そのレストランに行ったことのある知り合いは3人いた。
五十代女性の言うことには、
「独立にあたって、育ててくれた師匠を裏切った。
その師匠が、彼が去ったあと、
ひどく傷つき倒れ、体を壊したのを
すぐそばで見ていた私は、
いくらおいしい料理をつくろうとも、彼を許さない」。
三十代女性の言うことには、
「おいしいことはおいしいけれども、
中華‥‥にしては、なんだか物足りなく、
あまりにも素材そのものの味を生かそうと
こだわりすぎているような気がする。
これで中華とは言えないような気がして。
おいしいんですよ。でも‥‥。
中華のデザートが『わらびもち』というのも解せない」。
四十代男性の言うことには
「独立するときの騒動は知っているけれど、
そうまでして独立しようとする野心は
そのまま料理の個性として出ていて、
正直なところ、独立するまでいた店よりも、
くっきりと、おいしい。
一度行ってみたらいい」。
三人は違うことを言っているようで
じつは同じことを(個性があり、旨いと)言っているわけだけど、
どうとらえるかは自分で決めようということで、
ずっと行ってみたかったその店に行きました。
都内某所、およそレストランらしからぬ場所、
そうだなあ、クラブとかだったらぴったりなんだろうな、
というような空間、ていうか、
そもそも、ただの地下室だよな、
というような空間を、じょうずに広く使い、
シンプルで高級、清潔、エレガント、
かつモダンな飲食の場にしている。
ちなみに独立するまでいた店は、
インテリアなんてあんまり気にしていませんというような、
喫茶店をそのまま居抜きで?
と思うようなお店なので、
こちらの高級感にちょっと面食らう。
食器はリモージュ(もしかしてエルメスも?)のシノワズリ、
グラスはバカラ、カトラリーはノリタケ。いずれも美しい。
こういうところも出身地とぜんぜん違う。
前菜8品が大ぶりの皿に載って出てくる。
白菜の芯の甘酢漬け、砂肝の五香粉煮、
豆苗のゴマ油あえ、中華風ローストチキン、
皮蛋、くらげ、腸詰め、車海老の唐揚げ。
うつくしい。
白菜の芯の甘酢漬けは、まさしく出身地の味で、
「これを食べないとはじまらない」という一品。
これを食べて思い出したのだけれど、
その出身地の店にぼくが感動したのは、
まさしくこちらの店の料理長がその店にいた頃。
なので「同じもの」を食べているわけですね。
‥‥なんていう情報過多ぶりが、
賞味に支障があるかといえば、
そんなことはぜんぜんなくて、
「見た目と味があまりにも違うので
驚きと旨さと喜びがおしよせる感じ」に、
どっぷり浸かる。
8品すべて、ただただ、うまい。おいしい。おどろく。
特に腸詰めは口に入れた瞬間、
「えっ?」と、見た目とのギャップに打ちのめされる。
まいっちゃうなあ。おかわり。というわけにはいかないな。
揚げ春巻。蓮の葉に載って、1本が供される。
細めではあるものの
出身地のものより太めだなと思ったら
中に車海老が一尾入っていた。
一口めは箸で。つるんとして挟みにくいなと
ちょっと思っていたら、
「蓮の葉を使ってお持ちください」と。
そうすると、葉の香り(苦手な人は苦手だろうけど)が
たちのぼって、じつにいい感じ。
途中から酢をつけると、なおさら味がきわだった。
最初の一口から、どんどんおいしくなって、
最後の一口のほうがうれしいというかさびしいくらい。
メビウスの輪のような春巻があったら
いくら食べても終わらない‥‥わけはないよな。
フカヒレの姿煮。
上湯仕立てで、とてもシンプル。
「どっしり」ではなく「すっきり」で、
海に放てば泳ぎ出すんじゃないかという弾力。
海に放ったらおれが食うがな。
牛の頬肉の豆鼓煮込み。
という名前から想像しえない、
コドモのこぶしくらいの謎の黒い塊が、
白い皿に、琥珀色のソースの上に、どろんと。
なんじゃこりゃ。
箸を入れると、ほろほろと崩れる。肉だ肉だ。
焼いて一晩おき、煮て一晩おき、蒸して、
(順番は忘れちゃったけど、そんな感じで)
3日がかりで仕上げるのだそう。
ビーフシチューに入っている、
最高にいい状態の肉、に似ている。
目隠しして「何料理だ」と問われたら
ぜったいに「中華」とは答える自信がない。
しかしたしかに、豆鼓や豆板醤がほんのりと香るところは中華。
うーむ、ううむ!
もうちょっと検証したいのでおかわりがほしいくらいです。
卵とトマトの炒め。
これも、出身地の名物料理。
強烈な火にかけて炎で窯をつくり
その中でいぶすように炒める。
そしてグラニュ糖をすこし入れて
わざと軽く焦がすことにより
独特のスモーキーな香りをだすんだけど、
これがまた、たまらない。
見た目と食べたときのギャップは
わかってるはずなのに、
驚かされてうれしくなる。
何度でも同じローラーコースターに乗って
何度でも怖がるのと同じようなことかな。
あれ、もう終わっちゃったの? もう1回乗らない?
タラバガニと干し貝柱のチャーハン、
蓮の葉でくるんで軽く蒸し上げてあるのを
開いて、よそってもらう。
これがまたいい香り!
ただし、食べてみると、ほんのすこし、しょっぱい。
夏の味。
わざとかなあ?
