ルーシー・リー展、最終日。
すばらしかった。
芸術をつくるのではなく
生活雑器をつくりつづけた人なんだけど、
すべてのうつわが、
そこにいるだけでまわりをしんとさせる
敬虔な修道女のような雰囲気をもっている。
もうこれは空気を飲むためのうつわであり
空気を生けるための花器であり
空気をそそぐための酒器だ。
そして、彼女のつくりつづけてきたものは、
生涯、ぶれていない。
まなざしが、まっすぐ。
そのまなざしの先に、彼女の手があった。
生まれてきたうつわたちにとって、
これはとても幸せなことだと思う。
すべてのうつわに、彼女の手のあとがあり、
すべてのうつわに、いまも、彼女がいる。
ぼくは仕事で陶芸を見る機会が多いんだけれど、
こんな人、‥‥現役の作家にはいないよなぁ。
越えてゆけー!
オルセーのポスト印象派展は、
もうすこし空いてから行ったほうがいいです。
絵が見えないくらいなんだもの。
いまや西洋絵画の定番のように思われている
印象派やポスト印象派だけど、当時は前衛だったわけで、
そこからいわゆる抽象絵画へと時代は流れてゆく。
極端な話だけど
ただのりんごや山を描くセザンヌがいなかったら、
ただのひまわりを描くゴッホがいなかったら、
絵描きはいつまでも肖像画の請負いだったかもしれない。
ピカソが出てくるまでのあいだ、
幾多の画家たちが挑戦しつづけた、
身を切るような表現のこころみ。
そういうものが、混雑のなかからでも
びしびしと伝わってくる展覧会。
ああちゃんと観たいなあ。
いつ空くんだろう。空かないか。
国立新美術館は好きになれないが
次のマン・レイ展はとても楽しみです。
すばらしかった。
芸術をつくるのではなく
生活雑器をつくりつづけた人なんだけど、
すべてのうつわが、
そこにいるだけでまわりをしんとさせる
敬虔な修道女のような雰囲気をもっている。
もうこれは空気を飲むためのうつわであり
空気を生けるための花器であり
空気をそそぐための酒器だ。
そして、彼女のつくりつづけてきたものは、
生涯、ぶれていない。
まなざしが、まっすぐ。
そのまなざしの先に、彼女の手があった。
生まれてきたうつわたちにとって、
これはとても幸せなことだと思う。
すべてのうつわに、彼女の手のあとがあり、
すべてのうつわに、いまも、彼女がいる。
ぼくは仕事で陶芸を見る機会が多いんだけれど、
こんな人、‥‥現役の作家にはいないよなぁ。
越えてゆけー!
オルセーのポスト印象派展は、
もうすこし空いてから行ったほうがいいです。
絵が見えないくらいなんだもの。
いまや西洋絵画の定番のように思われている
印象派やポスト印象派だけど、当時は前衛だったわけで、
そこからいわゆる抽象絵画へと時代は流れてゆく。
極端な話だけど
ただのりんごや山を描くセザンヌがいなかったら、
ただのひまわりを描くゴッホがいなかったら、
絵描きはいつまでも肖像画の請負いだったかもしれない。
ピカソが出てくるまでのあいだ、
幾多の画家たちが挑戦しつづけた、
身を切るような表現のこころみ。
そういうものが、混雑のなかからでも
びしびしと伝わってくる展覧会。
ああちゃんと観たいなあ。
いつ空くんだろう。空かないか。
国立新美術館は好きになれないが
次のマン・レイ展はとても楽しみです。