ロンドンへ行こうということになった。
友人が子供時代に住んでいたという
ロンドン郊外の家を見に行こうというのだ。
いっそロンドンに一泊して、
翌日の帰国にそなえて直接パリの空港に向かおうか、
という案も出たのだけれど、
部屋の片づけだとかパッキングだとか、
その荷物をどうしようだとか、
いろいろ勘案すると泊まりがけはやや現実的ではなく、
今回はとんぼがえりで行ってこよう、
次回ロンドンにゆっくり行くときの下見の気分でも
いいんじゃない? ということで日帰りになりました。
なにしろ自分の育った家を見に行くというイベント、
友人は5分刻みで綿密な計画を立てた。
食卓でぱちぱちとMacBookのキーを叩き、
「うわ、残り2席だって!」と言いながら
2人分のユーロスターのチケットをおさえ
(ネットってほんとに便利だなあ)、
チケットのPDFを共有する。
アンダーグラウンド(地下鉄)の乗り換えについても
現地でまごつかないように、確認を怠らない。
ああ、この人、こういう人だったよなあ。
ずいぶん何度も旅をしてきたけれど、
たいていぼくの旅につきあってくれる感じで、
毎度毎度の行き先で「えーっと、どっちだっけ?」と、
そもそもの方向音痴(学習機能なし)に加え、
行き当たりばったりの判断ばかりしている
(しかもよく間違える)ぼくとは、
まるで異なる人生なのだ。
いろいろごめんね。って謝ることもないか。
朝食はとらず、暗いうちに家を出て、
メトロでパリ北駅に向かう。
7時10分に出るユーロスターに乗るためだ。
しかもユーロスターは国際列車、かつ、
英国はEUに参加していないので、
パスポートコントロールがある。
ゆえに、改札は出発30分前に改札は閉め切られる。
行ってみてわかったんだけれど、
北駅構内で出国のみならず英国入国まで行うため、
けっこう時間がかかるのでした。
でも、ほんの数歩でフランスから英国へ!
検査官の顔つきもかわる。
ラテン系のフランスは、全体的になんだか
ほにょほにょしているが、
英国の人は「武威武威」(ぶいぶい)という感じで、
わりとおっかない。ゲルマン系だよなあ。
乗車したのは普通車(3カテゴリーのいちばん下)。
食事は出ない。リクライニングもしない。
手続き後の構内でサンドイッチとパンオレザンと
カフェクレームを買う。
しまった、こりゃ高い! いわゆる空港価格だ。
まあ「そういうもの」なので仕方がない。
手前で買っておけばよかったね。
かくして無事にユーロスター0019号はパリを出発。
サンドイッチをもぐもぐ食べていると、
あっという間に車窓は田園風景になった。
日本のように山はなく、平野が続いているから、
風景はずっと変わらない。
休耕中らしき茶色と黄色の畑が延々と広がるのみだ。
農業国、そして食料自給率の高い国なんだよねえ。
農業生産者に対する保護もあつくて、
だからパリのような都会でもあんなに安い値段で
農作物が流通してるんだよね‥‥。
というようなことを語るのならばまだしも、
じっさいはくだらない話を延々としながら(とても書けない)、
大笑いしていたらいつの間にか時間が過ぎていく。
列車はやがて「ぶわん」とトンネルに入った。
ドーヴァー海峡をくぐるのだ。
ぼくはちょっと閉所恐怖症気味のところがあるので
「いま、海底を走っているのだ」と思うだけで息が苦しくなる。
気圧が変わって鼓膜が押される。
ああここで列車がストップなんかしたらどうしよう?!