ほかの料理の組み立てと、方程式がちがう気がして、
(もちろんおいしいんですが)
高速道路の途中に眠気防止のバンプがあるというか、
わざとここでパンチを効かせたのか、
この「ほんのすこし」の量だからこの味なのか、
あるいは、干し貝柱が思ったより塩辛く、
加える塩加減をまちがったか?
(いや、もちろんおいしいのですよ。
ほかの料理と違うというだけで。)
たずねてみたが、真相はわからず。
すっぽんラーメン。
すっぽんとフカヒレと、ほんの少量の鶏だしで
黄金色にかがやくスープ。
こまかくこまかく(ほんとにこまかく)刻まれたネギと、
中華めん(ストレート)が、泳いでいる。
これはねえ、ずるいよー。うまいよー。
一気にスープまで完食。
もうそうとうおなかいっぱいのはずなのに、
もう1杯出てきても大盛りで食べられそう。
出身地の(こればっかり思い出してすまない)
ネギラーメンの、うつくしさとおいしさを思い出す。
はふー。
デザート。うわさのわらびもち。
ほんとにわらびもち。左がきなこで右が黒みつ。
‥‥‥‥うまいじゃないか。
ものすごく、おいしい。
スライム状に(食品に使う比喩じゃないですね)
びよぉおおおおおんとのびて、はりつく感じを
ちょっと強めの甘味(塩を使ってるのでそう感じる)とともに
堪能する、ちょっと官能的なデザート。
デザート、さらに、冷菓。
アイスクリームとシャーベットなんだけど、
アイスクリームは黒トリュフ入り、
シャーベットはトマトと、バジルの2種。
これは、すべて、しんそこおどろきました。
飲み込むのももどかしく口に運び、
また口を寄せたくなる。官能。
魔性?
このあたりは出身地では食べられなかった味で、
彼が去ってからの出身地では
杏仁豆腐の味がすっかり変わり、
「前のが食べたいなあ」と思ったことを、思い出した。
「食材がかわったので」と、その店のマダムが言ったけど、
ちがうんだ、再現できない何かがあるんだ。
そうか、この人、パティシエとしても天才なんだ。
あちゃー。
さて。紹興酒でよっぱらった頭で考える。
この店を出した裏に、お金を出した人がいた、
という話もきいたけれど、
そのパトロン氏がよほどの敏腕で
「こんなに才能があるのだから早く店を出せ」と
前の店をそんなにひどく裏切ってまで独立する
おぜん立てをしたのだろうか。
しかし、だとしたらもっといい立地を探しただろう。
わかりにくいエリアのわかりにくい地下室は、
きっと家賃はほかに比べたらうんと安い。
では、彼は裏切りなどとは思わずに、
意気揚々と独立し、
その天然さゆえに周囲が傷ついたのだろうか。
それとも出身地でなにか師匠とのあいだにトラブルがあって
断腸の思いで、裏切る形になってでも独立したのだろうか。
「何を言っても、出す料理がすべてだ」と思えば、
こちらはなにも考えずに、
おいしいものをいただけばいいのだけれども。
そんなことを考えていたら、
隣席のマダムたちが席を立つとき
料理長が挨拶に来た。
えっ? この人?
どう見ても20代、
「きのうから働いています」と言われても
「そうか、がんばれ」と言いたくなるような
ぼくとつで感じのいい若者である。
ただ、髭を生やしていたので、
そこに立場は出てるけど(下っ端は許されないでしょう)。
それにしても驚愕の若さ。
やっぱりお金とアイデアを出す、
プロデューサーがいたのかなあ‥‥
しかし、この料理の組み立てかたのオリジナルな感じ、
てらいもなく高級食器を使う思い切りのよさ、
すべてに彼らしい若さを感じるのもほんとうだ。
これ、世知長けた老獪なお金持ちにはできないと思う。
店のしつらいも、食器類もサービスも、
「上海のフランス租界の、上流階級の家庭料理」なのだから
こういうことでしょう、という、
とてもシンプルな発想にもとづいたものなのだから、
ある意味とてもストレートである。
わからん。
ただ、ひとつだけ確かなのは、
彼が出身地の料理をとても尊敬していて、
師匠の味を完璧に受け継ぐことができていて、
いまもそれを愛し、さらに高みに上げる努力を
おしまずしている、ということである。
すくなくとも彼は、師匠を憎んではいない。
なんだか恋愛や結婚や離婚の話みたいですね。
「むこうは、憎んでいるかもしれないけれど、
わたしは今も、あの人が好きよ。それは変わらない。
でもそんなこと、言える立場じゃないわね‥‥」
なんてね。
帰り際、挨拶に来てくれた料理長は、
やはりさきほどの若者で、
「素直でぼくとつ」を絵に描いたような好人物。
27歳だという。
思わず「若っ!」と面と向かって言ってしまいました。
なにも知らずに来たら、
まちがいなく贔屓になっていたことだろう。
じゃあ余計な知識がある今はというと
やっぱり贔屓になりたいと思う。
「今、この人の料理を食わずして、
いつ食うのだ。
先々食べられる保証はないぞ」と。
ファッションも音楽も、
あらゆるクリエイションに思うけど、
同じ時代に生まれて生で体験できるというのは
ほんとうにすごいことなのだ。
お金ためて、また来ますね。
余談ですが、椅子がでっかいひとりがけの
わりとふわふわ系の革張りソファ。
最初、食べにくいなあと思ったんだけど、
あまりに料理がうまいのでどんどん前のめりになり
つまりは気にならなくなり、
最後満腹になったときはふんぞりかえって
「ああ、なんていい椅子なんだ」と、
そんなふうに思ったりしました。
憎いです。
後日、ていねいな手書きのお礼状が。
またお会いできることを楽しみにしていますと。
ぼくもです。