DVDで映画を1本。
CONTRACORRIENTE、英題はUNDERTOW。
「引き波」の意味。
ことしはすさまじくよかった韓国映画
「息もできない」があったから、
あれを抜くのは、まず、ないだろうと思ってたんだけど、
これは‥‥‥。
以下、ストーリーですから
なんとかしてこれから見よう、
知らずにおこうという人はここまでで。
舞台はペルーの漁村。
死者を海に葬る、魔術的風習のあるような土地、
村に知らない人はいない、というような小さな社会で、
主人公の漁師ミゲルは妻マリエラと暮らしている。
ふたりの間にはもうすぐ子どもが生まれる。
その円満な家庭とは別に、ミゲルには、
いつどうしてそういうことになったのかわからないんだけれど、
都会からやってきた画家の恋人サンティアゴがいて、
村のはずれで密会をかさねている。
ミゲルは妻のことを、ほんとうに愛している。
けれども、サンティアゴと出会ってしまった。
それはどうしようもない運命だったし、
どちらかひとつを選ぶことはできない愛だった。
しかし秘めた恋のままでいられなかったのか、
サンティアゴが、偶然、市場でマリエラに近づいたところから
すこしずつ彼らの人生の歯車が狂い始める。
写真を撮らせてもらったお礼にと
マリエラにキャンドルをプレゼントするサンティアゴ。
あの画家さんを知っている? と聞かれ
知るわけがないだろうと言うミゲル。
そのプレゼントのことでミゲルと口論になったサンティアゴ。
もう村を出ていく、という喧嘩をしてしまう。
そうか勝手にしろ。
最近見ないわねあの画家さん。
知らないよ、そんなやつのことは。
しかしある日、突然、ミゲルの家にサンティアゴが現れる。
妻の前で、と慌てるミゲルだが、
妻マリエラには、サンティアゴの姿は見えていないようだ。
しかしミゲルには彼の声が聞こえるし姿も見える、
さらには触ることもできる。
それはまったく生きたサンティアゴそのものなのだが、
ミゲル以外の人にとって、彼の存在は
幽霊としか言えないものになっていた。
事情を聞くミゲル。サンティアゴは言う。
「もうここを去ろうと思っていた。
海に向かって歩いていたら、引き波にさらわれて、
気付いたら、誰もぼくのことが見えなくなっていたんだ」
そう、彼は、溺死してしまったのだ。
遺体を見つけてきちんと葬らなければ
彼はずっとこの姿のままで彷徨うことになる──。
しかしサンティアゴが「見えない」ということは
ミゲルには好都合だった。
それはほんのわずかの期間の蜜月を
ふたりに与えることになる。
保守的な村の通りで手をつないでもかまわない。
ふたりで写真を撮ることもできるし波と遊ぶこともできる。
砂浜で愛を交わすこともできるし、
眠る妻の反対側で、手をとりあうこともできる。
最高の愛の形だ、ずっとこのままで、と願うミゲルは、
海底でサンティアゴの遺体を見つけても、
それを引き上げず、岩にくくりつける。
そうすればずっとサンティアゴは
自分だけのものとして存在するからだ。
しかしサンティアゴは言う。
「君はそれでいいだろうが、ぼくはどうだ。
君といなければ、ぼくは存在しないも同じなんだ」
別れて天国へ行くことを願うサンティアゴ。
彼にとってミゲルは、
妻をもち、子どもを愛する、よその家庭の男のままなのだ。
やがて村人のあいだで、
あの画家はおかまだぜ、いやね気持ちが悪い、
ミゲルとできているらしいぜ、という噂が流れる。
サンティアゴはすでに姿を消していたわけだから
噂の矛先はミゲルに向かう。
決定的だったのはサンティアゴの家にもぐりこんだカップルが
ミゲルをモデルにした裸体画を見つけてしまったことだ。
それはサンティアゴの作品だったが、
この漁村でそんな芸術を理解するものはいない。
