●12月27日、成田からロンドンへ、そしてパリ。
12月28日、パリ二日目というか初日。
ロンドンのヒースロー空港までは45分も早くついたのに
パリ行きの便が1時間以上遅れて、空港で待ちぼうけ。
ヨーロッパなのに空港のなか、人々がオシャレじゃないなあ、
なんて思ってたら、たまたま座っていたのは
ボストン行きの待ち合いスペースだった。やっぱりね!
パリ到着。
パスポートコントロールが「一瞬」だったのにびっくり。
ぱっと開いておしまい! 記入するフォームもない!
ていうか、乗る人と着く人が同じところを通るんだけど‥‥?
(ふつうは別になってる)
そして税関には人がひとりもいない‥‥!
そこ抜けたらもうフランス! いいのかなあ。
そして白タクなんてひとつもなくって、
腰が抜けるほど安全そう‥‥
タクシーで市内へ。
あとで聞いたら、渋滞中のタクシーのアジア人客を狙う
黒人強盗団がいるそうだ。帰りは気をつけよう。
でもどうやって気をつければいいんだろう?
アジア人に見えなきゃいいのか。つけ鼻か?!
ホテルの、ブール・ティブール
(「ル」の発音は日本語で表記できない音)は
もういかにもこれパリ! というパリっぽいホテル。
http://www.hotelbourgtibourg.com/
自分がいかにアメリカに毒されているかわかる。
最初「部屋、せまっ!」と思ってしまった。
しかし一晩過ごしてみたらこれが快適で、
そして「なんでも考え抜いてある」つくりに驚く。
そもそも、マレ地区のたいへん古い建物で、
広くつくりようがないんだから、
この狭さを有効に使うしかないわけ。
そうしたらごみ箱は2つは要らないわけだ。
だから洗面スペースに小さいのがひとつ。
冷蔵庫を台にしてテレビをおけばいいわけだ。
だから冷蔵庫は家具にしかみえない黒、
テレビはバング&オルフセンの液晶。
たんすは棚があればいいし、
洋服掛けの扉はカーテンのほうがインテリアが合う。
トイレットペーパーホルダーとか
石鹸おきとかは、ない。
替えのペーパーもない(というのは置く場所がないから)。
でもお湯がたっぷり出るシャワーと
大きなバスタブはあって、
とても香りのよいシャワージェルと
シャンプーが用意されている。
もちろん毎日ペーパーは交換されるので
ひとりの部屋で「なくなる」心配はない。
合理的とはこのことだ。
ではすべて合理的かというと
飾りテーブルに胡蝶蘭があったりする。
ボディローションもたっぷり用意されていたりする。
ベッドはたっぷりダブルサイズ。
とても、使いやすい。
気に入りました。
夜は、知り合いの、パリ大学の教授である
ジャンマルクさんたちが
ひとりでごはんも淋しいでしょうと来てくれて
近くのかんたんな店へいっしょにディナーを食べに行く。
テリーヌ、仔牛の腎臓、赤ワイン。
あれやこれやと世話をやいてくださって
コンサートひとつ、バレエひとつ、
ダダ展の裏口入館(?)までセットアップしてくれる。
さらに大晦日はみんな友人と楽しく過ごす日で
レストランは予約でいっぱいで、しかも高くて、
だから家にいらっしゃいと招待してくださる。
あわわわ、ひとり旅に拾う神あり!
ワインをすこしのんだら、徹夜続きのうえ、
飛行機が寒くてあまり寝られなかったその疲れがどっと出て、
夜は爆睡。目覚めたらすっかり時差ボケはなくなっておりました。
二日目。
ホテルを手配してくれた「こがりえこさん」というかたと
電話とメールでやりとりをして
ランチをしましょうということに。
彼女がホテルまで迎えにくる時間よりすこしまえ、
マレをうろうろしていたら
「たけいさん?」と声をかけられました。
それがこがさんでした。
なんか古い友人にあったみたいな気がしてうれしかった。
「黄色いタクシー」という、地元のひとしかいかない
食堂に行き、とてもおいしいビストロランチをたべる。
ううむ、パリおそるべし! うまいっ!
