●宿が決まった! ほっ。
パリの宿探し、パソコン便利! インターネット便利!
とことん調べないと気が済まない性質なので、
マレとサンジェルマン・デ・プレの
三つ星ホテルには詳しくなりましたよ。
三つ星というのは「そこそこ」クラス。
四つ星の上、というのが最高クラスで
四つ星の並、でもかなりいいクラス。
そこらへんは一泊300ユーロとか、ざらにある。
それはとんでもないにしても、
ちゃんと快適なホテルで、しかも、
一泊150ユーロにおさえたい、
よほど気に入れば200‥‥と思っていて、
そのあたりを探すには三つ星なのでした。
で、小さいホテル。
インテリアが、ちょっと面白いホテル。
いいリノベーションをしているホテル。
にぎやかで庶民的で、ぼくでもひとりでごはんが食べられる
雰囲気のレストランがあるあたり。
と、いうことでマレかサンジェルマン・デ・プレの三つ星。
さて、そうやって挙げたリストから
どう絞り込んで行こうかと思ったら行き詰まった。
本屋で探しても、パリを特集している本とかムックって
まぁ要するに女性誌系、それも流行りは「セレブ」のようで、
「プチセレブ」‥‥なんじゃそりゃ!
中年男のひとりパリにはちっともふさわしくない。
ツアーで使われるホテルや、そういう女性誌に
たびたび登場するホテルは、きっと丸の内なOLさんが
大挙して泊まっているにちがいない。
はぢかしいので、やだ。
しかし、場末な宿も、やだ。
その場末感というのは、ネットからはわからない‥‥
と悩んでいたところ、さとしさんから救いの手が。
フランスにともだちがいるというのです。
さっそく縁を結んでいただき、連絡をとったところ、
そのかたはあっという間にマレ地区のホテルを見てきてくれて
(そのかた、地元なのです)
「ここは印象がよかった」「ここはおすすめできないですよ」
というようなリストを、即日くださったのです!
それをもとに「ここだ!」と決めたのが、
オテル・ブール・ティブール。
ジャック・ガルシア(というインテリアデザイナーであり、
舞台美術なども手がける人)が内装を担当したということで、
じつはその前に候補にしていた
オテル・プチ・ムーランという、
パン屋をクリスチャン・ラクロアが改築したという
不思議なホテルがあったのだけれど、
5連泊がかなわず(しかも高め!)諦めていたものだから、
ちょっとニュアンスが似ているブール・ティブールに
魅かれてしまったというわけです。
で、ホテルに予約のメール。
自動検索では「空室あり」だったのに
ホテルからの返答は「満室」。
あれー?!
ちなみに、ここを紹介してくださったかたは
このホテルに実際行って、
「空室あり」を確かめてくださっていたのですよ。
てことは、この数時間で満室?!
そんなこと、あるかなあ‥‥。
「残念ながら‥‥」という報告をしたところ、
「わたしがもういちど行きます!
それでだめなら、諦めもつくでしょう」と、
指を交差させて「ボン・ションス!」と祈りながら
(フランス式幸運のおまじないだそうです)
走って(!)行ってきてくださった。
そしたら、「空室ありでした」?!?!
‥‥この謎は簡単にとけた。
「フランス人は絶対面倒くさがって
メールでの予約とかは適当な事を言って
もう満室!って事にしちゃう」んだそうです。
予約を必死に受けなくても自然に満杯になるから、
メールで煩わしいのはごめんだわ、ということか‥‥
さすがフランス? いきなり洗礼うけたかんじ‥‥。
それで、いまホテルとの
メールのやりとりをして予約完了です。
これでほんとに行くことになりました。
●パリとおこげと手ぬぐい。
バリに行くのかと聞かれますがちがいます、
パリです。おフランスざんすよ。シェー!
朝からごはん炊きながら
「プーレージュヴォワーラカルトゥ?」
(メニュー見せてくださいな)
などと裏声で練習しているのは私です。
R行の発音が「ゲッ」になるうえに、
なぜ口をつき出して裏声になるのか。
なぜ眉が上がるのか。なぜ小森のおばちゃまのように
肩をすくめて手をぷるぷる震わせてしまうのか。
おそるべしフランス語!
なんてやってたら、火を消しわすれて、
ごはんがおこげになってしまいました!
