書くべきかどうか迷いましたが
やっぱり書いておこうと思います。
「ゴリちゃん」のことを
直接ではなくても、ぼくから聞いたことがある、
ここで読んだことがあるというかた、
よかったら、目を通してくださると、うれしいです。
8月28日の木曜日、
もと担当トレーナーのゴリちゃんに
ぼくのできるせいいっぱいの「独立祝い」をしました。
前々から「ピアット・スズキ」がいかに美味いか力説していて
一回行ってみたいです、と言うので、
でもぼくにとってもそうカンタンにご馳走できる店ではないので
君がこのジムを辞めるようなことがあったら、
お疲れさま会をしてあげるよ、と言っていたのです。
辞めるなんてことはないと思っていたゴリちゃんでしたが
いろいろあって、5月末に辞めることになり、
ぼくとゴリちゃんの最後のトレーニングも終わりました。
ゴリちゃんは去り、ぼくには新しいトレーナーがつきました。
しばらくすると寂しさはどこかに薄れ、
ぼくもなんだかんだ忙しいまま8月になり、
ちょっと時間が経っちゃったままなのが気になっていたとき、
ちょうど同僚がスズキさんに行ったと聞きました。
そうだそうだ、スズキといえば、
ゴリちゃんにお疲れさま会じゃないか‥‥というより、
もう独立祝いだよな、を、しなくちゃ、と思って、
連絡をとって予約をして、行ってきたのでした。
それが先週の木曜日です。
それはほんとうに楽しい時間でした。
トレーニング中もよく二人で馬鹿なことばかりしゃべってて、
毎回とても楽しかったんだけど、
あらためて会って話してみると、
やっぱりゴリちゃんは年も若いのに楽しいやつで、
ああ、ずっと、仕事上のサービスで
話を合わせてたんじゃなかったんだなと強く思いました。
ほんとに、ともだちになれると思いました。
こんなおじさんが言うのもなんだけど、
こういうのは、ただそう思うものなんだと思います。
「おまかせ」でいっぱい食べていっぱい飲んで、
最後は子羊のパン粉焼きが「5人前」という量を
2人でわけてがつがつ食べました。
最後の請求書にぼくはこっそりびっくりしたけど、
えいやっ、お祝いお祝い、と思ってオトナのフリして払いました。
新卒でこのジムのトレーナーになったゴリちゃんは
ひとりになってはじめて「人のつめたさ」も知ったりしたらしく、
でも、逆に「人のあたたかさ」も知ったらしく、
こんないいことがあった、こんなかなしいことがあったと
たくさんしゃべってくれました。
「名刺つくったんです」とくれた名刺は
ともだちがイラストを描いてくれたというかわいい名刺で、
「渡邊英俊」(ゴリちゃんの名前は渡邊英俊<渡辺英俊>というのです)
の上に添えられた「パーソナルトレーナー」という肩書きは、
控え目ながら、ここからスタートを切るんだという
希望に満ちたものでした。
前に所属していたジムのお客さんに声をかけるわけにはいかないので、
あたらしいお客さんの開拓はたいへんだったらしいけど、
やっと、一人目のお客さんがついて、
その人はこういうすごい人で、っていう話を
すごくうれしそうにしていました。
君は絶対に年長者から好かれるから、
まじめにそれをやっていれば、
その人がまた別の人を紹介してくれて、
仕事がきっと回るようになるよと励ましました。
お調子者なところが、前の会社では評価されなかったみたいだけど、
それは君のとってもいいところだし、
なによりも、トレーナーとして優れていると思うと、
ぼくはぼくなりに励ましました。
じっさい、ゴリちゃんは、こちらが体調が悪いのを
隠しているときはかならず見破り
「きょうは軽めにこういうことをしましょう」と言うし、
逆に、体調がいいのに「眠くて疲れてて力が出ないんだよ」
なんていうのを、「いや。武井さんは大丈夫です、
今日はここまでやってもらいます」なんてしごくし、
でもぜったいに怪我をさせることはなく、
言われてみればたしかにできちゃったりして、
人のポテンシャルを最大限に出させる力のある、
優秀なトレーナーでした。
ジムに併設されているスポーツマッサージの先生も
「ゴリさんが担当したあとの武井さんは
筋肉の使われ方が見事なんですよね」と言うほどでした。
さて、ぼくのせいいっぱいの独立祝いを
ゴリちゃんはとても喜んでくれたらしく、
翌日29日に、こんなメールをくれました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
武井さん
昨日はありがとうございました!