(いや、そうそう止まりゃしませんけど)、と、
持ってきたスプリングコートを頭からかぶって
がたがた震えていたいくらいなんだけれど、
まあ横には友人がいるし、なんとか耐えられそうだ。
かくしてトンネルを抜けるとそこは英国でありました。
石の国から、煉瓦の国へ。
田園風景に違いはあまりないようだけれど、
建物のスクエアさが違う。
「かっちり」あるいは「がっしり」と、
骨太で無愛想な感じ。
石のほうが、装飾の幅が広いんでしょうね、
表現に「やわらかさ」も出せるのだと気付いた。
ロンドンのセントパンクラス駅(ユーロスター発着駅)に到着。
驚いたのは、人々の足が異様に速いことである。
「ひゅん、ひゅん!」という感じだ。
その人波が途切れないものだから、
うまく流れに乗らないとはじき飛ばされそうである。
エスカレーターも、これ危ないんじゃないのと思うくらい速い。
あのいい加減でグダグダのパリから来ると、
昔のSFに出てくる管理社会みたいだ。
こりゃ相いれないわな。
さて、友人の育った街は、郊外といっても、
東京で言えば‥‥浜田山とか?(勝手な解釈です)
そのくらいの距離感とグレード感の住宅地のようだ。
駅からすこし離れたところに商店街があって、
まわりに住宅が広がっている。
なだらかな傾斜の上のほうには高そうな一軒家が、
平地にはいい感じの2棟続きの家が建ち並んでいる。
間口は狭いけれど奥行きがあって、かならず裏庭があるそうだ。
第二次世界大戦でぼろぼろになったロンドンだから、
このへんの建物は戦後物件だろうなあ。
歩く。記憶は正確らしく、ほぼ迷わずに到着。
(いちどだけ郵便屋さんに聞きましたが。)
と、ここまで延々と書いてきて何だけれど、
この話に特別なイベント性はない。事件もない。
友人は写真を何枚か撮り、
立ち話でぼくに家の間取りを説明してくれただけである。
たとえば家を見つけたとたんに感極まって
ぼろぼろ泣いてしまうとか、
あるいは着いたとたんにドアが開いて羊男が出てきて
「よく来たね、おいら、待ってたよ」と言うとかも、ない。
平日の午前中で、いまは別の家族が住む家だ。
しかも留守でもあり、いわばぼくらはただの不審者である。
記念写真(家といっしょに自分を写すという意味)も
要らない、というんだけれど、
こちとら職業柄それも勿体ないよなと、
iPhoneのパノラマ機能を使って、勝手に、
「家の写真を撮るところ」を撮ったりは、した。
つまりこれはきわめて友人の個人的な話なのだ。
‥‥なのだけれど。
客観的に見ていて思ったことがある。
場所の力というものだ。
場所と、そこに住んでいた者というのは
やっぱり特別なつながり生まれるんだなということだ。
それは、四半世紀やそこらでは、消えずに、
こうして「再会」したときに、また、なにかをくれる。
子供が隠した宝箱のようなものが、その場所から、
ぽこん、ぽこんと出てくるイメージ。
きっと「原点」に関係するなにかなんだろうとは思う。
こないだのムンクの叫びを見ていて胸のあたりにピンポン玉くらいの
情念のようなものが宿ってしまったのとはちがい、
今回のそれは澄みきった一陣の風のように、
友人を通って吹き抜けていった。
具体的にそれがなんなのか、
ぼくにはわからないんだけれど、
「きょうここに来たことには意味があるんだろうな」
ということは、わかった。
この日は、パリ滞在のなか、まるまる使える最終日。
ぼくらにはめずらしく、
いろいろな人に会うことが多かった旅だったが、
この日だけは誰にも会う予定を入れていなかった。
つまりいつものぼくらの旅のスタイルに戻った日だ。
そんな日にわざわざ日帰りでロンドンを選んだことには、
きっと何か意味があったんだろうなということだ。
「何、その意味って?」
と訊かれてもわからない。
あとになってわかるのかもしれないし、
わからないまま死ぬかもしれない。
でもまあ、このじつに何でもない光景を、ぼくは見ていた。
そして「死ぬとき思い出そうリスト」に入れた。
走馬灯の予約録画完了。
あるんですよそういうものが。
でもずいぶん貯まっちゃったな。
ハードディスクの空き容量、確認しなくちゃね。
写真を撮り終わった友人が言う。
「OK、もういいよ」
あ、そうなんだ。
じつにあっさりと、育った街の訪問を終える。
ぼくらはふたたびアンダーグラウンドで
市内中心部に向かった。
じつはぼくはロンドンが初めてなのだ。
だから「武井さんはなにかしたいことはあるのかな?」
と訊かれても、すぐに答えられるほどの知識がない。
そうだなあ、時間があればテートモダン(美術館)を見るとか、
あとは、DOVER STREET MARKETに行くとか?
