歩いた歩いた。
集合は六本木ヒルズ。
そもそもは森美術館で
「シンプルなかたち」展を見ようと思ったのだ。
しかし、行ってみると、チケットを買うだけで
2時間の行列だというじゃないか。
NARUTO展とSTAR WARS展と、同じチケット売り場で、
そっちのほうが驚異的に混雑しているのだそう。
売り場を別々にしてくれよ‥‥と思うけど、
文句を言っても仕方がないよなあ。諦めよう。
金券ショップを探して前売りを買って、
という手も思いつかなくはなかったんだけれど、
「ポンピドーとか、グッゲンハイムで見たよね」
と、生意気なわれわれは思うことにする。
(でもまあもちろん、そういうことじゃなく、展覧会って、
キュレーションの妙を見たいわけなんだけれどね。)
夕飯の予約は18時半。いまは15時。
まいったね、どうしようか、と、人ごみの中で考える。
人ごみは苦手だからヒルズから逃げて通りに出てみるが、
六本木通りもすごい人だ。
人がいないとこへ行こう。
奥田民生(「すばらしい日々」)みたいだな。
そういう感じで西麻布方向へ。
通りを渡って和泉屋さん(いまはもうない)と
自由劇場(もちろんいまはもうない)の間を入って
霞町の裏路地へ。
ここに大きな駐車場があってさ、
叔母さんちの共用の廊下(4F)からそこが覗けてさ、
いろんな人が、発声練習したり、
楽器の練習したり、ジャグリングしたりさ、
していたんだよ、なんて話しながら通る。
自由劇場のみなさんが稽古をしていた時代です。
なんせ40年以上前だもんなあ。もっとかな。
青山墓地へ。てくてく歩くうち、
「これ、このまま歩いて行けるんじゃない?」
ということに。
ちなみに目的地は、小石川。
駅で言えば丸ノ内線の茗荷谷駅だ。
遠いよね。遠いけど、歩けなくはないよね。
じゃあ、まあ、ぶらぶら歩こうか。
ぼくは朝、同行者はついさっきまで
それぞれジムで筋トレしてきたばかりで、
眠い眠いというから、居心地のいいカフェにでも入ったら
ソファでぐうぐう眠って無為に過ごしてしまいそうだ。
まあそれはそれでいいんだけど、歩こう。
墓地から外苑東通りに。
青山一丁目へ。
そのまま北上して信濃町。
慶應病院の前を通って四谷三丁目へ。
このあたりは殺風景だなあ。
ナポリのアイスクリームがあるよ
(糖質制限中なので食べない)。
新宿通りを超え、靖国通りを超える。
曙橋から防衛庁のあたり、東へ折れ、
牛込界隈の住宅地に入っていく。
こまかく町名が変わって行くあたりだ。
牛込区(區の時代?)の旧町名のままなんですよね、ここらだけ。
そのうちなんだか大きく近代的な村のようなところに出る。
やたらと工事中で、祝日だから余計人の気配がない。
大日本印刷村だ(そんな村はありませんよ)。
そうしてそのうち神楽坂へ出た。
神楽坂商店街ってフランス人が好きで
でもカグラザカって言えないから
「ラ・カグー」とか言うんだって?
事実はわからないけどたしかに
ちょっとフランスっぽくて可愛い町。
そしてオトナっぽい町。
人々もなんだか楽しそう。
これで商店街がほんとうの商店街
(肉屋とか魚屋とか八百屋があるっていう意味)なら
なおいいんだけれど、都心でそれは望めないかな。
チェーン店のコーヒーショップでちょっと休憩。
お茶を飲んでトイレを借りる。
道中、村上春樹氏の言う「サラダの歌」が謎で、
という話をしたので検索。結論は出ない。
ただタイトルはどうやら「フルーツサラダのうた」で、
森山加代子じゃなくて、
ペギー葉山ではないかという疑惑。
歌詞もうまく出てこない。
氏は歌詞の一部を
「おいしいのよ。じょりじょりじょり。
素敵なのよ、おいしいのよ。おまけに栄養満点」
と引用されていた。じょりじょりじょり。
って。(Jollyかなあ?)