美味しかった!
どころじゃなかったです!
今までで1番!
今までにない!
凄かったです!
本当にありがとうございました!
伊豆を楽しんできて下さいね!
あと、Xさんにも宜しくお伝え下さい!
これからもまだまだ忙しくないので、
もし何かありましたら、お誘い下さい!
今後とも宜しくお願いします!
武井さんと知り合いになれて、本当に良かったです!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ぼくは馬鹿なので、
こういうメールも義理で書いたものではなく、
心からのものだと思い、
ああ、よかった。
ちょっと大枚はたいちゃったけど、
あいつはあいつでやっぱりちょっと元気なくしてて、
ちょっとでも、なにかをあげられたなら、
ぼくとしてはほんとうにうれしいや、
と、そう思いました。
ちなみに文中のXさんというのは
同じようにゴリちゃんがトレーナーをつとめていた
ぼくのたいせつな年長のともだちで、
その週末はいっしょに伊豆に行くことになっていました。
そのあとのメールで、
共通の知りあいの女性が開いている日本橋の食堂へ
「11日の夜、ごはんを食べに行こうよ」と、
次の約束をしました。
それが29日のことでした。
30、31日の土日、ぼくは伊豆に行き、
あけて9月の1日は月曜日でふつうに仕事、
そして2日の火曜日は、ゴリちゃん時代からずっと決めている
「22時の最終回のトレーニング」をしに、
いつものようにジムに行きました。
トップクラスの女性トレーナーとして忙しくしている
ゴリの同期のような存在のKさんがめずらしくその時間にいたので
「おっ、こないだゴリに会ったよ。
ちょっと太ってたけどすごく元気だったよ」
と言ったところ、ちょっと「困ったな」という顔をしました。
あ、しまった。辞めた人のことを話すのは
タブーなのかもなと思い、そこはそのままスルーして
担当のAくんとトレーニングに入りました。
Aくんはゴリちゃんをとても尊敬していて、大好きで、
辞める時の送別会では泣きやまなかったくらいらしいんだけど
いまはちゃんと立派にぼくの面倒を見てくれています。
1対1なら大丈夫だろうと、
こないだのスズキがおいしかったことや
たくさん食べたことや、
いまのゴリの状況で、話していい程度のことを伝え、
Aくんも「ゴリさんがんばってるんですね。
ぼくもがんばらなくちゃ」と言いました。
1時間のトレーニングが終わって着替え、
帰りにKさんがぼくを待っていました。
「ちょっとゴリラのことで(彼女は“ゴリラ”と呼ぶ)
お話があるんです」。
ああ、やっぱり、今後ここではゴリのこと
あまり話さないでくださいねと
そういうようなことなのかなあと、
でもそれはしかたないよなと思いながら話を聞きはじめました。
けれども彼女から出た言葉はちがいました。
「ゴリラ、死んだんです」
すぐに意味がわからなくて、
そういうときってほんとに頭をかかえちゃうものなんですね。
ぼくは絵に描いたように頭をかかえました。
そして「えっ?」と何度も言いました。
「死んだんです。ほんとうです」
Kさんが目を真っ赤にしているので、
これはまったくもってほんとうのことなんだということを理解しました。
だって28日に会ったよ? 会ったばかりだよぉ?