観光客ずれした店もあるということで
そういうところに行っちゃうと
すごくがっかりするらしいけど、
この店はすごく親切だったし
テリーヌとサラミの盛り合わせも
羊とクスクスも、フロマージュブラン・マロンも
もうすべてうまかった!
「ローブリュー」くらいうまかった。
とにかくここに来さえすれば大丈夫と思いました。
そしてこがさんの勤めるミレ・エ・ベルトーという
オリジナルの婦人服と香水、買い付けてきた雑貨を売る、
ちいさなブティックに遊びにいく。
http://www.milleretbertaux.com/
まずはアトリエを見学させてもらい、
洋服作りの現場のおもしろさももちろんのことながら、
スタッフの働きっぷりに驚く。
写真もいろいろ撮らせてもらう。
ショップではビンテージのタイプライターの
キーを使ったブレスレットにひとめぼれして、購入。
ミレ・エ・ベルトーはそれはそれは美しい店で、
人の美意識がカタチになるとああいう店になるのだなあ。
そのあと「コレット」にも行ったんだけど、
なんか‥‥借り物的なうすっぺらさというか、
これが文化だといわんばかりの
なにものかを標榜するひりひりした感覚に
ちょっとツライ気持ちになった。
商品の集め方はさすがだし
展示方法もほかにないすばらしいものだ。
1点1点「なるほどねえ」とは思うけど‥‥。
コム デ ギャルソンが日本に呼んだ
期間限定のコレットはもっとよかったので、
おいてある品物が、というより、
この本店の「編集の方法」や
ショップスタッフの「おれたち先端!」な態度が
ぼくの感覚にあわないんだろうなと思った。
お若いみなさんや、アメリカのお客さんには
面白いんだろうなあ。たぶんね。
結局なにも買わずに出る。
ただ、好きではないけどエネルギーはすごい。
地上からたちのぼる竜巻みたいな
暴力的なエネルギーではあるけれども。
対極としてすごいなあと思うのは
ミレ・エ・ベルトーのような店が
ちゃんと20年続くという文化があることだな。
そうでなくても、いろんな店がちゃんとあって、
個人商店が都会のなかで生きている。
たぶん江戸時代も日本はこうだったんだろう。
たぶんね。と、タイムマシントラベルが実現したら
「ぜひ元禄へ」と言いたいわたくしである。
そのあとヨーロッパ写真美術館で
ベルナール・フォコンの大回顧展を見る。
これまたなんていうか、「表現手段がなかったら
犯罪者になってた」という種類のおかたかもしれない。
まがまがしくて不吉で、でも、きれいでした。
さて夜はシャンソニエに。
なんだろう、地下の、ワインカーブのような、
あるいは下水道の断面のような、
石のアーチ状の天井をもつ100席のちいさな劇場。
ソフィ・テロルという、
顔は松金よね子で挙動が清水ミチコで
声は‥‥森山良子? というたいへん才覚のある
コメディエンヌ系シャンソン歌手のコンサートへ。
おもしろかったけど、フランス語がわかんないってのは
シャンソン聞くのには痛手でした。
「ああ、いま、いろんな国の言葉のモノマネしてるなあ」
とか、そのくらいまではわかるんだけど。
そして、「ゴハンヲタベマショー」と
ジャンマルクさんが誘ってくださって
てきとうに近くのレストランに。
わりとヒップな、白を貴重とした
プラスティックな感じのレストランに入る。
雰囲気は「コレット」的だけど、
料理はしっかりビストロ系、
麦のような米のような野菜のサラダどっさりと
仔牛のステーキをどかっと食べる。
また赤ワイン。
そして部屋に帰って風呂と洗濯、
日記を書いて寝る。
●12月29日、パリ3日目の夕方まで。
夜遊びをしないものだから1時すぎには寝てしまう。
すると6時くらいに目が覚めちゃう。
しかも腹が鳴って起きた。どうなのこれは。
朝ごはんはしょっぱいものと炭水化物をたっぷり!
