丁を入れてある。
仙台の牛タンも店によってはそうなってますね、
あの感じの、かたいやつ。
それでもしばらく噛んでいないと呑み込めないほどなのだが、
味は抜群にいい。
腹が一杯で、もう口から飛び出そうだったけど、
食べて良かった(でもやっぱり腹ぺこで食べたかった)。
この肉、ローマ訛りがわからなくて、
ジェスチャーで「牛の脇腹」と解釈していたのだが、
どう考えてもこれはハラミで、しかも牛じゃないよなあ‥‥
と思っていたのが正解。
なんども訊いたら「これはdiaframmaだよ」と、
わりとはっきり発音してくれて、
そのdiaframmaだけぼくが聞き取れた。謎に。
そしてそのイタリア語をなぜか覚えていた。謎に。
肉ポリス面目躍如。
最後の最後は、ティラミスとエスプレッソで締めました。
さていま写真を見て、ローマ人って、
ほんと、宗教画の登場人物の顔なんですね。
イエスの奇跡を目撃したような表情のあんちゃん2人は、
竃の肉の説明をして/受けているだけです。
流しのおっちゃんはとってもめちゃくちゃな
「上を向いて歩こう」を歌ってくれた。
あまりのめちゃくちゃさに、モノマネをしたいと思いました。
ちなみにぼくのカルボナーラやアマトリチャーナは、
ここがお手本。つくりかたを訊いたわけじゃなくて、
味を近づけるようにしているという意味。
パンチの効いた具合、かなりいけてると思う!
そして翌日は散歩。
「禅」の料理人のNさんの案内で市場や旧屠畜場を見学したり、
ウォールアートのある街をぶらぶらしたり。
この日は昨晩の後悔をくりかえさぬよう、昼は抜き。
なぜなら「bonci」に行きたいからである。
昼を食べたら、あのおいしいピザを堪能できないじゃないか!
(じゃあ昼に行けという話ではあるが、
組まれた予定的にそうはいかなかった。)
bonciは、ガブリエル・ボンチさんという
人気シェフ(テレビに出てる)がやっているピザ専門店。
ぼくはふだんピザを食べないのだけれど、
ここの「持ち帰り用ピザ」をあっためてもらって
立ち食いする(してもいいよ、という程度)
スタイルのピザのおいしさに、
前回、でんぐりがえりするほど驚き、
忘れられないものになった。
ピザといっても、総菜パンに近いのかな、
フォカッチャに具がのっているみたいな感じで、
かなりおなかがいっぱいになる。
LPレコードくらいの大きさのピザボックスに、
6種類のピザをそれぞれ半分にカットしてもらい
、ひとつがそうだなポラロイド写真くらいのサイズ。
ぼくはそれを6枚。同行のかたのうちひとりは3枚、
もうひとりは1枚でもうおなかがいっぱいだと言う。
よわむしめ(ちがう)。
そしてカルボナーラのコロッケ(こりゃまたすごい!)に、
ダイエットコーク。こうなるとダイエットの意味はない。
ちなみにbonciの本店は郊外のレストラン。
いつか行きたいなあ。
ああ、ふだんピザを食べないぼくが、
ここのピザだけはときどき食べたくなる。
でもローマにしかない、ローマにしかないんだよ(泣)。
夜は「禅」で和食のコースをいただく。
ここに旬の野菜プンタレッラの烏賊炒めという皿が出て、
同席したイタリア人のおじさん、猛烈な勢いで「ない!」と。
なぜならローマっ子にとってプンタレッラのレシピは
ひとつだけしかない、というのだ。
こまかく刻んだプンタレッラのあくをぬくため
さっとレモン水でさらしておく。
オリーブオイル、アンチョビ、ワインビネガー、
ほんのちょっとのにんにくのみじんぎりと、唐辛子に塩胡椒、
これを乳化させておいたドレッシングで和える。
以上。
これ以外のレシピは「ない!」のである。
しかもローマの中(城壁の中?)で採れたプンタレッラじゃなければ
プンタレッラじゃないとまで。
かたくな〜!
