「メニューブックのない料理店」というのがある。
あるんですよ、そういうお店が。
連れていってもらってびっくりした。
そこでは食材がワゴンで紹介され、
調理法のアイデアが提示される。
客はじぶんで「これを、こうしてください」と頼む。
前菜のうち冷菜だけは出来合いのものがあるのだけれど、
温菜からは、指示をしなくちゃいけない。
もちろん「おまかせ」前提で会話をして決めるのもアリだけど
メニューを眺めて熟考したり、
テーブルを囲む仲間と相談する余裕は、
あまり、ない。個の勝負!
その店は「ちょっとオシャレの必要なお店」で、
アミューズ皿はエルメス、
カトラリーはクリストフル、
グラスはリーデル。わかりやすい。
場所も都心の一等地のビルの中。
食材も、とてもよいものがそろっている。
よくわからないけどたぶんワインもいいものなんだろうな。
おしぼりは欧米のエアラインの匂いがしました。
この「高級な感じ」を差引くと、なにが残るんだろう。
たっぷり食材がある。
調理法は自由。
すぐ食べられる常備菜もある。
この構造、何かに近いんだよなあ。
あ、もしかしたら「家」?
料理好きのお母さんのいる家。
うちか。
たとえば母との会話。
「今日何食べたい?」
「えー、何があるの」
「お浸しと肉じゃがはできてるわよ。
お肉は鶏買っといた。
お鍋でもいいし、唐揚げでもいいし。
あとマグロのすき身、しらすもあるわね」
「じゃあ、唐揚げにしてー。
つけあわせはレタスがいいな。
なかったらキャベツ。
あ、竜田揚げじゃなくて、ほら、ふんわりしたやつね」
「卵の白身つけて揚げるとふんわりするのよ」
「それ、それ。
あと、すき身としらす、ちょっと食べたい。
トマトはある?」
「トマトあるわよー」
「じゃあトマトサラダも!」
「ごはん、おひつだけど、チンする?」
「ううん、ひやめしがいいー。
あったかいおかずにひやめし大好き」
「あ、おみそ汁つくらなくちゃ。お豆腐でいい?」
「ねぎたっぷりー」
「食べ終わったらブドウがあるから食べようね」
「わーい」
と、うちは、毎日そんなでした。
びんぼう(焼き肉といえば家でホルモン)だけど
料理好きで食いしん坊の家。
そこに「高級」を足すと、どうなるかというと、
「上流階級の家」になるのだと思う。
お手伝いさんだとか、料理人がいる家ね。
構造はいっしょじゃない?
食材が高級になり、できるものが変わるけど、
「食材と調理法を選ぶ」のは同じだよ。
「おかえりなさいませ。お坊ちゃま、
お夕食はいかがいたしますか」
「家で食べるよ」
「かしこまりました。
お召し上がりになりたいものはありますか」
「なにがあるの」
「サン・ダニエーレのプロシュット、
新鮮な牡蠣とマダイ。
ポルチーニもございます。
お肉は今日は赤牛の赤身がございますよ」
「じゃあ、プロシュットをメロンに巻いて、
牡蠣はそのまま生で2コ。
マダイはカルパッチョにしようよ。
で、ポルチーニをアーリオ・オーリオで、
太めのロングパスタがいいな。
お肉は叩いて、薄いカツレツにしてよ。
あ、たっぷりのグリーンサラダ忘れずにね。
ドレッシングはオリーブオイルとレモンだけでいいよ」
と、そんな育ちじゃないくせに、
調理好きのぼくは気取って書いてみましたが、
そう、そもそも、育ち。
そういう環境にいた人のほうが、
「メニューブックのない料理店」は
楽しめるんだろうと思う。
というかそういう人だったら
「これ、わざわざ外食するの」って思うだろうから、
そうじゃない人が、
そういう「あそび」をするお店なのかもしれないねえ。
「素敵な店を知っている」ことよりも
「上質な素材に詳しい」ことだとか
「最高の調理法を熟知している」ことのほうが
価値がある、というようなことなんだろうか。
んー。
ここでかっこうよく注文できると、
モテるってことなのかもねえ。
★ ★ ★
それはそれとして、ここ半年くらい、
周辺のみんながぞくぞくとはまっている
神田の「味坊」。中国東北料理の店。
バラックみたいな建物で、がたがたのテーブル
(こないだの席はキャンプ用の折畳みテーブルだった!)
