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中野の「カフェ・ハイチ」について。
初出は「dancyu」2017年6月号で、
文中の年齢などはその当時のものです。
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四角い皿がきれいになるまで夢中で食べ続けたあと、
顔をあげたらここが
1980年代の西新宿だったらどうしようかと思った。
もしかしたらこの店は
ラーメン屋とパチンコ屋に挟まれた地下にあって、
ぼくは大学の友達と
ドライカレーを食べに来ているんじゃないか。
「ドライカレーってさ、カレーチャーハンとは違うんだ」
なんて知ったかぶりをしながら、
一気にカレーを掻き込み、
コーヒーが来るのを待っているんじゃないかと。
コーヒーはカレーと同じ
蒼くて分厚い陶製の背の高いカップに入って
やってくるはずだ。
横には砂糖とクリームとブランデーが添えられてくる。
「ブランデーを数滴垂らすと、またいいんだ」
なんて、ぼくは言うにちがいない。
もちろんそんなことは現実には起こらない
(逆だったらもっと怖いですよね、
カレーを食べ終えて21歳が51歳になってたら)。
ここは中野で、
2016年7月にオープンしたばかりの新店である。
西新宿にあったあの店とは違う。
でも「カフェ・ハイチ中野」のドライカレーは、
記憶のなかの「カフェ・ハイチ本店」と同じだった。
1974年の創業当時から、カフェ・ハイチは
飯の上にペースト状のひき肉のカレーが載る
「ドライカレー」で有名で、
ぼくの知っている本店は、
店内のムードをカリブ海のハイチ風にしつらえていた。
いたるところに民芸品や絵画が飾られ、
ガラスが嵌め込まれた小さなテーブルの中には
ハイチの地図が入っていた。
ドライカレーとコーヒーのセットを注文すると、
食後、ハイチ産のダークロースト豆で淹れた
とろりと濃いコーヒーが出た。
ハイチに関する知識なんてまったくなかったけれど、
カレーのスタイルもコーヒーの味も
「どこか遠い南の国」のムードがあって、
それはとても新しいものだった。
だから松任谷由実を聴く友達ではなく、
ワールド・ミュージックを聴く仲間を誘って来ていた。
けれども社会人になって行動範囲が変わると、
だんだん足が遠のいた。
カフェ・ハイチは店舗を増やし、
いくつかフランチャイズも出したようだった。
街のほかのカレー屋でもドライカレーに似た
「キーマカレー」がメニューに載るようになった。
そしていつの間にか(正確には2016年3月に)
西新宿の「カフェ・ハイチ本店」は閉店する。
そのニュースはぼくの耳には届かなかった。
すこし後にそれを知ったとき、
「ああ、もう、あのドライカレーは食べられないんだ」
とぼくは思った。
似たようなカレーはあるけれど、あのカレーはない。
さほど強い思いではないけれど、
自分のちいさな一部分が失われたような気がした。
だから「カフェ・ハイチ中野」で
ドライカレーを食べたとき、
タイムスリップしてたらどうしよう?
という気持ちになったのだと思う。
それにしてもここまで同じ味ってすごい。
再現とかじゃなくて、
料理の根っこにあるものが「同じ」なのだ。
答えを言ってしまうと
「そりゃそうだよ!」なんだけれど、
中野でドライカレーをつくっている
後藤行雄さん(66)は、
ずっと「カフェ・ハイチ」の料理をつくってきた
料理人なのだった。
つまり後藤さんがいれば、
そこは「カフェ・ハイチ」なのである。
ドライカレーを頼むと、店の半分ほどを占める厨房で、
後藤さんがカレーに火を入れ始める。
じゅうじゅうという音がする。
この臨場感は、本店で味わえなかったことのひとつだ。
蒼く四角い器、円形によそったごはんに、
きっちりのったカレー。
そうだよ、この姿、この味がまさしく
「カフェ・ハイチ」なんだよ。
古いとか新しいとかじゃない、唯一の味なんだ。
できれば作り方を教わりたかったのだけれど、
もちろん教えてくれない。
企業秘密ですよ、と、後藤さんはにっこり笑った。
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中野の店はまったくもって新店とは思えなかった。
それは本店や代々木店のインテリアを
再利用して使っているからで、
持ってきたけれど狭くなっちゃったからと、
使わないものを横のガレージで販売してました。
お店で使っているぼってりと厚く、蒼い器は
本店から引き継いだ北海道の「こぶ志焼」。
そういえばぼくは西新宿時代の「カフェ・ハイチ」で
背の高いコーヒーカップ&ソーサーと
木の柄の匙を買って家で使ってました。
カップ&ソーサーは引っ越すうちに
いつのまにかどこかに行っちゃったけど、
木の柄は、その柄がガタガタしてきたものの、
いまも現役です。
