ダンヒルの銀座本店を見て
ダンヒルに対する意識がかなり変わったかもしれません。
それはこの店のつくりが
「ここで買うことのすばらしさ」を
商品に乗せることがとても上手にできていて、
そういうもの込みの商品づくりって
なかなか難しいはずなので、
これをつくっちゃったひとびとに
感嘆した、という意味でもあります。
デパートでもセレクトショップでも
ディスカウントショップでも
免税店でもどこでもいいけれど
「ほかのものといっしょくた」に
並んでいるなかから、
「それ」を選んだときに、
たとえそれがダンヒルだろうとなんだろうと
選んだことの責任と喜びは
自分自身で価値づけするしかない。
「これ、シンガポール出張のときに
買った財布なんだ。安かったんだよ」
だとしたら、そこには、
わざわざ外国でお金をつかったこと、
それがアジアの交易地であること、
そこに仕事で行ったこと、
それが日本の定価より安く手に入ったこと、
などの情報の価値を、
商品のデザインだとか素材や使い勝手などに
乗っけて説明しているわけですよね。
そういうことってほとんどの商品にあって、
「ものすごく安く手に入れたんですよ。
これがセールになることはないらしいんですよ」
でもいいし、極端にいえば
「これ、とても偽物には見えないでしょう」
だってそうかもしれない。
祝祭的(ぜいたく)な買い物って、
だいたいにおいて価値をいっしょうけんめい
自分で、上乗せする。
もちろんぼくもそうです。
直営店で買うということもそういうことです。
で。ダンヒル銀座本店で何かを買ったとき、
どんな価値が付加されるんだろうかというと、
「直営店で購入した」という事実とは別に
「帰属意識」みたいなものを
ものすごく上手に加味していると思ったんです。
名刺入れひとつでも、
出身はここです、と、胸を張って言えるムード。
アルフレッド・ダンヒルという人物のクラブに
属しているかのような快感。
名刺入れを出すたびにあの空間を思い出すほどの
親密で気高いムード。
「あの空間で買った」ことが
とても福々しく思えるようにできていて、
しかもその価値って、減りにくい、
‥‥ように演出している。
なにしろ英国の大邸宅を、
インテリアのみならずサービスまでも
模しているわけだから。
もし、銀座のダンヒルがなくなったとしても、
それって崩れない気がするのです。
この保証って、ものすごいことじゃないかなあ?
国がなくなっちゃったとしても
語られる何かを残しているくらいだと思う。
お家(いえ)とか、伝統とか、
クラブであるとか、出身校であるとか、
そういう、格付けされたコミュニティをつくるって、
英国人ってすごく上手な気がするんだなあ。
‥‥と思ったら、ダンヒルって今は
カルティエと同じ、リシュモングループの傘下、
なのですね。スイスの会社です。
「ヨーロッパの人々って、
伝統を商売にすることが上手」と言ったほうが
いいのかもしれません。