ちなみに予定としては、13時からインド料理の店に
ランチの予約を入れている。
それと、帰りの列車の時刻だけが時間的制約である。
「じゃあ、DOVER STREET MARKETに行こう!」
ということになる。
DSMは、川久保玲さんがつくった、
コムデギャルソンを中心にしたセレクトショップ。
銀座にもあるんだけれど、こちらが本家。
なにしろDOVER STREETにあるのだ。
東京でしょっちゅう「いま何があるんだろ」と見に行くので、
品揃えが極端に違うわけでもないだろうし、
なにかを買いたいわけでもないのだが、
ぼくはCOMME des GARÇONSのファンなので、
こういうのは「詣でる」行為に近い。お伊勢さんですね。
といいつつ、とくべつなものがあればちょっと買ってもいいかな、
と思ってもいたんだけれど、別にそれもなくって、
行ったこと自体に満足しちゃいました。
意義としては、あのかっちりした国でパンクが生まれた、
ということの延長線上にCOMME des GARÇONSがあるんだな、
ということが、東京よりも皮膚感覚でわかった、とうことかな。
あのアヴァンギャルドを
「大人が」この地で身につけるのって、
いまだに強い反骨精神の表現になるだろうからなあ。
通りがかったSelfridges(わりと高級なデパート)で
アップルウォッチの展示をしているのを見つけた。
おお、初見。見よう見よう。
おお、これは‥‥ガジェットとしてなかなかかわいいね。
この小ささであんなにいろんなことをするのは、
ローガンズのぼくにとって実用品かと言われると
それってどうなの、と思うところもあるけれど、
それを差し引いても、ちょっとほしくなる。
しかし、時計好きとしては複雑だ。
いろんな機能を満足に使うためには
常にこれをつけていなければならない。
つまり、いましている好きな時計(チュードルの
プリンス・デイト+デイのユニークダイアル)はどうする。
1920年代のオメガのレクタングルや
1950年代のロレックスをするたのしみはどうなる。
あ、なんかかんじわるいこと書いてる!
でも、そうなのだ、けっこうな問題なのですこれ。
もしかしたらそういう時計市場をかき回すことになるのは
アップルの野望というか本望なのもかもしれないが、
いくらアップル信者とはいえ、
ちょっとそれは困っちゃうなと思う。
さて、昼食。インド料理を予約している。
前日に友人が丁寧にメールを書いて席をおさえてくれたのだ。
ロンドンといえば何? と、
パリ在住のフードジャーナリスト川村明子氏にたずねたところ、
東京カリ~番長の水野仁輔氏もおすすめの
(この人はロンドンに私費カレー遊学をしていた)
店があるという。
名前はTrishna。要予約(平日昼はそうでもないかも)。
いわゆるモダン・インディアン・キュイジーヌ。
「でも、それって、カレーだよね?!」
そう、カレーなんです。たかがカレー。
ぼくもそう思っていたし、
じつはそんなに過度の期待はしていなかった。
なぜなら、期待っていうのは、
これまで食べてきた味を基準にしているわけで、
その味の記憶に支配されているゆえに、
ぽーんとジャンプして飛び越えることができないのだ。
そういうものだ。
が! 期待を大きく上回るとはこのこと。
感動というよりも、悲鳴もの。
インド料理ってここまで進化していたんだ!
