夕べしゃべっていたのは
「せつなさ」についてのことだった。
1ヶ月毎晩帰宅後ひとりになって
号泣しないと消化できなかったような、
あんなにつらいことはもう二度とイヤだと思いながらも、
だんだんと年齢を重ねてくると
「ささやかな」せつなさを味わう感覚というものは、
鈍ってくるような気がする。
音楽を聞いて涙したり、どこかに連れていかれちゃったり、
そういうことが減ったり、
じょうずに回避するようになるよね、
なんていうことを話してから眠ったのだけれど、
見事に「ささやかな」とはとても言えない、
強烈な喪失感を味わわせてくれる夢を見た。
どんな夢かは内緒だけど、それはとても具体的で、
ぼくを打ちのめすのにこんなに効果的な方法はないという、
夢をつかさどる神様がいるならば、彼(あるいは彼女)は
そうとう意地悪な内容だった。
あれが現実だったらぼくはしばらく立ち直れないだろうし
これを書いている今もずしんと心に残っている。
そのくらい、実感をともなった夢だった。
そう、実感。あれはフィクションなのに。夢なのに。
でもそれはまるですぐれた映画のように、
フィクションとノンフィクションの境界線を破壊して、
ぼくの心をぎゅうっと、破壊寸前のぎりぎりのところまで、
潰していった。
ほら、絞り出せば、まだ、出るじゃないか。
こんな液体が。
かなしみやせつなさは、いくらでも、
こうして出てくるものなんだぜ、
と言わんばかりに。
妙な夢だったなあ。
からだとこころをつなぐラインが
急につながっちゃう感じ。
旅に出るとこういうちょっとした「不思議」が、
ときどき、あったりする。
前回のパリ(チョイ住みのロケ)では、
寝しなの幻聴だった。
でも、怖いものじゃなくて、うんと楽しいものだった。
ぼくはまだ眠っておらず、
酔っぱらったまま目を閉じている状態。
部屋は暗く、ふとんを肩までかけて、
枕に頭をしずめながら、
その声は部屋中にひびいているのを聞いていた。
カフェの喧騒のような、フランス語。
それもかなりはっきりとした会話をするひとびとが、
12組くらいかな、部屋のあちこちにいた。
あまりにはっきり聞こえるものだから、
目を開けてみたのだけれど、その声はやむことがなかった。
あれは、死せる人々なのかなあ。
それともぼくの音の記憶が表出したものなのかな。
ほんとうのカフェならば、自分を起点に、テーブルの位置で
それぞれの距離感に基づいた会話の聞こえ方をするし、
たいていは全体がひとつのようになって、
「カフェの喧騒」を生み出すわけだけれど、
あの夜ぼくが聞いた幻聴は、もっとクリアで、
距離感はほとんどなく、12組のひとびとが、
すぐ隣でしゃべっている感じだった。
ディズニーランドのホーンテッド・マンションの
洋館で浮遊する霊たちのようだった。
集中すればそれぞれの会話が聞き取れた。
けれどもぼくはフランス語を理解しないので、
それがフランス語だということはわかるのだけれど、
何を話しているかまではわからなかった。
そこにいた人々はみな、機嫌が良かった。
とても楽しそうに、それぞれの会話を続けていて、
ぼくの存在などまったく気にしていないようだった。
ぼくは面白くなっちゃって、
こんな体験初めてだなあと思いながら、
その喧騒のなかで眠りについた。
あんなふうにカフェでともだちとしゃべりつづけられるのだったら、
あちらの世界もわるくないのかな。
って、まだ行きませんけどね!
でも行ったら行ったでともだちがいるな。
ぼくが行くのはちょっと先だけど待っててね。
あとから来るきみのことも、待ってるからさ。
さてきょうは、夜の予定までノープラン。
ゆっくり朝食をとり(サラダとパスタです)、
午前中をぼんやり過ごす。
昼はmaraisにピタパンサンドを買いに行き、
部屋に戻って食べる。
ユダヤ人地区でもあるmaraisには
ピタパンサンドの店がいくつかあって
まるで竹下通りのクレープ屋のように
(‥‥って、いまでもそうなのかな?)
どこも、とても混雑しているんだけど、
その混雑ゆえにぼくは食べたことがなかった。
行ったのはMiznonという店は比較的新しい店。
信頼するかたに教えてもらった店で、
どうやらまだ観光的にはノーマークっぽい。
本家はテルアビブだというから味は本格なんです。
店内は安普請ながらアイデアに満ちている。
野菜は窓際やテーブルや天井近くの梁のところに
そのまま置いてある。
きっと使い切れる量ということなんだろう。
でも日本じゃきっと無理、保健所に怒られちゃいそう。
店内は基本的に英語。みんな移民なのかな。
注文はシンプルで、
カウンターにわかりやすいメニュー表があるから
指をさせば済んじゃう感じ。
ぼくらは、ケバブ、ステーキ&エッグ、ミニットステーキ、
そして紹介者のおすすめにしたがい
「カリフラワーの丸焼き」を注文。
料金を払い、名前を伝えてしばらく待つと(けっこう待つ)、
お兄さんが持ってきてくれる。
ぼくらが入ったときは開店直後だったらしく空いていたんだけど
すぐに満員で長蛇の列に。
その時間を目指して行ったわけじゃないから、
ラッキーだったみたい。
(そういうことはよくあります。満腹の神様ありがとう!)
