小さな頃からよく熱を出してたけど
大人になってもかわらず
夏の終わりだとか冬の終わりみたいな
大きな季節の変わり目に風邪をひいて高熱を出す。
いまがまさしくそうで(もう微熱になったけど)
二日ばかりうんうん唸って布団にくるまってました。
あと大きな旅行の直前とか。
体が次の何かにむけて準備しているみたいような気がするので
本人的には熱を出すと
「毒消し、毒消し」と思って我慢するようにしている。
そんなに季節ごとに毒の溜まる体質なんでしょうか。
心の毒だったりして‥‥。
だったらブログ書いてないで寝てろというところですが
いままさしく内装施工業者が来ていて
天井の壁紙(天井も壁紙って言うの?)を張り替えているので
眠っているわけにはいかんのです。
窓開いてて寒いなあ。仕方ないけど。
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3月11日、どう過ごしますかという企画が
仕事であったものだから、それなりに考えて、
そうだ、と思いついたのが、
父に和菓子の作り方を習うこと。
父が店を畳んだのはぼくが小2のときだから、
8歳くらい? てことは昭和49年とか50年。
その後、静岡の大きな製菓会社で
製菓指導みたいな仕事をしてたけど、
ぼくがちょうど作業台の高さに
頭が出るか出ないかくらいの頃によく見てた、
父の手元から魔法のようにつくりだされる美しい和菓子は
店を畳んでから見ることができなくなった。
それでも季節やイベントの折りに、
家族や親類で楽しむ用にと
さくら餅、かしわ餅、大福、水羊羹、練り羊羮、
栗蒸し羊羹、ウィロー(名古屋のういろうではなく、
ポルトガル風の蒸しパンだそうです)、おはぎ、
それから赤飯なんかもよく家で作っている。
静岡を離れてから食べる機会は減ったけど
「東京の有名な和菓子屋」と比べても遜色ないどころか
ぼくの判断では、ずっと美味しかった。
小さい頃は、鹿の子とかくりまんじゅうとか
練り切りとかすあま、鮎、みたいなのも食べてたけど、
記憶の味のほうがずっと美味しい。
まあ、これも個人的な感想であり、
多少のセンチメントも入っているし、
そもそも記憶と現在じゃ勝負ができないんだけれども。
それで、いまもぼくが好きでいる和菓子で
家で作れる(作れなくもない)ものは
教わっておこうと思ったのでした。
ちゃんと弟子になれるような密な時間はとれないから
ほんとに「家庭料理」のひとつとして教わろうと。
しかしですね、これがたいへんだった。
ぼくは『LIFE』という料理本、
コンテンツの編集担当をしているんだけれど、
そこでは作り手の飯島奈美さんに
「砂糖と塩を、って、どっちが先」だとか
「少々、っていうのをもっとデジタルに言えないか」とか
「粘り気が出るまで、というその粘り気は
別の言葉で説明できないか」などと
分量と手順をかなりしつこく訊きつづけている。
そうしないと「完全な再現」ができないから。
もちろん料理というのは謎の魔法の部分があるから
いくらまったく同じ分量、手順にしたところで
完全に同じものにはならないんだけれど
『LIFE』に関しては及第点を超えて
90点以上、95点は行きたいと思ってやっている。
その5点から10点の部分が魔法の部分。
ところが和菓子、それもこういうプロの仕事というのは
魔法の部分が7割くらいあるんじゃないかと思った。
粉や砂糖など、乾いたものの分量は、基本的に決まっている。
これは『LIFE』的にできる部分。
けれども水が違う。
「いま、気温が何度で、季節がいつで、室温は何度で、
湿度は何パーセントで」
というあたりが、プロの職人には
「あたりまえの前提条件」としてあって、
それに応じて、水分がまったく変わる。
それから水分と連動して「練り」の具合が変わる。
まず練りには技術が必要なので
そこが文章にできない。
それから「これくらいまで」という完成の状態も
文章にするのは難しい。
写真や動画だったらちょっといけるかもしれない。
そこと連動して「加熱」の具合もかわる。
蒸し羊羹はまだいいほうで、
赤飯(蒸すほうです)の、「ほどを打つ」具合は
まったく魔術師の技に思える。
「で?」と何度訊いても
「見りゃわかる」
「やってみりゃわかる」。
やっぱり家庭料理教室というわけにはいかない。
完全に弟子状態。
さらに言うと、和菓子において「塩」の分量というのは
デジタルに出すことをしない文化のようだ。
大量生産ではするんだろうけど、
こういう職人仕事ではまさしく「あんばい」で、
その加減が変わる。
今回、父が1船、ぼくが1船、練ってみたのだが
あきらかに味がちがいました。
ねっとり感と塩味が、微妙に。
どちらも美味しいと思うけど、安定しないものだなあ。
ちなみに「練り」の技術に関しては
どういうわけか、ぼくはできた。
「なんだおめえ、うめえじゃねえか」
と父は不思議そうだったけど、
ただのモノマネです。
それにしても栗蒸し羊羹。
まじめにつくると5日かかるんですよ!
(栗の甘露煮に3日、練って蒸すのに1日、
さらに翌日まで寝かせるから。)
「割に合わねえ仕事だな」
と言うのはその通りで、
材料もいっぺんに仕入れるわけじゃないので
原価、1本1500円くらいになっちゃうみたい。
さて、ではさっそく自宅でつくれるかというと、
そういうわけにもいかない。
平日に合羽橋に行き、和菓子専門の道具屋で
家に置ける小さめの道具をそろえねばならない。
(といっても、けっこうでっかい)
銅の「さわり」とかまでは要らないけど
蒸し器は今のじゃダメだし、
小さい船(あんこを流す型)なんてあるんだろうか。
ちなみに実家のは手作りでした。
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3/12、フェイスブックで
誕生日のメッセージをたくさんいただいた!
ありがとうございます。
そんな、中年男の誕生日、以前だったら
べつに声高に「おれ誕生日!」と言わなければ
(言ったところで)
ごくわずかの親友をのぞいては
おめでとーなんて言ってもらえなかったもんだけど、
フェイスブックってすごいですね。
そういうの共有する文化がアメリカ的なのかな?
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そろそろ工事が終わりそうだ。
ゴハン炊いて食べようっと。