でもそれがローマっ子。反論できません。
ちなみにわれわれは「烏賊、合うんじゃな〜い?」と
へいきで食べました。
そんなこんなで、バタバタとした旅行はおしまい。
翌朝、同行のふたりをホテルで見送り
(ひとりはトーキョー行きだけど別便、
ひとりはミラノ在住なので鉄道で帰る)、
ホテルの部屋でひとりでいたら急にさびしくなった。
さびしすぎたので、あの流しのおじさんの
とんちんかんな「上を向いて歩こう」をマネして歌ったら、
なんだかよけいにさびしくなった。
いつまで経っても慣れない、旅の終わりである。
「わっ、ついてって、いいですか!」
と、われながらほんとうにずうずうしいのだが、
築地(現在は豊洲)の海苔屋さんの営業ツアーにくっついて
ミラノ〜ローマを回ってきました。
林屋さんは、インポーターを通じて現地の和食店に
ずいぶんとたくさんの焼き海苔を卸しているので、
年に2度、挨拶回りや新規開拓をするのです。
最初にくっついて行ったのは
expoを開催していた2015年、
興味本位で(そして調理係として立候補し)
ついていったらおもしろいのなんの。
ぼくはぼくでいつものようにアパートを借りて自炊、
3人(全員、おじさん)で同じアパートをシェア、
メシはぼくがつくったり、食べに行ったり。
ローマに移動したあとはホテルに泊まって、
ここではたのしい外食。
現地で待っていてくださるみなさんも
レストランや食材のインポート、
PR関係のひとたちなので、食べることが好き。
いっしょにおいしいものを食べましょうと待ちかまえていてくれて、
すばらしい食体験ができた。
一気にイタリアが好きになり、すっかり味をしめて、
2回目はミラノのみ同行、
3回目の今回はほぼ全行程同行をしてきたというわけ。
3/8、JALで成田からヘルシンキへ。
ここで1泊した理由は、翌日午前中に開かれる
MUJIがデザインした無人バスのお披露目を見るため。
友人夫妻がかかわっているプロジェクトというご縁で、
まったく関係のないぼくを参加させてくれた。
ヘルシンキは──というかフィンランドは
本1冊分の取材をしているからなじみがあり、
だから1泊でいいかなと思っていたのだが、
いざ行ってみると足りない足りない。
それでも好きなレストランjuuriでひとりディナーをとり、
時間のあるかぎり町をうろうろしてきました。
無人バスはすばらしい試みで、
多少の困難や問題があっても、
提案をし、実験をし、失敗もし、
ということが世の中を変えてゆく、
それを市民や企業が行政と組んでやっていく、
それは戦後からずっと続いている、
フィンランドの人々の心根というもので、
しかも「デザインで」というところが、
かっこいいし、すばらしいんだよなあ。
バスを見た午後、ヘルシンキを出て、
フィンエアーでミラノへ。
マルペンサ空港は遠く、到着は夜で、
やや治安に不安があるときいていたので、
思い切ってタクシーで移動。
この日はストが予定されていたそうで、
じっさいは回避されたものの、
交通網がぐちゃぐちゃだったらしく、
道路もひどい混雑。
空港タクシーは定額なのだけれど
おじ(い)さんの運転手さん、
「ストだなんて知らなかった、
こんなに混むとは知らなかった、
だから10€足してもいいかい」
と、しれっと言う。ダメです。
ミラノではアパートを借りて5泊。
3層のメゾネット(中2階がある)で、
使いやすいかと言われたら使いにくいのだが、
こういうことはまさしく「住めば都」です。
すぐになじむ「なじみ力」を発揮し、
たのしい一人暮らしをしてきました。
林屋さんや、もと同僚で
いっしょに海苔の仕事をしてきた女子も合流、
歩ける範囲内にみんな宿をとったので、
ご近所付き合い的にたのしかったな。
ミラノにいたなかで1日は鉄道でレッジョエミリアへ、
もう1日はトリノ〜ピョッサスコへ行ったので、
今回はあんまりミラノを堪能していなかったんだけれど、
それでも市場へ買い出しに行ったし、
大好きなあの店にも行けた。
もう本当にこの店のことがぼくは好きだ。
なにしろ肉屋が夜になるとレストランに変身するのだ!