なぼくとしては、コンチネンタルな朝食‥‥つまり
「クロワッサンにデニッシュ、カフェオレ、フルーツ、
フレッシュジュース、ヨーグルト」という
甘いもの大行進の朝ごはんというのが苦手だったんだけど、
郷に入れば郷に従いますか‥‥というわけで食べる。
そうしたらこれがうまいんですね。
フランス語で朝食は「プチ・デジュネ」といいますが
昼食が「デジュネ」、つまり朝食の位置づけは
「ちいさな昼食」なので、ちょっと血糖値を上げれば
それでいいというものなんだろうな。
たっぷりの重たい夕飯から明けた朝は、
このくらいがちょうどいいんだそうです。
(そう、サカキさんの連載に書いてあった)
さて元旦のチェコ航空のリコンファームをしなければならない。
Je voudrais re-confirmmer mon vol.
と暗記して電話をするけどつながらない。
そういえばパリなのに「08」はヘンだよなあと
旅行会社からもらった電話番号を疑う。
フランスはインターネットのイエローページ、
pages jaunesがとてもよくできているので
http://www.pagesjaunes.fr/pj.cgi?lang=en
検索してみると‥‥やっぱり違う。
で、電話してみるけど出ない!
ホテルのフロントで頼んでみようかなと思ったけど
これもまた楽し? と考えて出かけることにする。
地下鉄をルーヴル前で降りてオペラ大通りを歩く。
32番地‥‥まで、散歩がてら行ったら、
そこは空っぽでした。張り紙によると
「17番地の1階に移転」だって。
ということで戻る。
寒いんだけど汗かいてきたなあ。
で、17番地。1階‥‥ない。
あ、そうか、こっちの1階は日本の2階だ。
よく見ると番地の扉の横に「チェコ航空」のロゴが!
‥‥やっとなんとかなりました。
暗記したフランス語も通じました。
用を済ませて、昨日見そびれた
モードと衣裳の博物館でやっている
「男性服飾史展」を見る。
ヨーロッパの貴族の衣裳が
現代のデザイナーにどうつながっているかを見るもので、
いきなり来期のコム デ ギャルソン・オム プリュスが
貴族の衣裳のなかにぽつんとある展示からスタート。
フランス語はよくわからないんで説明できませんが
つまり「マント」とか「織物」とか様式や技法で
ブースがあって、歴史的な衣裳と現代のデザインが
かならずセットで展示されているのです。
日本人からは川久保さんのほかには
イッセイ、ヨージ、マサキマツシマが入っていた。
そしてジョン・ガリアーノ、マルタン・マンジェラ、
アレクサンダー・マックイーン、ラフ・シモンズ、
ヴィヴィアン・ウエストウッド、
ウォルター・ベイレンドンクなどの最先端のモード。
ものすごく面白かった!
これ見ると、ものすごいデザインのが
平気で着れるようになりそうです。
自分のおみやげに、ミュージアムショップで
マルタン・マンジェラの、展覧会特別Tシャツを買う。
60ユーロのマルタン・マンジェラって安すぎないか。
と思ったらやはりぺらぺらでした。まいっか。
お昼はふたたび、こがりえこさんあらため
「リコさん」とマレの食堂に行く。
きょうはぼくが調べてあった、テンプル通りの、
ぜったいガイドブックには載らない系の地元系食堂。
炎の燃え盛る暖炉で肉を焼く食堂だというので、
それだけでぜったいにうまいはずだと確信をもって扉を開ける。
おいしいレストランというのは扉を開けた瞬間に
店の人たちとお客さんの、狂おしい熱気がある。
ここもそう! これはもうぜったいおいしいはず。
暖炉のそばに席をもらって、ごおごお燃える火のなかに
おばさん(たぶん同世代)が素手で(!)
肉を放り込んでいるのを見ながら、
パテ・ド・カンパーニュ(田舎ふうパテ)を前菜に‥‥
うひゃーっ! これはローブリューよりうまい!
って、日本のレストランを引き合いに出すのはどうかと思うけど
それしか知らないので比べてしまうんですが
ももものすごくうまい!
そしてメインに仔牛の肋肉。これが「火で炙っただけ」の肉。
‥‥ぎゃーっ!!!!
悲鳴を上げるほどうまい!!!