冷蔵庫に残っていた香菜や赤たまねぎ、
胡椒やオリーブオイルを出して、
各自てきとうに調味しつつ食べる。
うむ、どれもおいしいです。
ぼくはケバブと、ステーキ&エッグが好きだな。
あとカリフラワー!
先に茹でてるのかな、とろりと柔らかく、
全体を、炭火かなあ、こんがり葉ごと焼いている。
そのこんがり部分もとてもおいしい。
味はついていない。でも、つけあわせに最高。
東京に戻ったらやってみよう。
そのまま部屋でグダグダし、
夕方になってマレに出かける。
噂の巨大ファストファッションのマレ店を見学。
いろんな意味で(ビジネスや戦略、建築など)
たいしたもんだよなあと感心する気持ちと、
「アジアの金満」的なキッチュさ、品のなさ。
地元への敬意を払っているという部分もあるんだが、
それすら「スタイル」「いやな感じの余裕」に
見えてしまうんだよなあ。
ずいぶんな色眼鏡かもしれないけど、
独特の「どうだ!」感も、ぼくは苦手。
「あれでいいんです、このビジネスがすごいんです」
という意見に、ぼくは乗れなかった。
そもそも個人的に「服に求めるもの」が違いすぎて、
やっぱり好きではないという現実がある。
あのすばらしいアイデアをまるで換骨奪胎したような新作とか、
裏返しに着せるディスプレイ。
あのブランドが20年くらい前からやってるよ‥‥。
●
さて! 夕飯は野宮さんたちのおさそいで、
レピュブリク地区にある、謎の店へ。
1組ないし2組しか入れないお店で、
一見さんお断りということでもないんだろうけど、
予約をしないと入れない。
そして店は基本的に鍵が閉まっている!
(ノックをして開けてもらう。)
店内は広くはなく、大きいテーブルが1つ。
満席になっても10人かなあ。
ぼくらは5人だったのだけれど、この日は貸し切り。
料理人はひとり。奥にどうやらもうひとり、
お手伝い的な人がいるらしいけれど、あまり気配がない。
そして給仕はいない。料理人がひとりで賄っている感じだ。
おすすめにしたがって、テリーヌとパテ、
そしてニシンの酢締めオリーブオイル漬けに、
トレビスのサラダ(自家製マヨネーズ)を前菜に。
これがいきなり、もう、
型ごと、どーんと出てくる。
「好きなだけどうぞ」ということだ。
テリーヌ、パテ好きとしては困る!
ここでおなかをいっぱいにしてはならないので、
ほんのすこしずつとりわける。
それぞれの名前はわからないけれど、
パテ・ド・カンパーニュやブーダンノワールのパテ、
あと、こりこりした食感は内臓系かなあ、なテリーヌ。
ぜんぶおいしい。とてもおいしい。
ニシンは、にんじんと「ミョウガ」が乗ってる!
使うんですね、ミョウガ。これも絶品。
メインは、ぼくはシャトーブリアン、
友人はマグレ鴨の青胡椒ソース。
ほかのメンバーはシャトーブリアン、
Gigot d'agneau(羊)、名前を忘れちゃったけど、
コンソメで加熱したという牛肉など。
貸し切りなのでお行儀わるく、
「それちょっとちょうだい!」
「こっち食べる?」状態でいただきました。
つけあわせは、グラタン・ドフィノワ。
これもよかったなあ。
デザートがまたすごくて、
「好きなだけどうぞ」と、どかーんとテーブルに運ばれてくる。
メレンゲのバニラソース、レモンタルト、
カスタードプリン、リオレ(お米のプリン)、
チョコレートムース、シュークリーム、
それから謎の揚げ菓子。
一通りすこしずつ(といってもけっこうな量)食べました。
食後にコーヒー、メンバーのうち3人は食後酒に、
梨の蒸留酒というものを飲んでいた。
これはすごく香りがよかったなあ。
3時間をすぎる食のイベント、よく食べてよくしゃべった。
会計が「現金のみ」と知らず、
全員がカードを出して大慌て!
ブロックの端から端まで歩いてお金をおろし、
無事に支払いをすませました。ああびっくりした。
ちなみにワイン3本かな、を飲んで、
ひとり170ユーロくらいでした。すごいご馳走!
ここは「食いしん坊を連れていきたい」店だなあ。
教えてもらってよかった!
この希有な店の存在は、野宮さんが、
とある著名な女流ジャーナリストさんに
教えていただいたのだそうです。
ひゃあ。