ハラミを食べたかったんだけどなくって、
強烈にオススメしてくれたTボーンの
ロース側の塊をどかーんとレアで炭火焼に。
ほかにはハムとサラミの盛り合わせ、
生のカルチョフィ(アーティチョーク)のサラダ、
プンタレッラとアンチョビのサラダ。
春は苦い野菜をたっぷり食べて、
冬に溜めちゃった毒を出すって、日本と一緒だねえ。
ワインもケーキも美味しかったな。
いいお肉って脂が軽いんだね。
ミラノの滞在がみじかく、
できたてブッラータの店には行けなかったし、
馬肉のレストランの立ち食いランチも行けなかったし、
生産数が数百本クラスのワインしか置かない
おもしろいエノテカにも行けずじまいだったけど、
やっぱりミラノは「集散地」。東京的おもしろさがあって、
イタリアのごった煮の入り口としては最適だと思う。
レッジョエミリアでは
パルマの生ハム(おお、クラテッロ!)。
このエリアはパルミジャーノ・レッジャーノ、
それからバルサミコやバルバレスコなんかも有名。
つまり、好きなものばっかりじゃないか。
治安は、なんとなーく不穏な空気の駅前を抜け、
旧市街へ出てしまえばかなり安全な町で、
時間のゆるすかぎり、
クラテッロとバルバレスコを求めてハシゴ。
クラシックな店も、モダーンな店も、どっちもよかったなあ。
あれですね、ミラノにはなんでもあるとはいえ、
地元って格別なんですね。そりゃそうだよね。
そしてトリノ。
「ここはフランスですから」と現地住まいのYさん。
ほんとうにうつくしい町で、
道路が広くてゴミもすくない。
人々ものんびりしていて、
なんだかイタリアじゃないみたい。
星つきのレストランでランチをとったあと、
林屋さんが営業のあいだ、ぼくらは王宮と、
ホットチョコレートツアー。
王宮は武器庫がすごくて、
王族がほんとうに乗っていた馬たちが剥製になり、
ご主人様の鎧兜とともに展示されている。
きれいだわおっかないわ。
王宮前広場には謎のミッキーマウス的なものがいました。
ホットチョコレートは、片栗粉を使う
かなり濃厚なものでした。
トリノからクルマで40分ほどのピョッサスコは、
「ほぼ日」にいたイタリア人シモーネが
レストランを開いている村。
イタリアンと和食店、2つを経営していると知り、
こりゃ営業にいかねば! と、でかけることに。
駅までシモーネパパが迎えに来てくれた。
はたしてシモーネはとっても元気で、
日本にいたときよりエネルギーが何倍にもなっているかんじ。
元気そうでよかった。
村の施設を借りて運営しているというイタリアンレストランは
広くてとても快適、
シェフの出身地のローカル料理をはじめ
こころづくしもてなしを受ける。
どれも、しっかりと、おいしかった。
蕎麦粉のパスタであるピッツォッキリ、
はじめて食べたけど、おいしいものだなあ。
翌朝、ミラノからローマへ。
もちろん鉄道で移動。
特急「赤い翼号」の一等車に乗ったら、
電動エスプレッソメーカーのカートが回ってきた。
ローマではいつものHOTEL ISAで2泊。
屋上から遠くバチカンを臨むいいロケーション。
部屋は鏡張りでなんだかなぁ‥‥ではあるものの
広くて快適、サービスもとてもいい。
朝食ビュッフェにしょっぱいものが並ぶのも
旅行者フレンドリーである。
荷物を置いて街へ。
まずはテルミニ駅ちかくのポルケッタ屋さんへ。
ここはこのチームの「定番」。
おじさんがポルケッタを切り、
硬いパンとともにテーブルに置いてくれるだけ。
皿もない。テーブル(それもメラミン仕上げの上に
紙ナプキンをしいた上でポルケッタをギコギコやるのである。
ああ、このいいかげんさ、素敵だ。
味はもちろんおいしい。
この日はちょうど皮の硬いところと、脂身の柔らかいところ、
赤身肉の締まったところなどがバランスよく入ってた。
ここからちょっと単独行動。
今回、ミラノの治安が不安ということで
スーツケースはひとつにしたのだけれど
食材をばんばん買ってたらパンク。
なんとか詰め込んだものの、
ぼくでも持ち上げるのが困難な重さに!
