松本から東京へ向かうあずさの中で地震、
穴山という駅で停まる。
外で待て、いや中で、という一悶着があったあと、
その日は電車が動かないとわかって、
車内で夜明かしをどうぞということになる。
さてここでとどまるべきか動くべきか。
ここが山梨県のどこかだということが現実。
一刻も早く東京に帰りたいというのが目的。
動く、と決める。
知人友人に迎えを請うことをまず考える。
携帯電話は通じず、
東京の車を持つ友人たちには連絡できないままだったが
(あとで考えたら東京から迎えに来てもらうのは
無理だったのだが、その時はわからない)
松本の知人から電話が入る。
こちらからは無理でも向こうからは大丈夫?
わからないが、ともかく連絡がとれる。
場所を伝える。
けれどもここは松本からかなり離れていること、
中央道が閉鎖されていて
ここまで来ることはそうとうな難儀だということがわかる。
ここは山梨──と、思い出したのが、
いちどお宅に伺ったことがある
石和のざぶとん亭の馬場さん。
穴山と石和がどのくらい離れているのかわからなかったが、
石和に寄せてもらえれば、ひとまず不安ではなくなるだろうし
情報はいろいろ入ってくるはずだと考える。
ともかくも「なにも情報がない」のがいちばん不安だった。
東京のみんなはどうだ、
仙台の大事な友人は無事だろうかととても不安でいた。
会社からのメールはどういうわけか入り
ほぼ日のみんなは無事とわかる。
むしろいちばんややこしいことになっているのが僕らだとわかる。
仙台の友人から一言だけメールが入る。
「壊滅」と書かれていた。
それでも友人はメールを送ったのだから生きていると、
ほんのすこしだけ安心するが、
状況がわからないので不安は不安のまま残る。
とにかく自分は元気でいなければならないよな。
携帯電話は通じなかったが、
着信履歴が残せたらしく、
馬場さんからDoCoMoのショートメッセージが来る。
自分は仕事で都内にいて不在だが
なんとか自力で石和まで来てくだされば、
家族がいますので泊まっていただけますと。
地元のタクシー会社の番号も教えてもらい、
公衆電話から(これは通じた)呼び、乗り込んだ。
さくっと書くとそういうことなのだが、
昼2時前に松本を出発して、
この時点で夕方7時はまわっていたと思う。
タクシーの運転手さんはひとのよいおじいさんで、
大渋滞のなか、時間メーターを切り、
距離メーターで石和に向かってくれた。
車内のラジオで、ことの大きさを知る。
途中でタクシーに無線が入る。
「乗っているお客さんに、この番号に電話するように伝えて」
という謎めいたメッセージ。
サスペンス映画のようだけど、
もちろんこれは謎ではなく、馬場さんが調べて、
「韮崎タクシーで石和に向かっている人」へ
家に電話するようにと連絡をくれたのだった。
東京にはまったく通じない電話だったが
山梨内では比較的大丈夫だったのか、
馬場さんの奥さんと話すことができた。
「お風呂もあります、おふとんもあります、
ごはんもいっしょに食べましょうね」
とおっしゃっていただき、とてもあたたかい気持ちになる。
3時間以上かかって、夜10時半ころに石和に到着。
馬場さんの奥様と息子さんに迎えていただく。
胃も体も心も、しっかりあたためていただく。
「あたためる」ことがいかに大事か、痛感する。
ありがとうございました。
テレビを初めて見る。
とんでもない映像が映し出されていて、がく然とする。
できることは、思うこと、祈るしかないんだよなと知る。
夜中に仙台からメール。
「車で夜明かし」と。
彼ら一家、広瀬川沿いに住まいがあるので
避難したんだと思う。
その後連絡がなく、仙台中心部の情報というのが
ほとんど入ってこないので、
いまどうしているかわからないが、きっと大丈夫。
彼ら一家のタフさと明るさと運を信じようと思う。
明けて12日。朝ご飯をいただく。
中央本線の駅で列車を待つか、
中央道が開通したということで高速バスを待つか。
馬場さんの家から徒歩一分のところに高速バスのバス停があるので、
そちらを選ぶ。
ネットで予約ができたので10時20分の新宿行きを予約。
昼過ぎに東京に戻ることができました。
ああ東京だ、という気持ち、ほんとうにうれしかったな。
ちなみに12日はぼくの誕生日で
夜は、大事な日に必ず行くレストランを予約していたのだが、
同行者と連絡をとり、やめようね、ということに。
そのことをツイートしたら
仲良くしている従妹から連絡。
彼女の父、つまりぼくの叔父(叔母の夫、ですが)は
なんとぼくと誕生日が同じ。
従妹が生まれる前どころか叔母が結婚する前から
よく知っている人で、
キャラクター的に言うと釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいな人。
どんな人とも対等に付き合う。
子供だったぼくにも、大人になったぼくにも、
同じように付き合ってくれる人。
倒れて半身に麻痺が残り自宅リハビリ中の叔父だが、
実家でゴハンにするから一緒に来ない?
と、従妹のメッセージはそういうもの。
そうだな、それはいいな。
自分の食べたいもの持ってくればいいからということで、
ひとつ用事を済ませて(ベッドのお金の払い込み)
JRで渋谷に出てみたが、なんと東急が6時閉店。
買い物できない。西武はどうかなとも思ったけど
それよりバスで六本木に出よう。
明治屋でつまみを買い、
カクヤスでスパークリングワインを買って、霞町の叔父宅へ歩く。
行ったら、みごとに元気そうな叔父70歳。
「義明、引っ越すんだってな。ほら」と、
引っ越し祝いを渡される。
えっ! くれるの! と、こちらは大喜び。
もちろんありがたくいただく。
「いっか、むかしっから言ってるけど、
お返しは、なし、だからなー。
そういうのめんどうだからな」
やっぱりこの人は変わらないなあ。
そういうところも大好きだ。
これは、ぼくは「バトン」だと思って受け取ります。
叔父がさっさと横になっちゃったので
従妹と叔母と食べて飲んで(飲むのはほとんど自分だけ)、
たくさんしゃべる。
従妹が買ってきてくれたケーキも食べた。
mixiやツイートやメールで
「こんな日になんですが誕生日ですね」と
メッセージをたくさんいただいた。
こんな日になんですがありがとう。
じぶんの受けたあたたかさは、
これも、そのまま、次のバトンにします。
日常に戻れたことに心から感謝。
きょうは祈りながら、仕事します。