とかやってるとあっという間に駄時間が過ぎる。
さあまた歩こう。
てくてく早稲田通りを超える。
このあたりはぼくらそれぞれがそれぞれに
懐かしいエリアのはずなんだが、
じっさい懐かしいかというとそうでもない。
早稲田にはそんなに思いを残したりしていない。
いや、思いはあるんだろうが、この界隈にはねえ。
大学生の頃のご近所なんてそんなもんだ。
ぼく、原宿に住んでたし、当時。(生意気)
凸版印刷の巨大なビルを目指す。
手前で神田川に阻まれる。
その手前で水とナッツ購入。
ぽりぽりかじりながら(おやつです)、
橋を見つけ、川を渡ってさらに歩く。
小日向のあたり。
こう、全体的に、いままでもそうだといえばそうだが、
さらなる「江戸」のムードが濃くなってくる。
志の輔さんの噺で見える風景が、
重なって見えるような気がする。
ぼくのなかで江戸の美人の奥さんの役は
いつも宮沢りえさんが演じてくれる。
そのうち右手の坂の下のほうで
丸ノ内線が地上に出ているのが見える。
茗荷谷だ。目的地も近い。
坂の下はこれまた殺風景で、夜中とか怖いだろうな。
はやく上にのぼろう。
急勾配の禿坂を見つけてのぼり、
ぽん、という感じで突如春日通りがあらわれる。
「ありゃ、もう着いちゃうね」
先に播磨坂。この先が目的地なのだ。
でもまだ時間があるので、
桜並木をぶらぶらして
途中のカフェでコーヒー。
祝日で人が誰もいない。
ちょっとひんやりした風が坂を吹き抜ける。
エスプレッソが酸っぱくておいしい。
レモン汁みたいなさわやかさ。
こんなに酸っぱいエスプレッソは初めてだけど、
いやな酸っぱさではないから、
豆がこういう味なんだろうな。
写真には水しか写ってませんが。
じょりじょりじょり。
ぼくらはずっとくだらない話ばかりして歩いてきたのだが
(人生において、だいたいいつもそうだ)、
とてもいいカフェで、のんびり座って、
風に吹かれて、ようやく話したかった話をする。
ぼくもその話がしたかったんだ、という話。
旅の話だ。
これからどういう旅をしようか、という話だ。
パリで、日帰りでロンドンに行った日の夜の
続きのような話だ。
ぼくはだいたい「先の風景」を、
ぼんやりと見て、あまり言葉にしないほうなんだが
(とても近視眼的である)、
同じように見ている風景を、
この人はきっちり言葉にする。
二人で同じ風景を見ているらしいのだけれど、
アプローチがまるでちがう。
彼は、きちんと理論立てて、
先に進むための(そこにたどり着くための)
方策を考えることができる。
ぼくは、やみくもに勘で進むとそこに着く。
ぼくが方向音痴なのは地図だけじゃないのだ。
そして彼はときどきかなり厳しいことを言う。
たぶん本人は厳しいと思ってないと思う。
そんなふうに言葉にされると
ぼくがびっくりしちゃうだけである。
「そうか、そういうことか!」と
しばらく口を開けて目を丸くする。
でもたいてい合ってる。
その場で「なんだかちがう」と思えば
もちろん主張するんだけれど、
なにしろ理論の立て方がちがうから、
ぼくはエモーショナルになってゆき、
あっちはどんどん冷静になっていく。
ぼくはこういう会話をまるごと
「おもしろいなあ」と思っている。
ちなみに、彼が持っているものは、
いずれも、ぼくからすっぽりと抜けている部分である。
この人と話していると、自分の欠損部分がよくわかる。
ぼくがこの人について炯眼的にわかることといったら、
いっしょにメニューを見て、
「これ頼もうと思ったでしょ!」
というくらいのもんである。
(なお、むこうも当てるので、結果、負けてる。)
これを書いているのはいま朝方の4時15分なんだけれど、
この長い散歩とうまい食事と会話の興奮で
ぼくはあまり眠れず早起きしちゃった。
そして「あ、そうか、そういうことか!」と
やっとゆっくり咀嚼(反芻)したりしているのだ。
さて、時間が来たので目的地へ。
きょうは「中勢以 内店(なかせい うちみせ)」へ行くのだ。
わーいわーい。もうほんとに楽しみにしていたのです。
なんたって熟成肉といえばここ、と言われる名店。
これぞ! というレベルの国産牛の熟成肉が、
(値段もそれなりなんだけど)たっぷりそろっていて、
食べたい部位を肉屋のショーケースから選ぶのです。
しかも、テーブルは、表から見えないときた。
肉屋の奥の謎のドアの向こうにひっそりある!