ローマでもいろいろ買う予定なので
スーツケース屋に行くことにする。
‥‥あれ? 前回も、そうじゃなかったっけ?
まるで学習をしないんだから。
でっかいのを1つ買ってUBERでホテルへ。
UBERほんと便利。
さて、初日の夜は念願のBetto e Maryという、
市内中心部からクルマで40分くらいかかる住宅地にある
(観光客はほんとうに誰も行かない)ローカル料理店へ。
マニアックな料理人のかたが発見したそうで、
かなりディープなローマ料理が食べられる。
地元の名店‥‥というか、おいしい食堂。
ローマっ子のおばあちゃんがつくる総菜
(製作総指揮、みたいな感じ)を中心に、
いわゆる「これぞローマ」な地元の料理が
じゃんじゃん出てくる。
ぼくにとって、ここに来ることは、
ローマを訪れる最大の目的のひとつといってもいい。
メニューはなくて、かなりコワモテのスタッフ男子が、
横にどかっと座って、早口のローマ弁でメニューを説明する。
もちろんぼくにはわからない。
つまりこの店、イタリア語を解し、通訳をしてくれ、
そこそこ現地の食材に精通している人とじゃないと、
たのしめない。
4人のうち2人はイタリア語を話す。
しかも1人は、料理関係者である。
しかしながら「ローマ弁がわからない‥‥」。
ぼくはぼくで、彼らの必死の努力による通訳を、
そのときは説明を受けてふんふんと言っていたのに、
「これなんだっけ?」状態である。
見た目から、内容が、想像できなのだ。
ゆっくり揚げるとこうなるというブロッコリ(黒いヤツ)とか、
馬のコーンドミート(コンビーフ的な)とか、
ハムを竃に吊るしておいたらこうなるという
謎のジャーキー的なつまみ(臭いけどおいしい)とか、
仔牛のタンとか、豆の煮物や、アキレス腱などなど。
トリッパのトマト煮はさすがにわかりますね。
あと花みたいなのはカルチョフィ(アーティチョーク)の
ユダヤ風(からあげ)。茎以外はカリカリ全部食べられる。
スパゲッティはアマトリチャーナと、カルボナーラ。
リガトーニは、これもまあ、アマトリチャーナか。
いま思えば、リガトーニはちがう味のほうがよかったなあ
(似てるから。ちょっとは違うけど)。
じつは今回の旅での最大の後悔は、
この夜、腹がすいていなかったということである。
なぜならばこの前に、
林屋さんの海苔を使っている和食店「禅」の
オーナーであるOさんがよくしてくださって、
アペルティーボ(食前酒)をさそっていただき、
なかなかの高級店であるトリュフ専門店でつまみを食べ、
スプマンテをがぶがぶ飲んでしまったのだ!
ああ、後悔してもしきれない。
もちろんおいしかったし、とてもうれしかったけれど、
ぼくとしては悔しいのだ。
だって、ここには、腹ぺこで来たかった。
どうかお願いだから次回は腹ぺこで行かせて! と嘆願。
それでも、さんざん食べて飲んで(ワインはノーブランド、
赤も白もたぶん使い回しの容器に入ってくる)、
もう入らない、動けないという状態で、追加の肉。
さすがに「もういらない」と言ったのだが、
こればっかりは無理にすすめてもらい、よかった。
というのはこれ、馬のハラミだったのである。
初めて食べた。ものすごく硬いので、
ハモのように隠し包丁を入れてある。
仙台の牛タンも店によってはそうなってますね、
あの感じの、かたいやつ。
それでもしばらく噛んでいないと呑み込めないほどなのだが、
味は抜群にいい。
腹が一杯で、もう口から飛び出そうだったけど、
食べて良かった(でもやっぱり腹ぺこで食べたかった)。
この肉、ローマ訛りがわからなくて、
ジェスチャーで「牛の脇腹」と解釈していたのだが、
どう考えてもこれはハラミで、しかも牛じゃないよなあ‥‥
と思っていたのが正解。
なんども訊いたら「これはdiaframmaだよ」と、
わりとはっきり発音してくれて、
そのdiaframmaだけぼくが聞き取れた。謎に。
そしてそのイタリア語をなぜか覚えていた。謎に。
肉ポリス面目躍如。
最後の最後は、ティラミスとエスプレッソで締めました。
さていま写真を見て、ローマ人って、
ほんと、宗教画の登場人物の顔なんですね。
イエスの奇跡を目撃したような表情のあんちゃん2人は、
竃の肉の説明をして/受けているだけです。
流しのおっちゃんはとってもめちゃくちゃな
「上を向いて歩こう」を歌ってくれた。
あまりのめちゃくちゃさに、モノマネをしたいと思いました。
ちなみにぼくのカルボナーラやアマトリチャーナは、
ここがお手本。つくりかたを訊いたわけじゃなくて、
味を近づけるようにしているという意味。
パンチの効いた具合、かなりいけてると思う!