ぼくはなんだかふざけた男のように笑いながら、
そんなはずがないという口調で言いました。
大根役者の芝居みたいでした。
Kさんが言うには、くわしいことはわからないけれど、
30日に、泥酔して階段から落ちて、亡くなったのだということでした。
(そのときは)まだ、仲間には言えていないのだけれど、
武井さんが先週ゴリに会ったというので
なんとしても報せなくちゃと待っていたと。
通夜と告別式の場所と時間は
あとでお知らせしますと。
そのあとぼくは11日にゴリちゃんと行くはずだった
「日本橋の食堂」を調べて、
その、会うはずでいた人に連絡をとりました。
ゴリが親しくしているこの人がこのことを知らなかったら困るだろうし
このことを知っていてもうすこし詳しいことを知っていたら
ぜひとも教えてほしかったのです。
彼女は、すでにそのことを知っていて、
さらにKさんよりすこしだけ、
詳しいことを知っていて
それをほぼすべてぼくに教えてくれました。
その内容は書きませんが、
ゴリちゃんが死んだのは、ほんとうにほんとうのことでした。
彼女はいちはやくゴリの実家にかけつけて
とてもとても安らかなお坊さんのような笑顔で死んでいる
ゴリを見てきたそうです。
ゴリね、こないだ武井さんに連絡がとれて会えたこと、
ごはんをごちそうしてもらったこと、
それがとってもおいしかったこと、
ほんとにうれしかったって言ってたのよ、と、
ぼくに教えてくれました。
ひとばん眠れない夜をすごして、
3日の夕方から行われた通夜に行ってきました。
てきとうな黒の上下で、と思ったのだけれど
ぼくが持っているたぶん10年前の黒の上下
(しかも、上と下は別のメーカーのもの)は
あまりに古くてオーバーサイズで(そういう時代だった)、
「前略、道の上から。」かよー、みたいになってしまったので、
こんなときなのに「着たくないなあ」と思いました。
これでゴリちゃんと最後の別れをするのは
すんごくイヤだと思い、えいやっと、黒のスーツを新調しました。
こういうときはなんでもいいんですよというふうに言われてますが、
おしゃれ好きなゴリちゃんのお別れには
ちゃんとおしゃれして行きたかったのです。
それにこれからこのスーツを着るたびに
ゴリちゃんのことをちゃんと思い出すことができます。
思い出したくないわけが、ないじゃないですか。
裾上げが間に合わないのでちょっと引きずりながら、
このことを報せておいた、ゴリをよく知っている、
格闘家の高阪TK剛さんと待ち合わせて、
汗をかきかき堀ノ内斎場まで行ってきました。
着くまでは、「ほんとかよ」って、
なんだか、安っぽい脚本みたいなことを考えていました。
ぜんぶウソなんじゃないのって。
誰がなんのためか知らないけど、
オレってば、かつがれてるんじゃないのって。
棺桶から出てきて「びっくりしましたか?」って
言うんじゃないのって。
そんなことはありませんでした。
祭壇の写真はものすごい笑顔のゴリちゃんで
それはまぎれもなく先週木曜日に会った、
たのしそうなゴリちゃんの顔そのものでした。
ほんとうに、死んじゃったのでした。
お父上が地元の名士ということからか、
あまりに多い参列者と斎場の蒸し暑さと
長い待ち時間と着慣れないスーツでぼおっとしてきました。
やっとたどり着いた焼香台でしたが
「ご焼香は1回にしてください」という流れ作業で、
親族のみなさんに守られた先、
ずっと向こうで棺桶に入っているゴリちゃんの、
顔は見ることができませんでした。
でもあそこに入っているのはまちがいなくゴリちゃんでした。
順番が来てあわてて焼香するぼくは
ろくにお別れの言葉も言えず、
涙も出ませんでした。
言ったところで、気持ちがちゃんとお別れできたとは思えませんし、
顔を見たところで、つらい事実が増えるだけです。
でも帰り道にTKと話していたらちょっと涙が出てきました。
帰ってきて、この文章を打ち始めたら、
ぽろぽろと泣けてきました。
急に、あの祭壇の笑顔を思い出して、
わんわん泣きました。
あそこにいたのはゴリなんだ、
もう会えなくなるんだと思うと、
吹き出てんのかよというくらい、
自分でびっくりするくらいの涙と洟が出てきて、
それでもなぜだか指はキーボードを打ちつづけているものだから、
ありゃま、けっこう書けるもんだなと思ったら
悲しいんだかおかしいんだかわからなくなりましたが、
これがぼくなりのお別れの方法なんだと思います。
ゴリちゃんは死んじゃいました。
スズキさんでの独立祝いのとき
カメラを持ってったのに
あまりに楽しくて一枚も写真を撮らなかったことを、
一瞬、後悔しましたが、
たぶんそれでよかったんだと思います。
ゴリちゃんは死んじゃいました。
ほんとに死んじゃいました。
ばかだよねえ、よっぱらって階段から落ちて笑顔で死ぬなんて。
御機嫌だっただけ、よかったかもしんないけどさあ、
おかげでさあ、スズキでの食事代のうえに
コム デ ギャルソンのスーツ代までかかっちゃったじゃないか。
ゴリちゃんは死んじゃいました。
悪い冗談ではなく、ただの事実です。
もっと、書きたいことはいっぱいあるけど、
それはまた、あらためて、にします。
読んでくださって、ありがとうございました。