22時前に寝たら4時くらいに起きちゃった。
することがないので文藝春秋を読みながら
(読みでがあって便利な雑誌だ)、
ベッドでもぞもぞ過ごし、6時になったあたりで、
そうだボタンつけなくちゃと、
きのう買ってきた針と糸で縫い物をした。
針仕事はまったく得意ではないが、
ボタンつけくらいはできます。
きのうは赤ワイン1杯だけ飲んで夕飯をパスしたので
(食べたくないときは食べない)、
起きたらひどく腹が減ってきた。
小学生の家庭科実習のような朝食をつくる。
たまごに牛乳を入れて溶き、塩こしょうしてバターオムレツに。
そのフライパンで、ほうれんそうを炒める。
ほうれんそうは下ゆでし、水でさらしてから絞って使った。
皿に残り物のバスクのパテとチーズをのせ、
きのう買ってきたバゲットを切って配置。
あとはグレープフルーツジュース、
ミックスベリージュース、コーヒー。
写真は撮りわすれました。
使った食器と道具を食洗機に入れ(便利だなあ)、
コンロと水まわりを拭いて終了。
そのあとぐうたらネットを見ていたが
それでもまだ7時半です。
ビロウな話で恐縮ですが、
今回の旅行にはあるものを買って持ってきた。
これまで旅行のたびに「買おうかな、どうしようかな」と
さんざん迷って買わなかったものだが、
やっぱりあると便利だろうと、買ったのだ。
それはですね、携帯ウオッシュレット!
日本でぬくぬくと、あまやかされすぎた尻は、旅に弱い。
私は「ぢぬし様」ではないが、
遺伝的にはいつそうなってもおかしくないお家柄である。
旅先では食べるものが変わることもあって、
これまでも幾度か「ぶちキレ気味」になることがあった。
そんなキレるなよー。穏便に行こうぜ、
あ、穏便って書いて字の如しじゃーん!
なんて説得むなしく(誰に説得しているんだ)、
たいてい反逆の憂き目に遭い、
旅の後半になるとなんとなく一日つきまとう不快感が
ぬぐえなかったりした。
旅行中、ひどく下しているわけでなければ
外で催すことは少なく(部屋に戻ればいいし)、
部屋でのみ用を足すタイプとはいえ、
尻を洗いたいからといって毎回シャワーを浴びるわけにもいかない。
先日行ったネパールは、尻を洗う文化があるので、
トイレの横にワンタッチでシューッと出る小型シャワーがついてて、
冷水とはいえ、それはそれでたいへん快適であったのを思い出す。
あちらはトイレットペーパーは使わないらしいんだが(つまっちゃうから)
泊めていただいた家はかなりハイソで、ちゃんと日本製の
やわらかなペーパーが完備されていたのもよかった。
しかしパリではそういうわけにはいかない。
それで、安いものではない(と思う)のだが、
ビックカメラで思い切って買ったのだった。
携帯ウオッシュレットを。
で、どうかというと、たいへん、いいです。
パワーは弱いが、文句は言えない。
なにせ乾電池で動くのだ。
ただし、その行為そのものはですね、間抜けです。
ノズルをそーっと伸ばして該当箇所を想定し(見えないものね)、
チューッとやるわけですが、
ひじょーーーーーーーっに、間抜けです。
便座式ウオッシュレットのような
ボタンを押せばあとはお任せ、
下の方でなにが起きてるのかしら、わたくし存じませんわ、
みたいな、「そしらぬ顔」ができない。
さあ洗うぞ洗うぞ洗っちゃうぞ!
というちいさな決意のようなものが必要で、
人間たいてい「決意をする顔」はうつくしいもののはずだが、
この場合だけは例外のようだ。
なんていうのか、照れ+卑下、のような
複雑な顔になっているのではないかと想像する。
鏡があっても見たくない。
しかも、機器を持つ手を見つめつづけてしまうのは、
まだ、慣れていないからだろうが、
そのこともなんだか恥ずかしさに拍車をかけている。
誰も見ていないからいいようなものだが、
というか見られちゃ困るが、ひとりだからとて、
いったい何やってるんだろうと思わないでもない。
せっかく道具があるのに「やめようかな」とすら思うこともあり、
おれはそんなことせずに男らしく行くのだ!