思いあふれて描いた、ただ愛が絵筆に乗って描かれた、
そのすばらしく切ない作品のことなんて。
あなたはおかまなの? そんなことはない、
おれはおかまなんかじゃないと否定するミゲルだったが
友人たちからも村八分にされ、
生まれたばかりの子どもを連れて妻は出て行く。
なんとかしなければと
サンティアゴの遺体をもういちど探すミゲルだったが、
流されてしまって見つからない。
そのうち、なんとなしに噂が減り、妻が戻り、友人たちとも和解し、
子どもを介して平穏な生活がもどったかに思えたある日、
漁船にサンティアゴの遺体があがる。
ひた隠しにする友人たち。妻もそれを秘密にしていたが
やがてミゲルの知るところになる。
遺体はまだ村にあり、都会から家族が引き取りにくる寸前だと。
それを知り、こらえきれない気持ちを、
妻の前でさらしてしまうミゲル。
サンティアゴをここの海に、彼が愛したこの海に埋葬してやりたい。
それがあいつの遺志だ。
彼をいまも、愛している、と。
衝撃を受ける妻マリエラ。
それでもミゲルはサンティアゴの母親と姉に会う。
ふたりの関係に理解をしめしてくれた母親だが、
埋葬は「この子の亡き父親の隣に」と譲らない。
しかし、ミゲルの、妻と別れる覚悟でここに来た、
サンティアゴをきちんと海に葬り、
彼の魂を天国へ行かせたいのだ、という気持ちが母親に通じる。
そして、妻マリエラも、別れる覚悟をしながらも、
神父に、埋葬をしてあげてほしいと願いを伝えてくれる。
そして、埋葬の日がやってくる──。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥とまあ、
ちょっと話が抜けてたり前後したりしてるかもしれないけど
そういうストーリー。
ほんとはもっと伏線と結末の
とても上手な係り結び的、
きちんと映画的な表現がいろいろあって、
音楽もひかえめながら必要なものが入っている。
ものがたりがいい、のと同じくらい、映画として、いいです。
そして、せつない、という一言で片づけるには
あまりにその感情表現が繊細すぎて、たまらなかった。
監督も役者もすごい。
サンティアゴが幽霊になったあたりから、
ずっとじんわり涙がうかび、
サンティアゴがミゲルにプレゼントしようと用意していた
ちいさなデジタルカメラを、遺品のリュックからみつけ
「このカメラでこれからの君の人生を写してください」
という手紙を読んで、ああサンティアゴは
本気でミゲルのもとを去るつもりだったんだとわかるシーン、
それから、ラストシーンで、
海に沈んでいくサンティアゴの遺体を
ひとりみつめるミゲルのところに、
もういちど、サンティアゴが生前のままの姿をあらわして
彼を抱きしめるシーンなんか、
もう、ぼろぼろになっちゃったですよまったく。
まいったなあ。
あ、涙の量ではなく、いちばん胸が痛かったのは、
ミゲルが、幽霊になったサンティアゴと
堂々と愛を表現できることが「うれしい」という気持ちを、
どんどんあらわにしていくシーンだったかな。
未来なんかないのに、こころから楽しそうにしているシーン。
思い出してもつらい。
こういう映画って「誰かひとり」に感情移入するものかも、
と思うんだけど、ぼくは全員にすこしずつ
「そうだよな。そりゃそうだよな」と入り込んでました。
だからずっとつらかったんだな。
ちなみにこの映画を観るために
Amazon.co.ukでPALのディスクを買い、
リージョンフリー機をNYから取り寄せ、
スペイン語を英語字幕つきで観ることになった。
わかんないことばはポーズボタンで止めて辞書引いて。
そんだけややこしい思いをしてでも、観てよかったです。
ほんとうに観たかったんだ。
Javier Fuentes León監督のインタビューは
このサイトに載ってます。