Kindleでの読書をはじめてみた。
ビックカメラでコンタクトレンズを買ったらくれた商品券に
現金を足して、Kindle Paperwhite っていうのを買ってみたのだ。
iPhoneにもKindleのアプリはあって、
電子本はそれでも読めるんだけど、
iPhoneは小さい。
そしてiPadは初代を持ってるがなんとなく使ってない。
iPad miniを買うという選択肢もあるんだが、
そこまで思い切れない。
Kindle Paperwhite は、
「眼が疲れないらしい」
「ヒナタであろうと読みやすいらしい」
「読書に特化したデバイスである」
というのが決断のポイント。
マンガとか写真集はこれじゃ読まないだろうからカラー不要。
Wi-Fiさえ使えればいいから、
3Gモデルじゃなくてもいい。
ということでいちばん安いモデルにしたのでした。
「書籍というかたちが好きなのだ」
と、言っているのも嘘ではない。
画集や写真集などの大型本などは、
印刷方式によるうつくしさが未知数でうれしいし、
なんてったって料理本は、
モノとしてそこにあることがうれしい。
外国旅行から重たい大型本を持ち帰るのは厭わない。
そして本を読んでいないわけじゃない。
が、ストーリーを追うたのしみが減った。
物語に没頭する機会がほんとうに少なくなった。
大学で専門課程(美術史)に進学してから
その手の本を読むのがすっかり楽しくなり、
同時に音楽をちょこっとやっていたんだけれど、
当時ときどき会う機会のあった菊地くん(もちろん読書家)から
「いま何読んでるの?」と訊かれたとき
「美術の本ばっかり」と言ったら菊地くんは
「小説を読まなくちゃ!
文学は芸術だからね。すごく気軽に触れられる芸術だ」
ってけっこう真面目に言った。
「どういうの読んだらいい?」
「そうだなー、コルタサルなんかどうかな。
『石蹴り遊び』とか」
そしてすっかりその後ぼくは
ラテンアメリカ文学に入れ込むことになったので、
菊地くんは読書の恩人なのだ。
あれから25年くらい会ってないけれど、
いまのぼくはまた菊地くんに叱られそうだ。
年長の友人に「小説を読む機会が減った」
という話をしたらやはりそうだという。
「ずいぶん小説を読んでないなぁ。
あんなに毎日たのしみに読んでいたのに。
あんなに『物語について』
がいつも頭のなかにあったのに」と。
そうだよね、ほんとにそうだった。
いつからこんなに読まなくなっちゃったんだろう。
Kindle を買ったら、もしかしたら
そのあたりにも変化が出るんじゃないかと期待もしたのだ。
写真に行き詰まったらカメラ変えりゃいいんだよ!
というのは荒木経惟さんの名言だけど、
まさしくそんな思い。
さてKindle。
読む電子本はどこで探すのかというと、
Amazonのデバイスなので、Amazonのみである。
そして当然のこととして、
読みたい本がなんでもあるわけじゃない‥‥というところが、
「なんか読んでいたい」「いいものないかな」
というときに本屋に行く、
小学生の頃からずっと染みついてきたあの感覚みたいだ。
育った商店街には小さな本屋が2軒、
大きな本屋が3軒あったので、
ぼくは図書室or図書館よりも本屋によく行った。
図書室には絶対ない種類の本が本屋にはあるし、
図書館と違って町と地続きなところが好きだった。
背表紙だけを眺めているだけで幸せで、
お小遣いで買える本の数は限られてはいたけれど、
うちは本にだけは寛容な家だったので、
ちょっと高い翻訳小説なんかもけっこう読んでいた。
Kindleには「本屋に行く」というほどの高揚はない。
けれども「なんか読みたいなあ‥‥これにしようかな」
という、あんがいすっと決められる敷居の低さが、
町の本屋のようなのだ。
実体のある書籍よりもすこし価格も低めだし。
(文藝春秋本誌は逆に高いですけど。)
もっと選びやすくて、横目がきくといいなあとは思う。
「これを買った人はこれも買っています」も
自分には合わないことが多いし、
「あの本はあるんだろうか」と探すのが、
書架を移動するスピードにはかなわない。
結局、何を選んだかというと、
このところあまり読んでいなかった重松清さんである。
なんとなく読み始めてみたところ、
あまりにぐいぐい読めちゃうんで驚いた。
もちろん重松さんが面白いのもあるわけなんだけど、
大きさ、重さ、開くとすぐ出てくるスピード、
ページをめくる感じ、などなどが
けっこう自分の好みに合っている。
1冊をあっという間に読み終わり、
すぐに次どうする次どうすると
また重松さんの別の本を買い、
というようなことを繰り返している。
出張中もちょっと移動があるとすぐ開く。
ホテルの部屋でも「さあKindleだ」というのが楽しみで
なんとなくの感覚だけれど
パソコンを開く時間が減っちゃった。
「はやく次が読みたい」という、
こういう感じも、なんだかとてもなつかしい。
小学校のときはそれを横溝正史でやってた!
と、いま探したら横溝ってかなりKindle化されてる。
しかも当時のオリジナルの文庫判カバーデザインで!
と、こんなふうなよろこびも久しくなかったなあ。
Amazonでもっと上手に探せるようになったら
ますますおもしろそうだ。
本屋に住んでたみたいな(しかも金がない)頃と比べて、
そういうセンサーは鈍っちゃったかもしれないんだけれど。