きみんちはなんでこんなにモノが多いのと
simple as it must beな考えの友人は言うのだが、
そんなことはない、ものすごくシンプルで
筋が通っているじゃないかと思う。
まあ、モノは多いかもしれないけど、
着ているものと同じで、
これでも(それなりに)じぶんで選んだものだけで
空間を構成しているのである。
そりゃもちろん無印良品や
ネットオークションで安く入手したような家具ばかりですが、
それでもそれなりに、ってことです。
そりゃほんとはB&Bとアルフレックスと
カッシーナとコンランショップで空間を構成して、
電化製品は輸入家電で統一し、
トーヨーキッチンでオーダーメイドの台所を
つくってほしいところだけど、
人生はなかなか思うようにはならない。
唯一の贅沢品はベッドであろう(シモンズ)。
それにひきかえ、と、この週末実家に泊まって
しみじみと思った。
実家というものはなんと出鱈目なのだろうか。
カーテンひとつとっても部屋ごとにばらばらだし
じゃあ部屋のなかで統一されているのかといえば
柄も長さも幅がかなり適当なようで
足りないところを引っ張って洗濯ばさみで留めたりしている。
ていうかここで眠ると朝日がまともに顔に当たるんですけど。
それに外出しようとして窓を閉めたらひとつ鍵がなかった。
窓の鍵がないんである。
どうやら壊れたので外しちゃったみたいだ。
まあ外から入れる場所の窓ではないんだが。
台所にしても収納がかなりばらばらな状態だ。
本人たちは何がどこにあるのか
わかっているのだとは思うけれど、
あまり、美しくは、ない。
たとえばちゃんとした棚を架ければいいものを
つっぱり棒にS字フックを下げて
「それでいいじゃん」にしたりとか、そういうことです。
梅干しや金山寺やらっきょうなど保存食品を容れるうつわも
なんだか半端なものばかりだ。統一感ゼロだ。
それでも個々の食器はだいぶよくなってた。
前はよく銀行のもらい物みたいなの使ってたけど
それはさすがに処分したみたい。
しかしタオルはどうですか。
息子があのすばらしい「やさしいタオル」をつくっているというのに
(ちゃんと送ってるのに)
いつの間にか家のタオルは頂き物らしきライセンシー商品だらけ。
それにいつも思うけどなんでLDKにカレンダーが5つもさがってるわけ?
そもそもレイアウトもおかしい。
仏壇とリビングの仕切りがテレビって?
(説明の仕様がないんですけど、そうなんです。)
ああ、めちゃくちゃ。
それでも居心地がいいのが実家というやつで、
それが困ったところである。
居心地がいい。ぐだぐだ。
だんだんと「これでいいじゃん」な気になってくるところが怖い。
そういうのが「ダメだーっ!」と
おれは故郷を後にしたはずである。
しかしだ、うちの母のえらいところは、
そういうふうにインテリア的センスはないのに
(あるいは、ほんとうはあるのだが、
暴君父の反対で、できないだけなのかもしれないが)
すべてを非常に清潔に保っているところだ。
掃除洗濯が行き届いている。ものすごくきれい。
あれだけごっちゃごっちゃになってる家で
埃が立たないというのはすごい。
ああ、金があったらどーんと改築してあげたい。
もちろんそんなふうには人生はうまくゆかない。
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仕事が忙しい。
はっきり言えるのは忙しいほうが楽しいということだ。
そしてそう言えるのは幸せなことだ、
‥‥と、人は言ってくれるわけで、
ほんとうにそうなのかどうなのか
自分ではそこのところはわからない。
いまはいくつかのプロジェクトが同時進行していて、
できるのかな、できないのかな、
とかなりドキドキしながら自分で締切りを決め、
そのため先週までは毎日原稿の締切りがあった。
それも「1日でこの量? よほど集中しないとできないかも?」
な感じでいちにちたりとも気が抜けずにいたのだけれど、
まともに取り組んだ結果、なんとか乗り切りました。
近道はない。やるしかない。
ふーっ。
そしてこんどは取材や出張が重なる時期が来た。
この週末は静岡から神戸に。
その前に佐賀日帰りっていうのもありました。
このあと松島仙台気仙沼、長野、博多熊本天草、
奈良、京都、伊賀、と続く。
11月は半分くらい東京にいません。
東京に戻らずに出張のハシゴもあります。
九州から奈良って新幹線で行けるの? とかそういう感じ。
でもぼくは以前海外旅行ガイドブックの
取材編集執筆(ぜんぶ)の仕事をしていたので
移動生活とか旅ぐらしは案外平気である。
枕が変わると眠れないでしょ、
と言われたりもするのだが、そんなこともない。
眠気が勝つ。
インドに行ったときにベッドだベッドだと飛び込んだら
板に布がかけてあるだけだったり
シャワーから電気が漏れたり(びりびりした)してたのは
さすがに弱ったけど。
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家の近所にある「パウルコーヒー」が美味しい。
豆屋です。焙煎して売ってる。
美味しいだけじゃなくて、ひどく安い。
だいじょうぶですかといいたくなるくらい安くて、
ひじょうにうまい。
きょうコーヒーが切れて、
日曜が休みなので、しかたなく某米国系の
ロゴのすてきなコーヒー屋さん(&が入ってるほう)で
フレンチローストを買ったんだけど、
ぜんぜんフレンチローストじゃないうえに
すごく高かった。
こういうのはなんともくやしい。
ぼくはコーヒー好きだけど
昨今のコーヒー“道”的ブームはいかがなものかと
ちょっとだけ感じ悪く思っている。
弊サイトにもあるような
かわいい同好会的なのものは大好きなんだけど、
「えらそうな人」が出てきたときに
なんだよそれって思っちゃったんですよ。
その「えらそうな人」がどれくらいえらそうなのかというと、
これはただの体験談ですが、
某イベントで遠方からいらしたそのかたは
目の前でコーヒーを淹れてくれて、
(もちろん金をとる。1杯1000円です)
そのあいだずっと「ポッと出の焙煎家は潰しますわ」とか言ってるし
(そもそも、焙煎家って何?)
メニューからコーヒーを選ぶときに
同行者がマゴマゴしていたら
「‥‥そやったら、ドトールと、スタバ、
どっちがお好きですかいな」
(方言は不正確です)
と訊いた。こわっ!
同行者はかなりぼんやり系のコーヒー好きだったので
「とても親切な訊き方だった」と思ったようだが、
あれはやっぱり怖いですよ。
そんなわけでコーヒー“道”的ブームを
にがにがしく思っている、コーヒーだけにね!
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自炊写真をちょこちょことflickerにアップしてます。
旧い旅の写真もあります。
よかったらどうぞ。
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たいへん個人的なことだが、
受け止めきれないが受け止めざるを得ないある事実を前に、
柿をむいて食べながら台所で泣く。
泣くしかできない自分がいて、情けない。
でもまあ、いま泣いてもしょうがない、
笑っていようと決める。
その翌日、まったく別のところから、
さらにつらい報せが飛び込む。
しかし、そのつらいはずの報せには、酷く冷静な自分がいる。
「ああ、そういうことになったのか」と
流れる砂を見つめるような気分になるのみだ。
幾人か旧い知己に連絡をとり、その報せを伝える。
ひさしぶりに聞く声は、いずれも変わらず温かかった。