に、丸椅子。
飲んで食べて食べて飲んで、
動けなくなるほどになっても
(「そもそも動けなくなるほど食べちゃダメ」
‥‥はい、そのとおりです)
ひとり4000円台をキープ。
最初「打ち上げを味坊で」という機会が増え、
やがて「味坊に行くために打ち上げと称する」ようになり、
いまや「味坊の会」となったくらいの、にわかブーム。
あんまり足しげく行くので、名前は覚えてもらってないけど
中国人の愛想のいいおばちゃん店員さんたちに
「ジョウレンサーン」って言われるくらいになりました。
あまりにみんなが行くので、第一発見者
(料理専門誌で知ったそうだ)が拗ねてしまったほどだ。
「なんだよー」みたいな。
こってりしてなくて、すっぱ辛いものも多く、
自慢の羊は
「わたし、北海道育ちですが、北海道よりおいしいです」
と言われるレベルだ。
ワインを合わせても(そう、ここはワインがビオでおいしい!)
二日酔いしないどころか、翌日すごく健康になっちゃう。
「板春雨」だとか「料理の素材としての白菜の漬物」だとか、
知らなかった食材が多いのも面白いし(しかもうまい!)
クミン、山椒、トウガラシの使い方なんて、もう、もう!
あと香菜! フレンチフライとチャーシューを香菜で和える、
みたいな、そんな使い方あるんですか先輩!
みたいな胸キュン(じゃない、胃)な料理があったりね。
ああこのテンションのちがい。
びんぼっちゃまの食卓はこちらが分相応なのだ。
あるんですよ、そういうお店が。
連れていってもらってびっくりした。
そこでは食材がワゴンで紹介され、
調理法のアイデアが提示される。
客はじぶんで「これを、こうしてください」と頼む。
前菜のうち冷菜だけは出来合いのものがあるのだけれど、
温菜からは、指示をしなくちゃいけない。
もちろん「おまかせ」前提で会話をして決めるのもアリだけど
メニューを眺めて熟考したり、
テーブルを囲む仲間と相談する余裕は、
あまり、ない。個の勝負!
その店は「ちょっとオシャレの必要なお店」で、
アミューズ皿はエルメス、
カトラリーはクリストフル、
グラスはリーデル。わかりやすい。
場所も都心の一等地のビルの中。
食材も、とてもよいものがそろっている。
よくわからないけどたぶんワインもいいものなんだろうな。
おしぼりは欧米のエアラインの匂いがしました。
この「高級な感じ」を差引くと、なにが残るんだろう。
たっぷり食材がある。
調理法は自由。
すぐ食べられる常備菜もある。
この構造、何かに近いんだよなあ。
あ、もしかしたら「家」?
料理好きのお母さんのいる家。
うちか。
たとえば母との会話。
「今日何食べたい?」
「えー、何があるの」
「お浸しと肉じゃがはできてるわよ。
お肉は鶏買っといた。
お鍋でもいいし、唐揚げでもいいし。
あとマグロのすき身、しらすもあるわね」
「じゃあ、唐揚げにしてー。
つけあわせはレタスがいいな。
なかったらキャベツ。
あ、竜田揚げじゃなくて、ほら、ふんわりしたやつね」
「卵の白身つけて揚げるとふんわりするのよ」
「それ、それ。
あと、すき身としらす、ちょっと食べたい。
トマトはある?」
「トマトあるわよー」
「じゃあトマトサラダも!」
「ごはん、おひつだけど、チンする?」
「ううん、ひやめしがいいー。
あったかいおかずにひやめし大好き」
「あ、おみそ汁つくらなくちゃ。お豆腐でいい?」
「ねぎたっぷりー」
「食べ終わったらブドウがあるから食べようね」
「わーい」
と、うちは、毎日そんなでした。
びんぼう(焼き肉といえば家でホルモン)だけど
料理好きで食いしん坊の家。
そこに「高級」を足すと、どうなるかというと、
「上流階級の家」になるのだと思う。
お手伝いさんだとか、料理人がいる家ね。
構造はいっしょじゃない?
