日曜日。
いつものようにジムに行き、地下鉄で新宿に出る。
一週間分の食材買い出しなんだけど、
デパートが6時閉店というのを知らず、
地元の四谷三丁目に戻る。
韓国食材店で豚肉と牛肉、あとキムチ各種を買って、
スーパーで野菜など。
でもここの野菜は一週間もたないんだよな、と、
数日分にして、家に戻る。
調味塩とオリーブオイルに漬けてあった鶏肉をかりっと焼いて、
炊いてあったごはんと、朝つくったみそ汁の残り、
かまぼこ切って、キムチとともに夕飯。
食べ終わって仕事を再開してたら、
仙台から電話が入りました。
心配していた友人。
びっくりするほどにいつもの声。
つまり大声。元気。
話を聞くと、こういうこと──。
友人は一家でいったん避難所にうつったものの、
そこはすこしヒステリックな状態になっていたそうで、
威張る人、仕切る人、喧嘩‥‥そんなものの芽があって、
友人も声がでかく自分の意見をはっきり言うタイプ、
これは自分も加わって言い争いにでもなったら、
さらにムードを悪くすると判断したらしく、
避難所を出て、さいわい無事だった車で一夜を明かし、
明るくなってから親類の家に移ったと。
その地区は停電はしているけれど、
プロパンガスが使えるエリアだそう。
そしてあけて友人はひとり、
復活したバスで仙台市内に戻ってきた。
中心部はもう電気と水道が通っていた。
海外と直接取引の仕事をしているので、
50通ほどの英語のメールを個別に書かねばならなかったのだが、
なかなか、こちらの事情をかんがみない人もいるようで、
返事に難儀。
プンスカしながらも、なんとか終えたと。
家族に、市内は電気が通ってるぞと報せたいが、
その手段がなくて困ってるんだよねと。
市内から東京には電話が通じても
県内の他地域と分断されちゃってるんだな‥‥。
彼には住宅地の自宅のほかにもうひとつ
繁華街に仕事の場所があるのだけれど、
どちらも伊達政宗が築城したエリアで、
地盤の硬い土地なので、
被害はもちろんあるけれど、
ニュースで報道されているような
壊滅的状況ではないから安心しろと。
とくに自宅は、伊達家の敷地内だった場所で、
広瀬川沿いながら、地盤が岩盤だったのが幸いした。
友人のさらに友人たちの消息はわからないまま、なのだけれど、
とにかく自分は大丈夫だと。
ぼくとしても、あの大きな声が聞けてよかった。
さっき見たら、友人、ブログを更新してました。