と考えなくもない。
ただ、やっぱりね、いたしますとね、きもちいいのでございますよ。
「ああ、持ってきてよかった」と心から安堵する。
そのうち「そしらぬ顔」で使いこなすことのできる日が来るのだろうか。
いやはやほんとにビロウな話ですんません。
パリ日記なのにねえ。
さて、そんなことを書いているうちに
出かける時間になった。
きょうはオルセーに行くのである。
地下鉄を乗り継いで行くのである。
切符を買うのに1時間並んでも行くのである。
なぜならばこんな展覧会ぜったいに日本でやらない、
メールヌードの大規模な企画展、
「Masculin / Masculin」展をやっているのだ。
まあヨーロッパの美術館に男の裸体は
美少年から筋骨隆々、そして老人まで、
これでもか! とあるわけですが、
それをテーマごとに集めて展示するというのはなかなかない。
もちろんエロティック・アートではなく、
そのぎりぎり手前まで。
「苦痛」はSMではなく、セバスティアヌスで網羅する。
ジャン・コクトーのあのいやらしい線描はギリギリ入るが、
トム・オブ・フィンランドは入らないのである。
ちなみにブルース・ウェーバーもハーブ・リッツも入らない。
あれはファッションでしょ、ということか。
そして、ロバート・メイプルソープは入るわけで、
そのあたりにキュレーションの明確さを感じるなあ。
明確さというのは「みんなの意見」ではなく
キュレーター(複数いるとしても)の強く我が侭な部分を
含めてのことであります。
ちなみに図録を買ったら三島由紀夫のヌードまで載ってた。
そのへんも展示してくれればよかったのに。
サンローランのヌードは展示されてたけど、
いろんな美意識があるもんだと感心する。
あとロダンによるバルザックの立像が、
ものすごく腹が出ていて、本人は厭だったんじゃないか。
あたらしい作家もいっぱい。
ロン・ミュエクもあるし
クールベの「世界の起源」の男版の写真も。
(誰の作品だったか失念。)
そしてやっぱり、ピエール・エ・ジルの再評価、
といってもすでに再評価されているわけだけれど、
さらに強烈に、確実に西洋美術史の1ページとして記載するぞという
キュレーターの意気込みが感じられるし、
やっぱり作品が凄かった。ぼくも誤解していた気がする。
しかしながらその前で大笑いしている
フランス女子もいたりして、
いろいろ複雑なところでしょうね。
笑っちゃう気持ちもわかる。
「梅ちゃんか!」というようなものもあるしね。
それだけでおなかいっぱいのオルセーではあったが、
せっかくなので常設展もひととおり見ることに。
ここは印象派のコレクションがとんでもなくって、
ひょいと入った小部屋に「オランピア」や
「笛を吹く少年」があったりするから困る。
ほんものですよね? ほんものです。
別の部屋には「草上の昼食」もあるし。
もちろんマネばかりじゃなくモネもいいものがある。
ならべて見ていくとゴッホの狂気もわかるし、
ドガのフェティシズムもたっぷり味わえる。
ぼくの好きなロートレックの油彩もたくさん。
アール・ヌーヴォーの家具のコレクションもすごくって、
国というかエリア別に分かれている。
西洋美術のこってりしたものをさんざん見たあとだと、
アール・ヌーヴォーというものが
古典的伝統的に面倒なものをそぎ落とし
日常に落とし込もうとしたデザインの一形態だったことがわかる。
つい、あれも、(アール・デコに比べて)こってりしたものだと
思いがちなんだけど、そうじゃなかったとわかったのが収穫。
これから違った目で見ることができそう。
午後になり、ぶらぶら歩いてセーヌ河畔へ。
水はどろんと泥色で、雨続きゆえか水かさが高く、
のたりのたりと重そうに流れている。
カルーゼル広場を抜けてルーヴルを横目にリヴォリ通り。
地下鉄のPalais Royal - Musée du Louvre駅から
1号線に乗ろうと思ったら、いまこの駅は工事のため
1号線が止まらない!
しかたがないので7号線でChâtelet駅へ出て、
11号線でArts et Métiers駅(この駅のインテリア、きれい)へと進み、
そこから歩いて帰宅。
昼は家でスパゲッティ。
またもや残り物ソースで、見た目はよろしくないが、
味はわるくなかったです。
写真にはとてもならないけれど。
さてさてこんどはどこへ行くかというと、
ポンピドーセンターである。
徒歩5分!
モンマルトル方面から来るとひどく遠かったのを思うと、夢のよう。
しかも年間パスもあるし!