食材が高級になり、できるものが変わるけど、
「食材と調理法を選ぶ」のは同じだよ。
「おかえりなさいませ。お坊ちゃま、
お夕食はいかがいたしますか」
「家で食べるよ」
「かしこまりました。
お召し上がりになりたいものはありますか」
「なにがあるの」
「サン・ダニエーレのプロシュット、
新鮮な牡蠣とマダイ。
ポルチーニもございます。
お肉は今日は赤牛の赤身がございますよ」
「じゃあ、プロシュットをメロンに巻いて、
牡蠣はそのまま生で2コ。
マダイはカルパッチョにしようよ。
で、ポルチーニをアーリオ・オーリオで、
太めのロングパスタがいいな。
お肉は叩いて、薄いカツレツにしてよ。
あ、たっぷりのグリーンサラダ忘れずにね。
ドレッシングはオリーブオイルとレモンだけでいいよ」
と、そんな育ちじゃないくせに、
調理好きのぼくは気取って書いてみましたが、
そう、そもそも、育ち。
そういう環境にいた人のほうが、
「メニューブックのない料理店」は
楽しめるんだろうと思う。
というかそういう人だったら
「これ、わざわざ外食するの」って思うだろうから、
そうじゃない人が、
そういう「あそび」をするお店なのかもしれないねえ。
「素敵な店を知っている」ことよりも
「上質な素材に詳しい」ことだとか
「最高の調理法を熟知している」ことのほうが
価値がある、というようなことなんだろうか。
んー。
ここでかっこうよく注文できると、
モテるってことなのかもねえ。
★ ★ ★
それはそれとして、ここ半年くらい、
周辺のみんながぞくぞくとはまっている
神田の「味坊」。中国東北料理の店。
バラックみたいな建物で、がたがたのテーブル
(こないだの席はキャンプ用の折畳みテーブルだった!)
に、丸椅子。
飲んで食べて食べて飲んで、
動けなくなるほどになっても
(「そもそも動けなくなるほど食べちゃダメ」
‥‥はい、そのとおりです)
ひとり4000円台をキープ。
最初「打ち上げを味坊で」という機会が増え、
やがて「味坊に行くために打ち上げと称する」ようになり、
いまや「味坊の会」となったくらいの、にわかブーム。
あんまり足しげく行くので、名前は覚えてもらってないけど
中国人の愛想のいいおばちゃん店員さんたちに
「ジョウレンサーン」って言われるくらいになりました。
あまりにみんなが行くので、第一発見者
(料理専門誌で知ったそうだ)が拗ねてしまったほどだ。
「なんだよー」みたいな。
こってりしてなくて、すっぱ辛いものも多く、
自慢の羊は
「わたし、北海道育ちですが、北海道よりおいしいです」
と言われるレベルだ。
ワインを合わせても(そう、ここはワインがビオでおいしい!)
二日酔いしないどころか、翌日すごく健康になっちゃう。
「板春雨」だとか「料理の素材としての白菜の漬物」だとか、
知らなかった食材が多いのも面白いし(しかもうまい!)
クミン、山椒、トウガラシの使い方なんて、もう、もう!
あと香菜! フレンチフライとチャーシューを香菜で和える、
みたいな、そんな使い方あるんですか先輩!
みたいな胸キュン(じゃない、胃)な料理があったりね。
ああこのテンションのちがい。
びんぼっちゃまの食卓はこちらが分相応なのだ。