なんだか「新作を楽しみにする」
という気分が減ったよねえ。
むかしに比べて、って意味だけど、
いまでもどんどんリリースをするアイドルに夢中な人は
そういう楽しみがあるんだろうか。
音楽でもアートでも、
クリエイティブなものに対するぼくの気持ちは
「新作をつくりつづける」人を応援したいということだ。
というか「新作」が好きだな。
それが好きじゃなくても、たいしたことなくても、
「あっちゃー」「あいたたた」となったとしても、
評価の決まった旧作を愛でる時間より、
(それももちろん大好きなんだけれど)
「この人は、いま、なにをしたいんだろう」と、
同時代に生きるものとして、
いま生み出されたばかりの新鮮なものに触れること、
それが楽しいと感じるのだと思う。
じぶん自身もそうで、たとえば料理が好きだけれど、
レシピを見て再現することは、あんまりない。
まあ「カスタードをつくる」とか、
そういった分量や手順が大事なものは別なんだが、
「鶏肉がある。さあどうしよう」と、
なにをつくるか決めないままに
素材を前にしている瞬間が好きなんですね。
だから買い物もそんな感じだし、
買ってきて、キッチンに立つときもそう。
あたまに描いているのは、完成図ではなく、
「食べたときどういう感じがするか」あるいは
「食べたらどうなるか」。
あったまりたい、とか、汗をかきたい、とか、
酒を飲みたい、でもいい。
カリッと歯ごたえを楽しみたい、
ほくほくと口のなかでころがしたい、
などの触感でもいい。
想像しているのは官能の部分。肉体的なこと。
そして食べているときの満足感を想像しているんだと思う。
もちろん人に食べさせて喜ばれたい、というのもあるけど、
レストランとちがうのは、
その人がどういう人かを知らないと
あんまり料理欲が湧かないということだ。
カッコつけて言うならば、
音楽のセッションみたいなことなんでしょうね。
そして「前に食べたアレ、またつくって」というのが、
できないわけじゃないんだけど、あんまり面白くはない。
「アレ一回つくったからいいじゃん」と思う。
なぞってつくるのは好きじゃないんだなあ。
なんというワガママ。でもいいのだ、プロじゃないから。
あ! 仕事でレシピを書くときは慎重ですよ。
とくに料理人のレシピをまとめるときは、
しつこいったらないです。
宣伝ですが、そうやってつくった飯島奈美さんの
『LIFE』シリーズ、
未読でしたら見てみてください。
ほんと、しつこいったらないから、レシピ。
「おむすび」や「トースト」なんかもレシピ化してます。
こういう「一字一句その通りにつくると、絶対においしい」
ということを伝える仕事も好きなのです。
前者がジャズやインプロビゼーションならば、
こちらはオーケストレーションの仕事なんだと思う。
そうそう音楽の話。
昨晩「ホイホイ・ミュージックホール」という
音楽イベントで見た鈴木慶一さんとケラさんのユニット
「No Lie-Sence」、よかったなあ。
ちゃんと見るのは2度目だけど、
凄腕の音楽の人たちって、
以前と同じ曲、持ち歌をやるんでも、
その瞬間瞬間の判断で
ぜんぜんちがうふうに表現できるのがすごい。
ライブのよさ、ということだけじゃなくって、
ライブでしか表現できないことのよさ、というか。
そして、まず、楽曲がものすごくいい。
1曲が1本の映画のよう、
あるいは、ひとつの旅のように価値がある。
「ああ、曲が終わってしまう」というあの感じは
まさしく、映画のエンディングや、
旅の終わりのあの感覚なんだもの。
まいっちゃうよなあ。
そのうえ、「意味のないような言葉」の羅列が、
表現によって強く意味を持ってこちらに届く、
という瞬間が繰り返されるのがすごい。
ノンメッセージのようでいて、
勝手にこちらがメッセージ化してしまう言葉が、
ふんだんに、もったいないくらいにちりばめられている。
楽しかったなあ。
さて! 「チョイ住み in パリ」、
きょう3/14夜9時から、いよいよ放映です。
どんな90分にしあがっているんだろう。
なにしろTVに出る、それも90分なんて初めてで、
信頼するプロデューサー氏、ディレクター氏の仕事だから
仕上がりを不安に思うことはないのだけれど、
料理人がよくても、それこそ素材がね。どうなの。
千葉くんは大丈夫。「鮮度抜群」な旬の食材だ。
それに比べるとこちとら、
「これ、食べられるんですか‥‥」ですよ。
よく言っても「熟成肉」です。腐りかけか!