ぼくらは目をみはりながら、知らない世界に舌鼓。
なんでもかんでもカレー味、というのとは違う。
和食が「最上の素材」に
「だしとしょうゆ」を使うように、
この料理は「スパイス」を使うということだ。
たとえばサーモンの火の通し具合。
シーフードサラダ(ホットサラダです)の、イカの揚げ具合。
カレーの、エビのぷりぷり具合。
すばらしい。和食にもフレンチにも共通する、
「下ごしらえ」段階での技術が高い。
この素材なら、和食にもなるしフレンチにもなる。
そこに、スパイスで味と彩りを加えると、
こんなふうなモダン・インディアン・キュイジーヌになるわけだ。
いやあ、おいしかったなあ。
この潮流って日本には来ていないのかな?
こんど水野仁輔氏に訊いてみようっと。
昼食が遅めだったので、16時01分ロンドン発の
ユーロスターに乗るためには、ぎりぎりでも15時半には
セントパンクラス駅に到着していなければならない。
そんななか、Jean-Paulに教えてもらった
Borough Marketを見学することに。
15分くらいしか余裕がないので、ざっと見るだけなんだけど、
なるほどここはすごいね。
ヨーロッパ中の食材を集めた感じ。
個別の店が、整然とではなく、
曲がりくねった小道のように配置されていて、
歩くだけでも楽しい。
市場×遊園地みたいな楽しさ。
イタリアのハムだとかフランスのチーズだとか、
ギリシアのオリーブオイルだとか、
夢のような食材が並んでいる。
ロンドンに住むことがあったら、かなり便利に使うだろうな。
イギリス「ならでは」のものも、
あることはあるんだけど、そんなに目立たない。
そこはまあ、ほら、食文化が違うからなあ。
でも、食肉の感じとか、パイの専門店があるとか、
そういうところで英国を感じることはできる。
JPのおすすめはNeil's Yard Dairyというお店の
英国フレッシュチーズだったのだけれど、
残念ながら発見ならず。
ぼくは八百屋のショッピングバッグをひとつ買いました。
ちょっと余裕をもって、駅へ。
帰路のパスポートコントロールは、
なにしろフランス側がゆるいので、
パリを出発するときのような緊張感はない。
くたびれて眠っているうちにパリに到着しました。
そしてパリでぼくは思うのだ。
ああ、パリ、ラクだなあと。
ロンドンに比べたら歩く速度ものんびりだし、
「整然と」なんてしていない。
地下鉄がじつに「だんまり」でシーンとしている
(そして掃除が行き届いている)ロンドンに比べ、
パリはそりゃあもう散らかってるし、
人々はずっとおしゃべりしている。
その肩の凝らない感じがぼくは好きみたいだ。
部屋に戻って、翌日の帰国のためのパッキングをする。
出発のパッキングは何を持っていくかを考えるから
時間がかかっちゃうんだけれど、
帰国のパッキングは放り込めばいいのでラクだ。
まだ使う調理道具や着替えを別にして完了。
夕飯は家で。冷蔵庫の残り食材だけでは
ちょっとたんぱく質が足りないので、
大きめのスーパーに寄ってバベット(ハラミ)2枚と水を買う。
フルーツを入れたサラダをつくり、
バターでバベットを焼いて、オニオンを横で加熱する。
表面をこんがり、中をレアに焼いたバベットを取り出し、
肉汁と赤ワインと醤油でソースをつくる。
バベットは切ってからフライパンに戻してソースと和える。
別のフライパンでチーズオムレツを焼き、
そのフライパンを洗わずにビリヤニをあたため、
タラモをつけて食べることにする。
できあがった料理を前に、
ひさしぶりに二人でいろんな話をする。
旅の変容について、人生の転換点について、
そして、あらがうべきではない運命の流れについて。
ぼくが(ぼくらが)旅において
何を大事にしているのかということについて。
こんな場所だからできる、
そして特別なともだちとしかできない、特別な話だ。
ぼくはなんだか胸がいっぱいであまり食べられない。
人のセンチメントにまったく影響されたりしない彼は
とても元気でぜんぶ平らげていた。