「残った謎は続編で!」
という映画ばっかり観ていたんだなあと、
「サスペリア」(新作)を観てつくづく思った。
そういう映画に慣れちゃってると、
「サスペリア」のようなヨーロッパ発の、
宗教と闘争の歴史を背景にしたオカルト映画なんて、
するすると呑み込むように理解するのは難しい。
そもそも劇中では英語とドイツ語とフランス語が
ぐっちゃぐちゃなので、耳からして異国である。
サスペリア的世界については、
「三部作」(ダリオ・アルジェント版「サスペリア」、
「インフェルノ」「テルザ 最後の魔女」)を観ていたから
背景についてちょっとだけ知識があるつもりだった。
もちろんその知識がなくても楽しめるのだけれど、
その「楽しめる」は、相手に委ねたままでOKの
ハリウッド的「楽しめる」ではないのだった。
三部作を観ていたから大丈夫ということでは、なかった。
映画は前半と後半のテンポが違う。
前半はいかにもヨーロッパ的なスロー。
後半は速い遅いというよりも、
もう「なにがなんだか」の展開である。
スローな前半とて登場人物の背景がほとんど描かれない。
描かれても断片的なので、こちらの思考を総動員して
パズルを組み立てていくわけである。
なんとか理解したつもりになりつつ、
ああ、終わったのかと思ったらエンドロールにまた謎。
物語に身ひとつで入り込むしかなく、
その世界を抜けるには見届けるしかない。
結局、善悪がわからなくなる感じは
あの大傑作「哭声」的でもある。
「呪い」と「祝い」がそっくりで、
「呪う」と「祈る」もおんなじだというところとかは、
ぼくらにも体感的に理解しやすい部分だと思う。
だがぼくは77年ベルリンという
歴史への理解がうすかった。
「ああ、そんな時代なんだ」
とうことはわかるようにできているけれど、
もっと根深い部分でのことはわからないわけで、
宗教と社会闘争とその歴史的背景へのリンクが
自分のなかでうまくつながらない。
ここらへんも必死についていくしかない。
モダン・アートとナチスの関係、
それは77年ベルリンを生きる人々にまで
長く重く影を落としているわけだが、
そのナチスの政策が
モダン・ダンス(ノイエ・タンツ)にも
及んでいたことなどは
あとから「そうだそうだそうだった」である。
卒論でダダを扱って、
散々な目に遭った芸術家たちのことを
知った気でいたのに、すっかり忘れてた。
そのあたりは公式サイトにある
町山智浩さんの解説ムービーに詳しいです。
さらに、役者のことに疎いので、
なんかすごい人だったなとあとで調べて驚愕、
ネタバレになるやつだから書かないけど、
ああああの違和感の正体はこれ! とか、
あの人はあの! ということがあって、
きのうよりも今日のほうが楽しんでいる気がします。
☆サスペリア公式サイト