前の仕事で『東欧の本(改訂版)』を書いたのが1996年。
ぼくはその年に取材でルーマニアを訪れている。
40日ほどかけてチェコ、スロバキア、ハンガリー、
オーストリア、旧東ドイツ、ポーランド、ルーマニア、
ブルガリアの各都市(取材先は主に観光地)を旅したんだけれど、
とりわけ印象深かったのがルーマニアだった。
なんでかっていうとゴハンがおいしかったから。
‥‥だけじゃない。
きわめて「きな臭かった」からです。
ほかの都市、国が、80年代終わりの民主化以後、
人々がよろこびに満ちた努力を重ね、
花開いたようにあざやかに色彩を変えていった姿を
間近に見て、感じたなかで、
ルーマニアってなんだか「白黒映像」みたいだった。
ほこりっぽくてごみごみしていて人々の目つきはやたら鋭く
その目には未来なんて見えていないようだった。
街はリノベーションが半端で、銃弾の痕とかが残っていたし、
それでも飯がうまいっていうのは凄いことだなあと、
そんなふうに思ったんだった。
飯がうまい国は悪い国じゃないはずなのになあと。
前後して「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれる、
マンホールに住む子供たちのことがよく話題になった。
孤児だ。
あの公開銃殺をされたニコラエ・チャウシェスクの妻である
エレナ・チャウシェスクが加担したといわれる悪政。
たとえばそのひとつが避妊と堕胎手術の禁止、
そして女性に5人以上子供を産むことを強制する法
(たしか10人生むと褒章、とかそういうのもあったと読んだ)だった。
そしてその結果生まれた、大量の孤児たちが
「チャウシェスクの子供たち」だった。
孤児院に収まり切らない孤児たちは
マンホールの下、下水道に身を寄せ合って暮らし、
大量のストリート・チルドレンとなった。
教育もマナーも人生のルールも知らず、
けれどもそばに(孤児どうしの)体温だけはあったわけで、
身を寄せあうなかでまた不幸な子供たちが生まれ、
そしてHIVが蔓延していった。
往時のルーマニアでは(主にエレナが)
「共産主義国にエイズは存在しない」
という主張をしていた。
と、当時そんな知識はなかったけれど、
ぼくがガイドブックの取材で歩き回っていた
首都ブカレストの地下世界が
そんなふうになっているというのは、
のちに日本の報道で知った。
もうチャウシェスク夫妻はこの世にないが、
彼らの落とし子たちはたくましく生きており、
それが社会問題になっているのだと。
(いま調べてみたら松下政経塾のこの記事が詳しいです。)
●
ことしのウインブルドンで
「ハネスク事件」というの起こったと知った。
28歳のルーマニア人選手、ヴィクター・ハネスクが
対戦中に、観客の野次に激昂し、
つばを吐きののしって、退場したという事件だ。
ハネスクは国民からの尊敬をあつめている、
知性も品格もある人物であると
いろんなところに書かれている。
そんな彼がこうなってしまったというのは
とても不可解なことだという。
ネットでの情報によれば、
どうやら、とても酷い人種差別的な罵り
(おそらく「ジプシー」)を、
イギリス人とアイルランド人の酔った観客から浴びたことが
原因だったらしいと書かれている。
ルーマニアというのはロマ人の国という意味だ。
ジプシーというのはロマ人の別称(蔑称)でもある。
ルーマニア人であることを誇りにしているはずの彼に
そのことばを吐くというのは、
彼が一世一代の勝負を棒に振っても許せなかった、
ほんとうに酷いことなのだと思う。
ヨーロッパを旅すると、ジプシーと呼ばれるひとびとは
多くの都市で生活をしている。
生活──といえるのだろうか、という気もするが、
そこに滞在し、そこで食べ、そこで眠っている。
彼らを移動させ、定住させる背景には
「組織」があるんだと、地元の人は言い、
通り過ぎるぼくのような旅人に注意をうながす。
アンタッチャブル、触れてはいけないと。
彼らは悪事を働くが、
それを悪いことと思っていないと。
●
ぼくは何かが言いたいわけではない。
友人の日記をきっかけに
「連鎖的に、そういうことを想い出した」というだけだ。
ただ、ひとり思うのは、
自分はたまたまこの時代の日本に
日本人として生まれたのだ、という単純な事実だ。
もしかしたらブカレストの寒い冬に、
13歳の母からマンホールの中で
産み落とされた人生かもしれなかった。
そのまま人身売買のブローカーに売られて
児童売春を強要されていたかもしれなかった。
苦痛と屈辱の人生を送り12歳で死んでいたかもしれなかった。
だが、ぼくは幸いにしてそういうことにならずにいる。
そんなことを思う。
●
七夕の日、
ツイッターでこんな写真が話題になってた。
「うわあああん」「かわいそう」
「この子の願いよ叶え!」「おとうさん!」
と、もちろんそう思うのは人情。
だけれども、ちょっと立ち止まって考えてみる。
自分がその「わるいおねえさん」になる可能性だって、
人生にはある。いくらでもあるのだと。
この「おとうさん」になることだってあるし、
その妻になることだってある。
「この子の願いよ叶え」
と思うその心はまちがっていないけれど、
人生はそう簡単ではないと、
ぼくはぼくの物語のなかで、そう思うのだ。
●
飯の旨い国には未来がある。
