休暇用にとっておいた『1Q84』を読了。
時間はたっぷりあるので早食いせずに
ゆっくりゆっくり読み進めていく。
1巻で提示された個々の物語は、何度かページを戻って楽しみ、
二重らせんのようにぐるぐると渦を巻き始めた2巻は、
上手に設計されたジェットコースターみたいに、
レールはあるのにどこへ行くかわからない恐怖を感じつつ、
一気に読み終えた。
残りページ数を気にして「も、もうすぐ終わっちゃう!」と思い、
「このとんでもない物語がこの残りページ数で終わるわけがない」
と確信して終わりました。
第3巻が楽しみ。
春樹さんの言う「スパゲティ小説」じゃないけど、
食欲にも読書欲にも抗えず、朝、本を読みながら、焼豚を焼く。
飯島さんのレシピ、
オーブンでの前半30分はほっといても大丈夫なんだけど、
後半30分は5分おきにタレをからめないといけないので、
本を持ったままキッチンタイマーの前で立ち読みをする。
焼豚小説か。
とてもおいしくできました。
ソファでは、
配置替えをしたばかりのスピーカーでCDを聴きながら読む。
どうも均等にまんなかから聞こえない。
そうか、Rが近くLが遠いんだな。
左右のバランスをちょっと変える。
小説を読む時は、できるだけ邪魔にならず、
でも、上手なBGMになってくれる音楽がいい。
日本語を読んでいるので、日本語の歌詞があるものはダメ。
最初はビートルズのモノボックスをかけてたんだけど
雑な感じで頭のなかに
二十歳前後のろくでもない(愛すべき)思い出とかが
よみがえってきて面倒。
それにビートルズは、半端に覚えている歌詞のせいで、
つい歌っちゃったりしていけない。
フランソワ・ド・ルーべをかけ、民族音楽をかけたりして、
結局、アストル・ピアソラの『アディオス・ノニーノ』に落ち着く。
いろんな録音がある『アディオス・ノニーノ』だけど、
キンテートでのオリジナル録音(61年)は持ってなくて、
ぼくの手元にあるのは69年録音の
「ピアノのカデンツァをフィーチャーしたキンテート用の編曲」。
控えめで、かなしくて、でも静かに炎が燃えている感じがする。
ろうそくの炎を消さないよう消さないように歩いている感じがする。
『アディオス・ノニーノ』は最近(といっても故人ですが)のものだと
82年のライブ・イン・トーキョーという版にも入ってるけど、
これは、客席の期待がものすごくて、
それに応えようとするアストルのすさまじい演奏を聴くことができる。
こちらはろうそくじゃなくて、たいまつをがんがん焚いている気がする。
……という意味では、とても華やかでいいんだけれど、
ちょっと派手すぎて、楽曲にこめられているはずの
物語がおいてけぼりになっているきらいがある。
ちなみにアディオス・ノニーノは「さよなら、父さん」。
便利なウィキペディアによると
「1959年10月、ファン・カルロス・コーペス舞踏団とともに
プエルトリコ巡業中、父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が
故郷で亡くなった知らせを受けた。
しかし、ピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなかった。
ニューヨークに戻り、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが
『アディオス・ノニーノ』である。」
ということだ。
ほんとうに偶然なんだけどこの「父をなくす」というテーマが
『1Q84』とも重なっていて、
いまごろぞっとしたりして。
さらに、チーフタンズとか、グルジアの男声合唱団とか、
そのあたりをかけながら読みました。
春樹さんの小説には、辺境の音楽が、合うみたいだ。
ところでストーリーじゃないところでの感想なんだけど
この人のベースにある「必要」という考え方はとても好きだ。
自分が必要だと確信したものについては
誰が何と言おうと背筋を伸ばして我を通す主人公たちに、
ぼくはかなり好感をいだいている。
読書中、なんども、死んだ友達のことを思い出す。
それから生きている友達のことも。
さーてカレーでも食べるかな。
そのあと山田詠美『学問』を読もうかな。