それにしても牛の腰肉とあばら肉と
下腹部の肉(ってどこ?)が
ぜんぶ言葉が違うっていうのはどうなの。
覚え切れないじゃないか。ぜんぶ食わせろ。
さてせっかくのパリざんすのにひとりざんす。
だいたいカップル文化の国で年末にひとりって
淋しくなくなくない?
ま、マレ地区ならば、男ひとりで、
なんかもそもそと食べてても大丈夫だとは思うけどさ。
そんななかうれしいしらせが。
N社のOさんという、同い年のマダムが、
旦那さんと娘さんとともに同じ飛行機で渡欧するので
一回くらいご飯食べましょうと誘ってくれた!
言ってみるもんだなあ‥‥
O一家は、その日、ポンピドーセンターの上の
ジョルジュというレストランを予約済みだそうだ。
えっ。もう。
旅行会社の人に、年末のレストランは予約すべしと
言われたそうなんだよね‥‥
一家はインターコンチネンタルに泊まるそうで、
そうか、そういう旅行の人はそりゃそうだよね。
ジョルジュというのは、パリで今をときめく
空間プロデューサーのコスト兄弟という人たちが
つくったレストランだということです。
味はそこそこだけど、サービスがよくて、
インテリアもスタッフもオシャレみたい。
客もオシャレみたい。望むところです。
コム デ ギャルソン着てく!
デブ デ ギャルソンだ文句あっか!
でも縮絨のジャケットって、
まるでクリーニングしてないみたいに
見えやしないですかね。
かえって品位が試されそうな気がするけど。
で、写真ですが、そんな話とはまったく関係なくて、
きのう浜町の友人宅で「かんと炊きの会」。
染色作家の小倉さんに
「ところてん」柄の手ぬぐいをいただいた。
来年このかたの浴衣を買う予定!
●写真と肉。
朝一番でカメラの師匠というか年長の友人でもある
OEさんのスタジオへ。
パスポートを更新するのに、
顔写真を撮ってもらうのである。
証明写真をわざわざプロに‥‥って、
おおげさですけどね、でもパスポートってさ、
10年使うんだよね?!
10年だよ?!
そんなの知らない写真屋で撮っていいの?
自動写真機もよくないよねえ?
後悔したまま10年はやばくない?
と、まあ、思いまして、
それは10年前にも同じことを思ったので
やはりOEさんに撮影してもらったんですけど、
もう10年経ったわけね‥‥
つまり現パスポートのぼくは29歳。
こんどのパスポートは49歳まで使うわけだ。
49歳って!!! 考えたくない。
ちなみにOEさんの人物写真の特徴は
「いい人」にうつることである。
おっとりとおおらかなかんじになる。
はずなんだが、なぜか「犯人?」に思える。
それは写真の腕ではなく素材の問題です。
いろいろ撮ってもらった結果、
やはり、なかなかいい人な感じ‥‥
になった気がするものの、
ワハハ本舗の人にも見えるのは
OEさんがワハハの写真を撮っているせいでしょうか。
「ついでにちょっとポートレート撮っとこうか」
というわけで、パスポートには使えないけど
角度つけたのも撮ってくれたけど
ますますワハハな感じになるので弱った。
そして同じ日、Sさんともお会いする。
一眼レフ・リターンズの私。
新しいレンズがほしいほしいと訴えていたのを覚えておいでで
コンタックスの35ミリ(F2.8)と、
50ミリ(F1.4)のレンズを貸してくださる。
うわー!!!
どんな写真が撮れるのか、週末がたのしみ。
さらに、年末年始に持ってくネガフィルムの相談。
Sさんの意見はこう。
◆1種類なら、FUJI PRO 400。やわらかい色。
やわらかすぎるなら、800にして+1で増感すると
硬くなります。
◆ヨーロッパ的な色なら、Agfaのポートレート(160)。
ちょっと高いけど。
◆モノクロなら、イルフォードのHP5。
エルスケンがオランダからパリに来たとき
持っていたのが、ローライと、このフィルムだった。
◆個人的にはコダックのトライX、
元気がよくて好み。
なるほどなるほど。いろいろ試してみます。
物語好きとしては、イルフォードにアグファかな?
週末に買いに行ってきます。
「ぜひ冬のプラハで、モノクロで撮ってみたらいいですよ」
とのこと。そりゃ雰囲気ありそうだなあ!