ぼくは本気でそう考えている。
ぼくはその年に取材でルーマニアを訪れている。
40日ほどかけてチェコ、スロバキア、ハンガリー、
オーストリア、旧東ドイツ、ポーランド、ルーマニア、
ブルガリアの各都市(取材先は主に観光地)を旅したんだけれど、
とりわけ印象深かったのがルーマニアだった。
なんでかっていうとゴハンがおいしかったから。
‥‥だけじゃない。
きわめて「きな臭かった」からです。
ほかの都市、国が、80年代終わりの民主化以後、
人々がよろこびに満ちた努力を重ね、
花開いたようにあざやかに色彩を変えていった姿を
間近に見て、感じたなかで、
ルーマニアってなんだか「白黒映像」みたいだった。
ほこりっぽくてごみごみしていて人々の目つきはやたら鋭く
その目には未来なんて見えていないようだった。
街はリノベーションが半端で、銃弾の痕とかが残っていたし、
それでも飯がうまいっていうのは凄いことだなあと、
そんなふうに思ったんだった。
飯がうまい国は悪い国じゃないはずなのになあと。
前後して「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれる、
マンホールに住む子供たちのことがよく話題になった。
孤児だ。
あの公開銃殺をされたニコラエ・チャウシェスクの妻である
エレナ・チャウシェスクが加担したといわれる悪政。
たとえばそのひとつが避妊と堕胎手術の禁止、
そして女性に5人以上子供を産むことを強制する法
(たしか10人生むと褒章、とかそういうのもあったと読んだ)だった。
そしてその結果生まれた、大量の孤児たちが
「チャウシェスクの子供たち」だった。
孤児院に収まり切らない孤児たちは
マンホールの下、下水道に身を寄せ合って暮らし、
大量のストリート・チルドレンとなった。
教育もマナーも人生のルールも知らず、
けれどもそばに(孤児どうしの)体温だけはあったわけで、
身を寄せあうなかでまた不幸な子供たちが生まれ、
そしてHIVが蔓延していった。
往時のルーマニアでは(主にエレナが)
「共産主義国にエイズは存在しない」
という主張をしていた。
と、当時そんな知識はなかったけれど、
ぼくがガイドブックの取材で歩き回っていた
首都ブカレストの地下世界が
そんなふうになっているというのは、
のちに日本の報道で知った。
もうチャウシェスク夫妻はこの世にないが、
彼らの落とし子たちはたくましく生きており、
それが社会問題になっているのだと。
(いま調べてみたら松下政経塾のこの記事が詳しいです。)
●
ことしのウインブルドンで
「ハネスク事件」というの起こったと知った。
28歳のルーマニア人選手、ヴィクター・ハネスクが
対戦中に、観客の野次に激昂し、
つばを吐きののしって、退場したという事件だ。
ハネスクは国民からの尊敬をあつめている、
知性も品格もある人物であると
いろんなところに書かれている。
そんな彼がこうなってしまったというのは
とても不可解なことだという。
ネットでの情報によれば、
どうやら、とても酷い人種差別的な罵り
(おそらく「ジプシー」)を、
イギリス人とアイルランド人の酔った観客から浴びたことが
原因だったらしいと書かれている。
ルーマニアというのはロマ人の国という意味だ。
ジプシーというのはロマ人の別称(蔑称)でもある。
ルーマニア人であることを誇りにしているはずの彼に
そのことばを吐くというのは、
彼が一世一代の勝負を棒に振っても許せなかった、
ほんとうに酷いことなのだと思う。
ヨーロッパを旅すると、ジプシーと呼ばれるひとびとは
多くの都市で生活をしている。
生活──といえるのだろうか、という気もするが、
そこに滞在し、そこで食べ、そこで眠っている。
彼らを移動させ、定住させる背景には
「組織」があるんだと、地元の人は言い、
通り過ぎるぼくのような旅人に注意をうながす。
アンタッチャブル、触れてはいけないと。
彼らは悪事を働くが、
それを悪いことと思っていないと。
●
ぼくは何かが言いたいわけではない。
友人の日記をきっかけに
「連鎖的に、そういうことを想い出した」というだけだ。
ただ、ひとり思うのは、
自分はたまたまこの時代の日本に
日本人として生まれたのだ、という単純な事実だ。
もしかしたらブカレストの寒い冬に、
13歳の母からマンホールの中で
産み落とされた人生かもしれなかった。
そのまま人身売買のブローカーに売られて
児童売春を強要されていたかもしれなかった。
苦痛と屈辱の人生を送り12歳で死んでいたかもしれなかった。
だが、ぼくは幸いにしてそういうことにならずにいる。
そんなことを思う。
●
七夕の日、
ツイッターでこんな写真が話題になってた。
「うわあああん」「かわいそう」
「この子の願いよ叶え!」「おとうさん!」
と、もちろんそう思うのは人情。
だけれども、ちょっと立ち止まって考えてみる。
自分がその「わるいおねえさん」になる可能性だって、
人生にはある。いくらでもあるのだと。
この「おとうさん」になることだってあるし、
その妻になることだってある。
「この子の願いよ叶え」
と思うその心はまちがっていないけれど、
人生はそう簡単ではないと、
ぼくはぼくの物語のなかで、そう思うのだ。
●
飯の旨い国には未来がある。
ぼくは本気でそう考えている。