たぶん、ほんのり塩をしただけ、なのだけど、
これは「泣く物件」ですね。
遠慮なく泣きたいところだけど
マドモワゼルの前なので泣くに泣けない。
こういうとき思い出すのは、
肉食っていっしょに泣いたあいつの顏だ。
ああ、きみがここにいたらなあ。
持って帰ったら腐っちゃうよ。
残念ですね、ぼくがぜんぶいただきます。
むしゃむしゃむしゃ‥‥
ちなみにリコさんの頼んだ「煮込み系」も
ひとくちもらってびっくりした。
人生でいちばんうまい煮込みでしたよ。
あちゃー。
パリおそるべし!!!
写真いっぱい撮らせてもらった。
ところでリコさんによると
昨日の「ミレ・エ・ベルトー」のパトリックさんが
ぼくのことを「ムッシュ・べべ」と呼んでいたそうだ。
英語にすると「ミスター・ベイビー」ですか。
日本語にすると「とっちゃんぼうや」ですか!
‥‥まいっか。
彼はとてもサンパだね(感じがいい)とも
言ってくれたそうで、うれしいかぎり。
彼は松山猛さん(パトリックさんたちの友人)に
似ているとも言っていたそうだ。
お会いしたことはないですが、そうなんでしょうか。
さてそのあとはピカソ美術館。
ピカソという人は、ぼくは好きでも嫌いでもない。
「ものすごい存在」なのはとっても認めるんだけど、
すごすぎちゃって、光速で移動する人間を見ているみたいで。
これがほんとうにひとりの人間からうまれたのかということを
なんだか‥‥なんていうの、
認めざるを得ない、憎さみたいな?
そういう感情を持つのです。
この美術館ではいままで見たことがない作品を
たっぷり見たけど、印象はかわらなかったです。
「ああ、すごい人だ」と。
外に出たら雪が降っていた。
これからこの旅のメインイベント、ダダ展に向かう。
ジャンマルクさんとの待合わせは4時、
サンクロワブルトネリ通りと
ロナール通りの角で会いましょう。
●12月29日、パリ3日目、ダダ展。
ポンピドーセンターのマレ寄りの角に
強い風で吹きつける雪のなか
ジャンマルクさんが頭まですっぽり
フードをかぶってやってきた。
まるでサンタクロースみたいである。
昨日この人タクシーで財布落とした
(といっても現金のすこし入った小銭入れらしい)
と言ってたけど、どうもパリジャンのイメージって
ぼくが思い描いていたものとはずいぶん違うみたいだ。
ていうか、こう、ふつうにパリで
フランス人のムッシューと
待合わせをするのってなんだか妙である。
入り口前の広場を縦断してなおぐるっとうねるように並ぶ
入場待ち(正確にはセキュリティチェック待ち、
そのあとにチケットを購入する列にも並ぶ。
かるく1時間はかかるみたい)の列を横目に、
Laissez-Passer(レッセ・パセ)の入り口へ。
これは会員券で、ジャンマルクさんは
「2人入れる」やつをもっている、というのが、
裏口入館の秘密でした。
裏でもなんでもなかったんだな。
いったいこの人はどんなコネを持ってるのかと
すこしワクワクしていたんだけど、ま、ちょっと安心。
ダダ展会場は最上階。シースルーのエスカレータでのぼり、
会場まで入ったところで
「では土曜に!」と、さくっと別れる。
こういうことには、あんまり興味がないみたいですね。
ぼくとしても、見ながらいちいち感想を言ったり
面白いと思ってんのかなあなどと気を遣うより
もうただただどっぷりとここに浸かりたいと思っていたので
とってもありがたい采配です。
さて‥‥「見るのに3日かかる」と言われたダダ展、
フランス語の文献系をすべて読み込めばそうなるだろう。
というくらいの膨大な量。
そこは惜しくもすっとばすしかないので
はじめてダダを知るひとだと、
そうだなあ‥‥3時間あれば堪能できると思います。
http://www.cnac-gp.fr/expositions/dada/
17年前にぼくがあつめたダダの文献に載っていたものが
資料から作品も、「すべて」あった。
「すべて」である!!!
日本のダダ「マヴォ」の資料までもがあった!