夜「ローブリュー」へ。
昼を抜いて臨みました。
だって、頭のてっぺんまで豚肉に浸かるレストランですよ。
油は9グラムで300kcalですよ。
そう言いながらも、
肉といえばこいつ! という相棒と、
★のど肉と皮のテリーヌ
★(バスクの)田舎風テリーヌ
★アンディーブとブルーチーズのサラダ
★ポロネギの温製
★豚足のパン粉焼き
★やんばる島豚のグリエ
★フロマージュブラン
★チョコレートプリン
を食べる。食べる。食べる。
あれ、足りない?
「足りないって言われるととっても困るんですけど」
と、強面のスタッフ(ここのスタッフはみんな強面)に
情けない顔をされつつ、大丈夫です、
足りたことにします! と、帰ってきました。
ほとんど炭水化物とってないから、
満腹感がね、ちょっと違うんだね。
ガス水は2リットル飲みました。
暗い照明の店なので、うまく撮れた写真は1枚だけ。
小さなデジカメは便利だけど、
フィルムの味をおぼえてしまったので、
ニュアンスに欠ける気がしてならない。
ところでローブリューはほんとうにおいしい。
そしてこのおいしさは、ほかの店で味わったことがない!
食べたいものを列挙すれば、量を調整してくれるというのも
うれしいサービスだし。
それにしても今回初めて食べた豚足のパン粉焼き。
もともと豚足は大好物なんだけど
ありゃすごかったブー。
● NATURA1600の威力。
50mm/F1.4の明るいレンズをつけて、
マンジャ・ペッシェに行ってみました。
フジフィルムの「パレットプラザ」に持ってくと
すぐにCDに焼いてくれるから便利(30分くらい)。
うわあ、予想より「ぼけぐあい」がキレイだ‥‥。
牡蠣もおいしそうだー。
パスタもうまそうだー。
人はどうかな?
料理長の小川さん、いい感じ。
厨房の中もいい感じ。
外の知らない人もいい感じ。
静物はどうでしょ。
ふむふむ、いい感じ。
さすが、いいレンズ、いいフィルム!
ISOが1600ゆえ、粒子は粗いですけど、
それもニュアンスになりえる美しさ。
50ミリという画角も、
標準レンズと言われるだけあって、
「どこを見ているか、が表現しやすい」
と思った。自分の写真という感じがします。
35ミリも借りたんですが、こっちはF2.8なので、
持っている28ミリのレンズとのちがいが、
あまりありませんでした。
明るくないんだったら28ミリでいいかな。
しかし「35ミリのF1.4」を試してみたいなあ〜。
フィルムで撮る写真、仕上がりを見てみると、
「自分の視線」と「背景にあったもの」の両方が
だいじなかんじに写っているのがいいなあと思いました。
あと、湿気が写るというか‥‥
前にバリに社員旅行で行った時のデジカメ写真があるんですけど
デジタルですからとてもクリアできれいなんですが
(CONTAXだし)
湿気が写ってないなあと、くらべてみて、思ったですよ。
ということを写真家に言いましたら、
「なぜなら、この地球上の大気は当然水分を含んでいますよね?
人はその感じを、何となく感じることが出来ているわけです。
そして、それはおそらく偶然のことなのかもしれませんが、
アナログの写真のほとんどは、フイルム上の乳剤を含めて、
水分を含んでいます。
その上、現像プロセスにおいても水を使います。
だから、物理的にもアナログ写真には、湿度が含まれています。
そんな偶然が、湿度を感じさせることに
つながっているのかもしれませんね?
そして、そここそがデジタルの次なる課題だと、
ぼくは思っています。
それこそ、デジカメは水物はとても苦手です。」
という答え。
なるほど!!!
