クリスマスだった。
そうか、南イタリアの、というか
カソリックのクリスマスというのは
こういうものなんだなあ、というクリスマスでした。
日本の元日と似ていて、
ひとびとは家族で教会に行き、
食卓をともにする。
お店はほとんど開いていないし、
「友達と遊ぶ」とか
「恋人と逢う」ということも、なさそう。
用事があれば会うんだろうけど、
まだ家族じゃないから、
「クリスマスを一緒に過ごす」というのは
どうやらちがうみたいです。
宿のオーナーのダリオも、お母さんのところに泊まり、
27人分だかの料理をつくるというので留守‥‥のはずが、
スパゲッティの朝食をすませたあとひょっこり現れ、
手際よくカンノーリをつくり、ベリータルトをつくり、
コーヒーを淹れ、頼んでおいた肉を届けて去っていった。
期せずしてクリスマスの朝がクリスマスらしくなりました。
いやはやこのカンノーリとベリータルト、カッサータが
ひじょうにおいしかった。
きのうの(お店で買ってきてくれた)は
いわゆる伝統菓子のつくりかたで、
もんのすごい甘い。ちょっとつらいくらい甘い。
でもきょうのは、甘さひかえめ、とても現代的。
このまま東京のイタリアン・レストランで提供したら
「あそこのカンノーリ食べた?!」と話題になりそうな味だ。
お肉は、羊を1/2頭(そうでしか頼めなかったのです)と、
ソテー用の豚肉。冷蔵庫にしまって、今後の食材にします。
さてクリスマスは街が閑散としているというが、
そういう日は散歩に最適であるということを
私は経験的に知っている。
車があぶないこともないだろうし歩行者が少ないから見通しもいい。
まあ、観光地的なミュージアムとかは閉まっているだろうけど、
ぽつんと開いているカフェなんかあったりしたら
たいへんうれしいわけです。
ということで散歩に出る。
宿を出てすこし歩いたら大きな教会から賛美歌が聞こえてきた。
こっそりのぞくと、観光客のかたは1ユーロを寄付ください、
という表示があったので、
入ってもよさそうだと、そっと入る。
まさしくクリスマスのミサの真っ最中。
巨大な建造物にひびく賛美歌は、それはもうすばらしく
(響きがいいからというのもありますね)、
じっと聞いていたのだが、人々の祈る様子を見ていて、
どうも日本の初詣とは根本的に何かが違うなあと思う。
ああそうか、こういう場でこういう声を聞いていると、
「ああごめんなさいがんばって生きていきます」
というような殊勝な気持ちになるのだろうなあ。
「神様、私たちを生かしてくれてありがとうございます」というかんじ。
でも日本だと「かみさまー、あれください!
これもください! こうなりますようにー!」
みたいな、くれくれタコラ状態になるわけで、
‥‥まあどっちがいいというわけでもないだろう。
悲しみもいつくしみも欲望もみんな人の業。
で、ぼくは何を思ったかというと、
「こんな年末に、いろいろありがとう、神様」ということです。
寂しさも嬉しさも含めて、最高のクリスマスです。
●
さて、われわれは3人で行動をしているのだが、
あと1人(物知りな人)が到着するまでのことを考えず、
この先着組の3人は、なにひとつ予習をしてこなかった。
「だれかしてくるだろう」ていどに思っていたのか、
それとも「旅は行き当たりばったりがいい」と思っているのか、
じぶんについては忙しくて本を読み込んだりするひまがなく、
もういいや、そのまま行っちゃえという感じだったのです。
だから、ひどいですよ。
いちおうダリオがくれた
歴史的建造物がわかる地図を手に歩いてみるも、
会話たるや惨憺たるものだ。
「古い建物ねえ」
「いつくらいなんだろ?」
「かなり古いですよね」
「そうとう古いね」
「ぼろぼろだものね」
「でも当時はゴージャスだっただろうね」
「そうよ、きっとシチリアが栄華を誇った時代があるのよ」
「いつ?」
「えーっと、けっこう昔じゃない?」
「そうだよね、けっこう昔だろうね」
「あんがい昔にちがいないわ」
こんな会話はとても地元の人に聞かせられない。
シチリア通の人にも怒られそうだ。
でもぼくの(いまではわりと詳しい)パリも
最初はそうだった。
最初の旅から帰っていろんな本を読んで
「そうだったのか!」と知り、次はその知識をかかえて、
何度も行くようになった、
シチリアも縁があればまた来られるでしょう。
パレルモ、なかなか味わいのある街だしあぶなくないし。
というわけでとくに説明なしで写真をどうぞ。
最後は海に出て(パレルモは海辺の街です)、
ヨットハーバーのデッキみたいなところに
一軒だけ開いているカフェレストランを発見。
これこれ、これですよ。こういうのがいいんです。
室内ではわりとお金持ちっぽい家族がごはんを食べている。
日差しは強く風は凪いでいるので、
テラス席に座るととても気持ちがよく、
こちらではカフェ的に使っている人がちらほら。
ということで店内に合図をして、座ってみたんだけれど、
20分くらい座っていても誰も注文をとりに来ない。
まあいっか、只で休めたと思えば、と帰ろうかとしたら
「何にしますか」とのんびりしたかんじで
わりと格好のいいお兄ちゃんが来た。
じゃあ、白ワインを1杯ください。
‥‥ああ、うまい。
こういう、なんでもない倖せというのは、
共有したくなるものだ。
ここにいないともだちのことを考えてもせんないけれど、
「ああ、連れてきたいなあ」って思っちゃいますね。
元気でいるかなー。
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ゆうがた戻って、はやめの夕飯。
というか、ほろ酔いのままスプマンテ(ロゼ)を開栓、
チーズを出し、硬いのはそのまま、
モッツァレラはトマトと和えてカプレーゼに、
それからポテトチップスを出して簡易的な前菜に。
ひどく酔っぱらう前に、まぐろをにんにくとこしょうでソテー。
血合いがたっぷりなのが好み。
まるでクリスマスらしくないけど、べつにいいです。
歩いてくたびれたたせいか、
あるいは移動の疲れが今ごろ出たのか、
ひとり消えふたり消え、
またもやひとり飲みになってしまった。
リビングルームでワインを飲みながら
機嫌よく歌を歌ったりしていたものの
(天井が高いから歌が上手にきこえる)、
なにをやっとるんじゃという気分にもなり、寝室に戻る。
洗濯ものをつけおきして(朝干そうかと)、
東京とLINEのメッセージのやりとりをして
気がついたら3時間ほど経っておりました。
枕をぎゅうっと抱いて眠りました。