『ハチミツとクローバー』9巻。
「待ちに待った」と書こうとしたけど、
この歳になると(歳は関係ないのか?)
マンガの新刊を待ちに待つということはなくなっちゃった。
でも9巻が出たと聞きとてもうれしかったのは本当で、
でもそのことを書店に行くまで忘れていたくらいです。
(というようなことが他のいろんなことでも、よくある。)
で、『ハチミツとクローバー』9巻。
「すごい展開らしい」「重い話らしい」という噂だけは
耳に入ってきていたので、ちょっと覚悟をしていたんだけど、
覚悟は無駄なほどに、「ずどーん」ときました。
岡崎京子さんの重さ、なみに、重い。
というか、岡崎さんが96年に事故に遭って10年、
やっとマンガは岡崎さんに追いついたのかもしれないなあ。
たぶん、はじまりは
「美大生の青春群像」だったと思うのです。
ライト、とは言わないけど、
甘く切なく、リアルな感情をちゃんと描く、
そういうことをしたかったんだと思う。
‥‥だけど、はぐちゃんも竹本も森田も
真山も山田も花本先生も、みんなが、連載のなかで、
どんどんどんどん動き出しちゃったんじゃないかなあ。
そして物語はここまで進んでしまった。
もう、戻ることが困難で、
ぼくらは見守るしかないところへと進んでいってしまった。
ああ、どうか、羽海野チカさん、
ちゃんと完結させてください‥‥
彼らを、ぼくらを、もとの場所に帰してください‥‥
という祈るような気持ちで9巻を読み終えました。
村上春樹さんが、小説家に必要な力は、
戻ってくること、だとなにかのインタビューで
(エッセイだったかなあ? 忘れた)言ってたっけ。
それは「そこまで行ってから、ちゃんと戻ってくること」で、
物語をちゃんと終わらせることは、
じつはものすごく体力も精神力も要る仕事なのだと。
「すごい展開させちゃったよなあ」という物語が、
行くだけ行って、ぜんぜん戻ってこれなくなっちゃって、
ちゃんと完結させないままに終わってしまうということはある。
ぼくが絶賛したいのは
(絶賛というものを、したいのだよ、いつも!)
「ちゃんと戻ってきた物語」なのです。
それができていないと、どうしても、
気まずい読後感が残り、「なんだかなあ」と思ってしまう。
たとえばぼくは『漂流教室』という
マンガが大好きなんですけど、
あれはもう気がふれるような展開のあと、
楳図かずおは、ちゃんと、もとの場所に、
読者を連れて帰ってきてくれた。
裏漂流教室とも言える『アゲイン』も、そう。
とても恐ろしいローラーコースターのように、
さんざん振り回され、泣かされたりしたあとに、
最後は自分の世界に戻ってくることができた。
いや、「そこに辿り着くの?!」という物語だって
もちろんあっていいけれど、
にしても、読者を置いていかないでほしいと思う。
そういう願いをこめつつ、10巻を楽しみに待ちます。
また忘れちゃうんですけどね、出るまで。