ちなみに田河水泡がいたのはこのグループである。
軍隊マンガである「のらくろ」の作者は
じつはダダイスト出身だったんですよ。
その弟子が長谷川町子だから
「サザエさん」にはダダの血が流れているのですよ。
いきなり話がそれたけど、
こんなふうにこれが一気に「生」で見られるなんて、
故・高見堅志郎先生に見せたかったなあ。
この展覧会においてぼくがほかの人より
アドバンテージがあるのは
解説を読まなくても「これは、こういうもの」と
ほぼすべて、わかることだ。ええ自慢ですとも。
だって高見先生から、たくさん勉強したんだものね。
ただし、逆に深く思い知らされたのは、
これはヨーロッパ人でないと、
歴史的社会的背景を血や肉として背負ってないと、
「リアルにはわからないのだ」ということだ。
ぼくは頭のなかでダダのことを
「もうすこし小さな芸術運動」だと
思い込んでいたふしがある。
しかし、いまこうして、ヨーロッパが共同体になる、
はるか89年も前に、芸術家たちがしていたことは
まさしく共同体としか呼べない、
国境を越えての芸術活動だったわけだと、
ここでこの量を一気に見たことで、わかった。
それも、ひとつひとつがとても美しい、
(なかには、政治的に走りすぎたものもあるけど)
芸術への衝動であり、彼らの人生であり、
こうして残るべき、2005年にガラス張りの
パリの空中庭園のようなポンピドーに、
雪がどんなに降ろうと表で1時間待って人が来る、
それだけのものを残したんだということに、
もう、どんどん胸があつくなる。
歴史的なことはいま書くのに資料が足りない。
芸術運動としてのダダを、とってもかんたんにいうと、
「マルセル・デュシャンを難解だと言うけれど、
ダダの文脈に置くと、とてもよくわかる」ということです。
ピカビアの茶目っ気も、マン・レイのセクシーさも、
アルプ夫妻の素朴さも、シュヴィッタースの一途さも、
すべてダダの文脈で最初にスキャンしてから、
ひとりひとりの芸術家として見ることで、
もう、とってもかんたんにわかります。
ぼくは、純粋に芸術運動になってしまった
シュルレアリスムをあまり好きではないんだけど、
その萌芽となったダダが、なぜ好きなのかというと、
(リアルには理解できないと知りながらも)
社会と、そしてそれぞれの芸術家の人生と、
おそろしく密接にかかわろうとしていた、
「無茶」なものだったからだなんだろうな。
シュヴィッタース、ぼくはもうほんとうに大好きなんだけど、
この人は昨日見たピカソと同い年なんである。
ほかにもピカソと同世代の作家ばかりである。
ピカソには誰もかなわない。
数十人の芸術家が固まって「ダダ」を起こしたようなことは
ピカソはひとりでできてしまうんだから。
きのう「アビニョンの娘たち」の習作を見たけど、
あれも、時間にしたらそんなに長くはないはずである。
世界に楔を打ち込むような衝撃的な一作を、
それも大量につくりつづけたピカソと、
大勢でかたまっていたダダでは、
もちろんダダのほうが分が悪い。
ちょっと人と似たようなことを
たぶん「あ、そういう方法、アリだよね?」
なんて言いながら、おたがい刺激しあってつくってきた、
まぁ、言うならば情けないところもある芸術運動である。
けど、なんというか、人生において愛すべきことは
ダダ的なるもののほうに、あるんじゃないかなあと
ぼくはやっぱり深く思うのである。
シュヴィッタースは、ハノーヴァーでひとり、
ダダをやっていた人物で、ゴミにするような
新聞や包装紙を使ってコラージュをしつづけた作家だ。
音声詩(意味ではなく音で表現する詩)をよみ、
雑誌をつくり、遠くにちりぢりになった友人達をおもいながら
ひとり孤独な芸術活動を続けた作家だ。
彼ののこしたものはダダから大きく枠を超えて
シュヴィッタースにしかできないところまでたどり着いた。
けして「ひとりの男として」幸福だったかどうか、
わからないけど、
不器用なこの人のことがぼくはほんとうに大好きだと思った。
では今日ももういちど見てきます。
あ、あと蛇足ですけど
「キュレーター」の力というのを
これほど感じた展覧会はない。
これはふつうの人たちではできない。
日本でできる人もぜったいにいない。
アメリカ人にもできない。
やっぱりヨーロッパ人にしかできない展覧会だと思う。