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中野の「カフェ・ハイチ」について。
初出は「dancyu」2017年6月号で、
文中の年齢などはその当時のものです。
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四角い皿がきれいになるまで夢中で食べ続けたあと、
顔をあげたらここが
1980年代の西新宿だったらどうしようかと思った。
もしかしたらこの店は
ラーメン屋とパチンコ屋に挟まれた地下にあって、
ぼくは大学の友達と
ドライカレーを食べに来ているんじゃないか。
「ドライカレーってさ、カレーチャーハンとは違うんだ」
なんて知ったかぶりをしながら、
一気にカレーを掻き込み、
コーヒーが来るのを待っているんじゃないかと。
コーヒーはカレーと同じ
蒼くて分厚い陶製の背の高いカップに入って
やってくるはずだ。
横には砂糖とクリームとブランデーが添えられてくる。
「ブランデーを数滴垂らすと、またいいんだ」
なんて、ぼくは言うにちがいない。
もちろんそんなことは現実には起こらない
(逆だったらもっと怖いですよね、
カレーを食べ終えて21歳が51歳になってたら)。
ここは中野で、
2016年7月にオープンしたばかりの新店である。
西新宿にあったあの店とは違う。
でも「カフェ・ハイチ中野」のドライカレーは、
記憶のなかの「カフェ・ハイチ本店」と同じだった。
1974年の創業当時から、カフェ・ハイチは
飯の上にペースト状のひき肉のカレーが載る
「ドライカレー」で有名で、
ぼくの知っている本店は、
店内のムードをカリブ海のハイチ風にしつらえていた。
いたるところに民芸品や絵画が飾られ、
ガラスが嵌め込まれた小さなテーブルの中には
ハイチの地図が入っていた。
ドライカレーとコーヒーのセットを注文すると、
食後、ハイチ産のダークロースト豆で淹れた
とろりと濃いコーヒーが出た。
ハイチに関する知識なんてまったくなかったけれど、
カレーのスタイルもコーヒーの味も
「どこか遠い南の国」のムードがあって、
それはとても新しいものだった。
だから松任谷由実を聴く友達ではなく、
ワールド・ミュージックを聴く仲間を誘って来ていた。
けれども社会人になって行動範囲が変わると、
だんだん足が遠のいた。
カフェ・ハイチは店舗を増やし、
いくつかフランチャイズも出したようだった。
街のほかのカレー屋でもドライカレーに似た
「キーマカレー」がメニューに載るようになった。
そしていつの間にか(正確には2016年3月に)
西新宿の「カフェ・ハイチ本店」は閉店する。
そのニュースはぼくの耳には届かなかった。
すこし後にそれを知ったとき、
「ああ、もう、あのドライカレーは食べられないんだ」
とぼくは思った。
似たようなカレーはあるけれど、あのカレーはない。
さほど強い思いではないけれど、
自分のちいさな一部分が失われたような気がした。
だから「カフェ・ハイチ中野」で
ドライカレーを食べたとき、
タイムスリップしてたらどうしよう?
という気持ちになったのだと思う。
それにしてもここまで同じ味ってすごい。
再現とかじゃなくて、
料理の根っこにあるものが「同じ」なのだ。
答えを言ってしまうと
「そりゃそうだよ!」なんだけれど、
中野でドライカレーをつくっている
後藤行雄さん(66)は、
ずっと「カフェ・ハイチ」の料理をつくってきた
料理人なのだった。
つまり後藤さんがいれば、
そこは「カフェ・ハイチ」なのである。
ドライカレーを頼むと、店の半分ほどを占める厨房で、
後藤さんがカレーに火を入れ始める。
じゅうじゅうという音がする。
この臨場感は、本店で味わえなかったことのひとつだ。
蒼く四角い器、円形によそったごはんに、
きっちりのったカレー。
そうだよ、この姿、この味がまさしく
「カフェ・ハイチ」なんだよ。
古いとか新しいとかじゃない、唯一の味なんだ。
できれば作り方を教わりたかったのだけれど、
もちろん教えてくれない。
企業秘密ですよ、と、後藤さんはにっこり笑った。
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中野の店はまったくもって新店とは思えなかった。
それは本店や代々木店のインテリアを
再利用して使っているからで、
持ってきたけれど狭くなっちゃったからと、
使わないものを横のガレージで販売してました。
お店で使っているぼってりと厚く、蒼い器は
本店から引き継いだ北海道の「こぶ志焼」。
そういえばぼくは西新宿時代の「カフェ・ハイチ」で
背の高いコーヒーカップ&ソーサーと
木の柄の匙を買って家で使ってました。
カップ&ソーサーは引っ越すうちに
いつのまにかどこかに行っちゃったけど、
木の柄は、その柄がガタガタしてきたものの、
いまも現役です。
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