あれだけ旅行記を書いておいて
こんなこと言うのは何だけど、
こうして日常に戻ってきて思い出すのは、
文章になんてならない(というか、しても、せんない)
ようなことばかりだ。
些細な、あるいはささやかな、ほんのちょっとしたこと。
たとえば冷蔵庫のドアの軽さだとか、
玄関の鍵の力の入れ具合だとかもそうだ。
バスルームの水栓の具合、洗濯機のスイッチ。
食洗機のドアをガコンと閉める、その具合。
らせん階段を昇り降りするときに見える景色、
すぐに外れちゃう窓の桟、
どう説明していいかわからない窓の鍵のかけ方。
ラジエーターにかけておくと
ぱりんぱりんに乾いちゃう洗濯物。
気配、やりとり、くだらないこと、
食卓に座ると見えるソファ側の景色。
気配。
それから、思い出したくてもうまく思い出せない、
匂い、温度、湿度だとか。
旅の終わり、空港に向かうときの景色はちょっと苦手だ。
そぞろ歩く人々。
彼らにはこの土地に帰る場所がある。
かりそめの住人には、もう、それがない。
さっきまで、あったのになあ。
このあと、もう、ぼくらは、この街から消えるんだ。
これって、いわば、一回死んじゃうようなもんだよなあ。
(また生き返ればいいんだけど!)
最初の旅のときのように、もう泣きはしないけれど、
やっぱりちょっとせつない。
だから知らん顔をしている。
また来ればいいんだから。
覚えておこう(覚えておいてくれよ)、という気持ちと、
忘れちゃうなあ(忘れちゃっていいからさ)、という気持ちは、
ぼくのなかでほとんど同義だなあ。