せめて燻製とか、干物とかでありたい。長持ちするし。
よかったら見てくださいねー。
そうそう、49歳になりました。
という気分が減ったよねえ。
むかしに比べて、って意味だけど、
いまでもどんどんリリースをするアイドルに夢中な人は
そういう楽しみがあるんだろうか。
音楽でもアートでも、
クリエイティブなものに対するぼくの気持ちは
「新作をつくりつづける」人を応援したいということだ。
というか「新作」が好きだな。
それが好きじゃなくても、たいしたことなくても、
「あっちゃー」「あいたたた」となったとしても、
評価の決まった旧作を愛でる時間より、
(それももちろん大好きなんだけれど)
「この人は、いま、なにをしたいんだろう」と、
同時代に生きるものとして、
いま生み出されたばかりの新鮮なものに触れること、
それが楽しいと感じるのだと思う。
じぶん自身もそうで、たとえば料理が好きだけれど、
レシピを見て再現することは、あんまりない。
まあ「カスタードをつくる」とか、
そういった分量や手順が大事なものは別なんだが、
「鶏肉がある。さあどうしよう」と、
なにをつくるか決めないままに
素材を前にしている瞬間が好きなんですね。
だから買い物もそんな感じだし、
買ってきて、キッチンに立つときもそう。
あたまに描いているのは、完成図ではなく、
「食べたときどういう感じがするか」あるいは
「食べたらどうなるか」。
あったまりたい、とか、汗をかきたい、とか、
酒を飲みたい、でもいい。
カリッと歯ごたえを楽しみたい、
ほくほくと口のなかでころがしたい、
などの触感でもいい。
想像しているのは官能の部分。肉体的なこと。
そして食べているときの満足感を想像しているんだと思う。
もちろん人に食べさせて喜ばれたい、というのもあるけど、
レストランとちがうのは、
その人がどういう人かを知らないと
あんまり料理欲が湧かないということだ。
カッコつけて言うならば、
音楽のセッションみたいなことなんでしょうね。
そして「前に食べたアレ、またつくって」というのが、
できないわけじゃないんだけど、あんまり面白くはない。
「アレ一回つくったからいいじゃん」と思う。
なぞってつくるのは好きじゃないんだなあ。
なんというワガママ。でもいいのだ、プロじゃないから。
あ! 仕事でレシピを書くときは慎重ですよ。
とくに料理人のレシピをまとめるときは、
しつこいったらないです。
宣伝ですが、そうやってつくった飯島奈美さんの
『LIFE』シリーズ、
未読でしたら見てみてください。
ほんと、しつこいったらないから、レシピ。
「おむすび」や「トースト」なんかもレシピ化してます。
こういう「一字一句その通りにつくると、絶対においしい」
ということを伝える仕事も好きなのです。
前者がジャズやインプロビゼーションならば、
こちらはオーケストレーションの仕事なんだと思う。
そうそう音楽の話。
昨晩「ホイホイ・ミュージックホール」という
音楽イベントで見た鈴木慶一さんとケラさんのユニット
「No Lie-Sence」、よかったなあ。
ちゃんと見るのは2度目だけど、
凄腕の音楽の人たちって、
以前と同じ曲、持ち歌をやるんでも、
その瞬間瞬間の判断で
ぜんぜんちがうふうに表現できるのがすごい。
ライブのよさ、ということだけじゃなくって、
ライブでしか表現できないことのよさ、というか。
そして、まず、楽曲がものすごくいい。
1曲が1本の映画のよう、
あるいは、ひとつの旅のように価値がある。
「ああ、曲が終わってしまう」というあの感じは
まさしく、映画のエンディングや、
旅の終わりのあの感覚なんだもの。
まいっちゃうよなあ。
そのうえ、「意味のないような言葉」の羅列が、
表現によって強く意味を持ってこちらに届く、
という瞬間が繰り返されるのがすごい。
ノンメッセージのようでいて、
勝手にこちらがメッセージ化してしまう言葉が、
ふんだんに、もったいないくらいにちりばめられている。
楽しかったなあ。
さて! 「チョイ住み in パリ」、
きょう3/14夜9時から、いよいよ放映です。
どんな90分にしあがっているんだろう。
なにしろTVに出る、それも90分なんて初めてで、
信頼するプロデューサー氏、ディレクター氏の仕事だから
仕上がりを不安に思うことはないのだけれど、
料理人がよくても、それこそ素材がね。どうなの。
千葉くんは大丈夫。「鮮度抜群」な旬の食材だ。
それに比べるとこちとら、
「これ、食べられるんですか‥‥」ですよ。
よく言っても「熟成肉」です。腐りかけか!
せめて燻製とか、干物とかでありたい。長持ちするし。
よかったら見てくださいねー。
そうそう、49歳になりました。