この秘密めいた感じ、ああ、なんて楽しいんだろう。
さて、注文。メニューには、前菜とつけあわせ、
そして別表に「肉の部位」の説明がある。
写真付き。二人がピンと来る肉はひとつ。
例の能力ですぐ決まる。
これだけでいいんじゃないか、となったんだけれど、
「これからショーケースにご案内しますので‥‥」と、
焦るわれわれをやんわり止める店のひと。
そりゃそうだ!
しかも「ちがいを知っていただくのに、もう1、2部位、
お召し上がり頂くのもよろしいかと」という提案を頂く。
そりゃそうだ!
初めての店では、わりと素直な我々である。
ショーケースにはうまそうな赤身の部位がいくつも。
これほど細かな分け方は、一般の精肉店ではしていない。
最初に目をつけたのは「クリ」。
アクセントは「ク」にある。
これは前肢の付け根だそう。
濃厚でぎゅっとうま味が詰まっている赤身だそう。
いいじゃないかいいじゃないか。理想的だ。
もうひとつ頼むことにしたのは「マルカワ」。
血流がよい部位なので、ジューシーでやわらかいそうだ。
もちろん赤身。(今日は赤身を食べるのだ。)
あとで調べたら、後肢の「うちもも」の
さらに下にある球状のお肉(芯玉:しんたま)の
一部分だそうだ。
「焼き加減はいかがいたしましょう」
ブルー(ほとんど生)、できますか?
「当店は(というか日本は)ブルーにはできないのですが」
そうですよね。すみません。
おすすめの焼き方があれば‥‥。
「どちらも、生でも食べられるほどですから、
お好みでよろしいかと」
では、レアでおねがいします。
「かしこまりました、常温に戻してから焼きますので
前菜をお召し上がりになりながらお待ちください」
はーい!
アミューズは、豚のコンソメで仕立てた
冷製オニオンスープ。うん、いい味。
前菜に、ジャンボン&フルーツ(ハムのフルーツ添え)。
ひゃっほう、フルーツを料理に使うの大好き!
しかも、ぼくらの自炊旅では、これが流行っているのだ。
サラダにフルーツを入れたらおいしかったので、
すっかりはまってしまい、広めているんだけれど、
いまいち広がらないのがくやしいところだ。
ここでは、うんと薄味(さすがだと思いました)の
自家製ハムに、うんと甘いパイナップル(蜜漬け)と、
薄くスライスしたりんごがそえてあった。
自分で組み合わせる量を変えると、
どんどん味が変わって楽しい。
まねしようっと。
ちなみにハムは、ソミュールが塩麹だそうです。
塩麹でハムづくり! なるほどなあ。
葉っぱのサラダ。ボウルにどかんと出てくる。
有機野菜が、とてもいいものらしく、
油、塩、レモン、最小限の味付けなのに、野菜の味が濃い。
そのままわしわし食べられる。
赤かぶのスライス(かぶをサラダに入れるのも、好み)が
いいアクセント。ぼくがつくるともうちょっと茹で野菜と
トマトを増やしちゃうかな。
柑橘類を入れたらどうだろう?