そして翌日は散歩。
「禅」の料理人のNさんの案内で市場や旧屠畜場を見学したり、
ウォールアートのある街をぶらぶらしたり。
この日は昨晩の後悔をくりかえさぬよう、昼は抜き。
なぜなら「bonci」に行きたいからである。
昼を食べたら、あのおいしいピザを堪能できないじゃないか!
(じゃあ昼に行けという話ではあるが、
組まれた予定的にそうはいかなかった。)
bonciは、ガブリエル・ボンチさんという
人気シェフ(テレビに出てる)がやっているピザ専門店。
ぼくはふだんピザを食べないのだけれど、
ここの「持ち帰り用ピザ」をあっためてもらって
立ち食いする(してもいいよ、という程度)
スタイルのピザのおいしさに、
前回、でんぐりがえりするほど驚き、
忘れられないものになった。
ピザといっても、総菜パンに近いのかな、
フォカッチャに具がのっているみたいな感じで、
かなりおなかがいっぱいになる。
LPレコードくらいの大きさのピザボックスに、
6種類のピザをそれぞれ半分にカットしてもらい
、ひとつがそうだなポラロイド写真くらいのサイズ。
ぼくはそれを6枚。同行のかたのうちひとりは3枚、
もうひとりは1枚でもうおなかがいっぱいだと言う。
よわむしめ(ちがう)。
そしてカルボナーラのコロッケ(こりゃまたすごい!)に、
ダイエットコーク。こうなるとダイエットの意味はない。
ちなみにbonciの本店は郊外のレストラン。
いつか行きたいなあ。
ああ、ふだんピザを食べないぼくが、
ここのピザだけはときどき食べたくなる。
でもローマにしかない、ローマにしかないんだよ(泣)。
夜は「禅」で和食のコースをいただく。
ここに旬の野菜プンタレッラの烏賊炒めという皿が出て、
同席したイタリア人のおじさん、猛烈な勢いで「ない!」と。
なぜならローマっ子にとってプンタレッラのレシピは
ひとつだけしかない、というのだ。
こまかく刻んだプンタレッラのあくをぬくため
さっとレモン水でさらしておく。
オリーブオイル、アンチョビ、ワインビネガー、
ほんのちょっとのにんにくのみじんぎりと、唐辛子に塩胡椒、
これを乳化させておいたドレッシングで和える。
以上。
これ以外のレシピは「ない!」のである。
しかもローマの中(城壁の中?)で採れたプンタレッラじゃなければ
プンタレッラじゃないとまで。
かたくな〜!
でもそれがローマっ子。反論できません。
ちなみにわれわれは「烏賊、合うんじゃな〜い?」と
へいきで食べました。
そんなこんなで、バタバタとした旅行はおしまい。
翌朝、同行のふたりをホテルで見送り
(ひとりはトーキョー行きだけど別便、
ひとりはミラノ在住なので鉄道で帰る)、
ホテルの部屋でひとりでいたら急にさびしくなった。
さびしすぎたので、あの流しのおじさんの
とんちんかんな「上を向いて歩こう」をマネして歌ったら、
なんだかよけいにさびしくなった。
いつまで経っても慣れない、旅の終わりである。