●行く人来る人。
とある場所で、人づてに、せつない別れの話を聞く。
知ってる人がひとり、いなくなった。
ちょい、がく然とする。知らなかった。
その話をしてくれた人も、心にぽっかり穴が開いたと言う。
伝染性の穴らしく、ぼくの心にも穴が開く。
まいったな。
それでも今週はなにしろだいじな友達と
「ローブリュー」に行くことができたので
それ(あの豚足のネトネトとか!)を思い出すだけで
ムフフフフと幸せな気分になる。
なるのだが、その後にあいた穴から、
ちょうどやってきた冬の冷たい風が
吹き込んで来る気がしてならない。
ううむ、心が冷えそうだ。
豚足のコラーゲンでじょうぶな膜を張らねばいけないね。
むしゃむしゃむしゃ‥‥。
そうそう、昨日は写真の話で終始してしまった
マンジャ・ペッシェですけれど、
ぼくががつがつと定食を食べていたら、
おなじみのデブのソムリエ君
(↑こう書けと本人が言ったんですよ!)が
「たけいさんたけいさん、うれしい話が! ブヒブヒ」
と、たのしげに、話してくれた。ブヒブヒは嘘です。
彼によると、ぼくのHPを読んで、
マンジャ・ペッシェにかねてから行きたいと
思ってくれた女性がいるというのだ!
そしてその人が、週末の夜に、
司法書士の試験を、難関突破したお祝いの食事会で
はじめて来店されたのだという。
「たけいさんのHPを読んで、
ずっと来たいと思ってくださっていたそうですよ!」
うれしいじゃないですか!!!
お会いしたことのないかただけれど、
ほんとうに、おめでとうございます。
試験勉強たいへんだったでしょう‥‥
マンジャ・ペッシェのあのおいしいごはんが
あなたの未来をお祝いしてくれたことを、
とてもうれしく思います。
いまはモンテビアンコが絶品ですが食べました?
ところでパリ。
なぜぼくがそこまで
(中年ぶらりひとりパリの旅を決行してまで)
ダダ展を見たいのかというと、
「卒論がダダ」というだけではない、
ちょっとした訳があるのだった。
ぼくの卒論の担当教官は、高見堅志郎先生といって、
武蔵野美術大学の教授で、客員で来ている先生だった。
ぼくはこの美術史を勉強するというヘンテコな学科に
なんとなくな気分で行ったんだけど、
この先生の授業を受けてから、ががががごがごがごっ、と、
はまってしまったのだった。20世紀美術というやつに。
第二次世界大戦を背景にしての前衛的と呼ばれる芸術家たちの
なんだかどうしようもないやるせないくらいのエネルギーと、
政治的な発言はただの隠れみのじゃないの、
と思えるくらい、とてもうつくしい表現に打ちのめされた。
そして卒論に、シュヴィッタースとアルプという、
孤高の芸術家ふたりをとりあげたんだけれど、
それを高見先生はとてもほめてくださって、
卒論の面接は
「なにも言うことがありません。焼き肉食べに行きましょう」
という一言で終わった。
焼き肉を食べながら、きみは物書きになるのかとおっしゃった。
そういえばそんな夢を持って大学に入った気もするけど、
現実はそういうもんじゃないよなあと思って
「いつか、なりたいです」というようなことを言って
お茶をにごした22歳のたけちゃんであった。
「物書きになるのならぜひ美術評論を書いてください。
でもそれじゃすぐに食べられないだろうから、
英語以外の外国語をひとつ、なんでもいいから
勉強しなさい。翻訳ができるくらいになれば
それで食べていけるから」
ビールを飲みながらそうおっしゃったのを
とてもよく覚えている。
大学院に行ったほうがいいんでしょうかと訊いたら、
よしなさい、ろくなところじゃないと教えてくれた。
在野でいたほうがどれだけ自由かと。
しかし不肖の弟子はその後なんだかんだどたばたと
美術に関することなんてまったくなにもかかわらずに
もちろん外国語なんてとても中途半端のままに
もちろん物書きにもならずに
あっという間に40歳になろうとしている。
高見先生が亡くなったのは62歳、1996年のことで、
ぼくはそれをあとから知ったのだけれど、
卒業後はまったくおつきあいがなかったものだから
まだちゃんと手を合わせることができていない。
なんかね、顔向けできるようなふうに
ぼくはなっていないんだよな、と思ったりして。
そんなモヤモヤがあるものだから、
ダダの作品をまとめて見る機会が年末年始にあるんなら
行く気になったんだと思う。
これ逃すと、またこの先もやもやしちゃうだろうなあ、
と思うんである。
ダダ展に行くことを決めてから
強烈に高見先生のことを思い出すようになった。
見たからどうなるってわけでもないんだろうけど、
少なくとも先生は死んじゃってこの展覧会は見れないんだから、
ぼくがかわりに見てきてあげます。
ああ生意気なり!