謎に誰も並んでいないゲートをくぐって、
まずは企画展である「LE SURRÉALISME ET L'OBJET」
(シュルレアリスムとオブジェ)展へ。
これがですね、子供に見せるのは気をつけろと
あらかじめ表示されているので、
「そんな?」かと思って入ってみたら、
たしかに「そんな!」でした。子供、泣くと思う。
なにしろエログロナンセンスの元祖のようなもんだ。
しかし大人は、ただただ「自由」を感じてしまう。
自分ももっと自由になっていいんじゃないかと思う。
シュルレアリストたちが仕掛けたことは、
たぶんそういうことで、
その爆弾は、21世紀になっても、まだ、ちゃんと、効くのだ。
そしてその自由を得るためにシュルレアリストたちがたたかった足跡が
みごとにまだ鮮烈にそこにあることに、感動してしまう。
とはいうものの、なにしろヘンタイ的だけど。
そしてもうひとつ思ったことがある。
昨日の「装飾美術館/モード・テキスタイル博物館」でも
感じたことなのだけれど、
いまやミュージアムは、編年的に網羅することでは
見るというエンタテイメントにはならない。
お勉強や教養ではなく、目に入るものの強さを
ストレートに感じさせるために、
キュレーターたちはさらなる違う努力をしているのだ。
アートには引用や影響、あるいは相互作用とか、
時間を超えた作品どうしの化学反応といったものがあるわけで、
たとえばシュルレアリスムとプリミティブアートには
濃厚な相関関係があったりする。
そういうものを「一緒に見せる」ことで、
見ているぼくらは撹乱され、ギョッとし、
知識ではないところで「そういうことか!」と、
体感的に理解することができる。
そういう工夫をキュレーターがしていて、
そのために音だろうが映像だろうが、
なんでも使って、驚かせてくれる。
企画展というものがそのまま1本の映画のようなのだ。
ちなみに、展示替えで閉鎖していた5Fの
20世紀前半のモダンアートフロアもオープン、
ここはパーマネント・コレクション(常設展)なのだけれど、
前述したような企画展と同じような工夫が随所にあった。
この写真じゃあまりわかりませんけど。
午前中にオルセー、午後にポンピドーでは、
脳がもうついていかず、くたくたに。
ポンピドーは半分にして(年間パスがあるというのは
こういうときの英断につながる)
また来ることにしました。
ところでポンピドーのエスカレータを
3フロア分上がって下がってきたところを
動画にしてみたのでどうぞ。
ポンピドーを出たあとは、リヴォリ通りに出て、
BHVの前からまっすぐSaint-Paul駅前のチーズ屋へ。
ゆうがたのBHVはなんだかきれい。
そのチーズ屋はジャンポール兄さんおすすめの店。
兄はコンテが好きなのだが、
ぼくはシェーブルやブルーが好きなので、
店員さんに相談して、3種類、
日本に持って帰る用を真空パックにしてもらい、
すぐ食べるぶんはそのまま包んでもらうことに。
やっぱり親切。ほんとに親切。
話して買うのが好きな商店街の子には
パリってほんとに楽しい街である。
その足でヴォージュ広場の先のナイフ専門店へ、
和知さん(マルディグラの)に教えていただいた
包丁を探しに行ってみる。
あった。あったけど‥‥、これは‥‥?!
高いですよと聞いてはいたんだけれど、
包丁484ユーロって! ななまんえんだよう。
‥‥ほんとに高いよー。買えないよー。
でもまあ、ここまでになるとすっきり諦められるというものです。
ほんとに欲しければ次回お金を貯めて来ることにします。
マレのやったら混んでる道を歩いて部屋に戻る途中、
スーパーでハムとエメンタールチーズを買う。
なににするかというと、
「クロックムッシュもどき」をつくりたくなったのです。
はやく思いついてればさっきのチーズ専門店で買ったんだけどね。
クロックムッシュというのは、
ほんとはベシャメルソースかモルネーソースを使う。
もちろん作ってもいいんだが、
じゃがいもを刻んでバターで炒め牛乳で煮たもので代用。
だって乳+でんぷんでしょ。似たようなもんだ。
パンはきのう買っておいたパンドミー。
オーブンでとろり&こんがり焼いて完成しました。
じつに適当に作ったのに、たいへんおいしくできた。
おれ、えらい! わけではなく、
やっぱり食材の力だなあ。おいしいもん、スーパーのでも。
ついでにサラダをつくって、ワインを1杯。
コーヒーを淹れて飲んで、夕飯終了。
いやはやきょうはよく歩いたし、脳が疲れた。
しかしいつもの仕事の疲れとは、
ぜんぜん違う疲れ方で、それがうれしい。