高校の同級生にTという男がいて
TVのディレクターの仕事をしている。
パプアニューギニアの先住民だとか
モンゴルのマンホールチルドレンだとかの
ドキュメンタリーを本業にしている
フリーランスのディレクターである。
名刺じゃんけんをすると
「モンゴルの大統領」の名刺を出してくるので勝てない。
それはどうでもいいんだけど、
久しぶりにメールが来て
メシでもどうだいということになった。
Tは肉が駄目なので
(赤身はなんとか食べるが、
脂身があるとぜんぜん食べない)
‥‥というととても痩せてて
野菜と魚しか食べないエココンシャスな印象を
あたえてしまうかもしれないけど
毎食かつ丼を食べていそうなムードである。
つまりは太っている。ぜんぜん切れ味はするどくない。
髪はぼさぼさで無精髭がのびていて
顔はガチャピンに似ているうえぜんぜん洒落っ気がない。
静岡人であり私の友人なのでそんなものである。
食の好みが合わないのと食事をするというのは
私にしてはたいへん珍しい状況である、ものの、
それはともかく友人の嫌いなものをメインにはできない
やさしい私でもある。
しかしいざ「肉ではないメシ」となると持ち駒がない。
自分のテリトリーが肉食ばかりなのである。
そんなことに今ごろ気づくもうすぐ四十一歳である。
いや、魚系のレパートリーがないわけじゃないけど、
あいつとメシっていうには、どこもピンとこない。
食べたいものはなんだろう。
こういうときに四十を過ぎた大人の男はどうするのだろう。
鮨だ。
しかしながらやはり自分には鮨屋の持ち駒がない。
おいしい鮨屋‥‥
連れてってもらったことのある店となると
紀尾井町の‥‥、いや、
そういうところには行ってはいけない。
ぜったいにいけない。分不相応も甚だしい。
値段の問題ではなく、そこに連れてってくれた人が
その店をどれだけ大事にしているか。
それを知っているので行ってはいけない。
ちょっと分別? そうかも。
あるいは暁星出身の東京のお坊ちゃんな友人に
‥‥まったくそうは見えない男なんだが、
連れてってもらった赤坂のU。
あそこはたしかに旨かったしたっぷりあるし、
ちょっと高いけど払える金額、なれど、
自分の店になる感じではなかった。
隣の席がハウンドドッグの人だったしな。
‥‥これはもう新規開拓するしかないですね。
ということで、行ってみたいと思っていた鮨屋
(そういう心のリストは、あるんです)
四谷の「すしS」青山一丁目の「すしK」
外苑西通りの「U」に順に電話をすることにする。
一軒目は予約いっぱい、二軒目の「すしK」で予約がとれた。
三十代の若い主人のやっているカウンター9席のみの店。
つまみと鮨が交互にぽんぽんと勢いよく出てきて
ちゃんとおなかいっぱいになって値段もお手ごろ、
という噂なので、そんなに怖くはないでしょう。
はたして、評判通りにすばらしい鮨屋であった。
電話予約からしてとても感じがよかった。
明るくて、愛想は良すぎない程度に良く、
声はでかすぎず(声のでかい鮨屋苦手だ)、
ネタのケースは、客席からもっともよく見える角度、
つまり「おもてなし仕様」になっている。
もちろんたいへん清潔。女将も気が利いている。
なんだかずいぶん偉そうなことを書いてますね。すみません。
アナゴの稚魚にはじまる小皿‥‥というより
豆皿的なつまみと、
鮨がふたりで一貫ずつ(つまりひとり1個ずつ)、
交互に出てくる。交互といっても、
最初はつまみ・つまみ・鮨というふうに2:1、
そのうちつまみ・鮨・つまみ・鮨(1:1)になり、
やがてつまみ・鮨・鮨(1:2)、
そして最後は鮨・鮨・鮨と続く。
いい演出だなあ。
最初に「握りメインにしますか?」と訊かれて
ハイと答えたのでそういうバランスだったのだろう、
そうでないと多分交互のまま終わるのかも。
ともあれ全部で何品くらい出たんだろう。
20以上はあったと思う。30近いんじゃないか。
つまみも、ネタも、とてもよく
「うむ、仕事がしてある」、
つまり感動のあるお味でございますのよ。
それがたいへんテンポよく、ほぼ途切れずに、
この食いしん坊さんを満足させる量、出てくる。
かすこ、旨かったなあ。
さよりとか、昆布締め系のもねっとりしていてよかった。
まぐろが赤身なのも好感がもてる。
ぶりのヅケってはじめて食べました。
そんな感じでつまみながら、
Tは飲まないのでひとりで温燗を2合飲む。
うまかった。
それはともかく、ふと思う、
高校の同級生どうしが、鮨屋に行く年齢になってしまったと。
共通の友人やら知り合いの話題になる。
あいつは三代目だから社長業を継ぐべく、今たいへんなんだ。
あいつとあいつはなぜか同じD社にいるんだよ。
きみの弟はどうしてる。あいつはタイにいるよ。
そういえばさあ、あいつはどうした?
ああ、あれはねえ、大学を中退したあと
なにもかもうまくいかず、
しばらく新聞配達をしていたけれど
その後アル中になって金を借りまくってね、
いまは廃人らしいんだよ‥‥。
制服を着ていたころは、そんな未来は想像もしなかった。
ほんとなら、ここにいてほしかったやつだった。
ちょっとしみじみして、歩いて帰りました。
本日約8000歩なり。