その場合もうちょっと塩を効かせて、
黒胡椒を振ったほうがいいだろうね。
うんうん、そうだそうだ。
とか言ってるあいだに、お肉が焼き上がってきた!
グリルの焦げ目が格子状についたお肉。
「半分ずつ切り分けてよろしいでしょうか」
もちろんでございます。
縦に2等分。はんぶんこだ。
ああ、はんぶんこの幸せったらない。
はんぶんこ最高。はんぶんこ万歳。
そもそも「はんぶんこ」の響きがかわいい。
日本史の教科書に「范文虎」って人がいたんだけど、
その名前だけでキュートで当時から気になっていた。
調べてみたら、
弘安の役でやってきた江南軍の副将の名前でした。
征服したらはんぶんこにするつもりだったんだろうか。
んなわけない。
画像検索したら「中国古代十大敗将」として、いた。
美男子なのに気の毒だ。はんぶんこ。
いや、肉の話でした。
それまでテーブルには箸しかなかったんだけれど、
ここでライヨールのナイフ&フォークが出てくる。
クリは、弾力があって(同行者いわく「キックがある」)、
ナイフを入れても跳ね返しそう。
噛むと、うまみがぎゅっと詰まっているのがわかる。
一瞬焼き栗のような風味がした気がしたけれど
それは名前の由来ではなく、焦げ感がそう思えたにすぎない。
ちなみに味付けは、ぎりぎり最小限の塩コショウ。
攻めの薄味。
マルカワは、クリに比べるとやわらかい。しなやか。
クリの男性的な印象に比べると女性的。
ナイフはすっと入る。
たしかに血が多くジューシー。
口にひろがるのは、肉汁だが、むしろ血。
そういうふうに書くとなんだか怖いけど、
だいじょうぶ、力がみなぎるうま味がある。
好みが分かれるところだけれど、
こうして比べてみるとたしかに「クリが好き」という評価が
確定しちゃいますね。
いやどっちもうまいんだけれど。
つけあわせは、フライドポテト。二度揚げかな。
皮付き。芋の甘さが出ていていい。
個人的にはもうちょっと「カリッ」としていてもいいが、
このやわらかさ、水分を保持したふっくら感は
赤身肉にとてもよく合いました。
リブロースとか脂身がおいしい部位だったら
カリッとしていてもいいかな? という感じ。
そして、小松菜の炒め。これも塩分最小限!
苦味がとてもいい。ごま油の香りがアクセント。
副菜の副菜たるべき矜恃をもった味付け。
きれいに平らげ、いま腹6分目を実践しているぼくは、
ここで打ち止めるのがちょうどいいのだけれど、
体重を増やしたい時期である同行者には
ちと足りなかったみたいだ。
お皿を片づけるお店の人に
「あの、お肉、もうちょっと‥‥」
と言い出しかけて、時間がかかるしなと諦めていた。
また来ればいいじゃないか。
デザートはパスして、セットのほうじ茶をいただいた。
さっきも書いたけど味は「攻めの薄味」。
すばらしいとぼくは褒めたのだけれど、
お店の人の表情からさっするに、
どうやらこの攻め具合が、評価されないこともあるみたい。
味が薄い(=調理が下手)ってことになっちゃうのかな?
でもここは、そもそも、肉屋。
肉の味をわかってほしいレストランなのだからこれでいいのだ。
もの足りなければコンディマンを使ってくださいと
提案してくれるし、それでいいはずなんだけどな。
ぼくは応援しますよ。
ああ、たのしい一日だったなあ。
まるで旅の続きそのものじゃないか。
いや、これで同じ場所に帰れば
旅の続きそのものなんだけれど、
(あたりまえだけど)それぞれの家に帰るわけで、
そこが日常に戻される切ない部分。
続きは、また、どこかで。