ダダ展のあと、ポンピドーのほかの展覧会も見ようと思ったら
それぞれの展覧会に別のチケットが要るんだった!
教授から預かったLaissez-Passer(レッセ・パセ)は
そういうところに入れるパスなわけなんだけど、
顏写真がついていて入場のときどうも確認しているようだ。
どう見てもぼくは「ジャンマルクさん」ではないので
モノマネくらいじゃ無理だろうと、自分でもつくることに。
1年間有効なうえ、あの長蛇の列に並ばずに入れるんだから、
金(44ユーロ)で解決しゅるばい!
窓口のマドモワゼルに
「英語話せます?」とフランス語で聞いたら
「英語! 英語だって! きゃーっ!」と
いきなり笑い出したのでびっくりした。
しかしどうも「なんとかなるわ、大丈夫」とか
そんなようなことを言っているようだ。フランス語で。
おたがいなぜかゲラゲラ笑いながらなんとか手続き完了。
パリの人は妙に明るいと思う。
で、ビッグバン展を見る。
http://www.cnac-gp.fr/expositions/bigbang/
これは、ポンピドー所蔵の20世紀美術を
キュレーター側からのテーマで大胆に分けて
編集展示するもので、
編年的にではない展示が面白い!
つまりこれは現代美術を「編集した」面白さなのです。
「いったい、こりゃなんなんだ?!」と、
むずかしく考える必要はなくて、
たとえば「白」い芸術が一部屋に集まっているから、
それをただ味わえばよろしい。
しかも贅沢なのは、ダダの作品もあるのです。
上のフロアであれだけの規模で展示しておきながら
まだあるのか!!
もちろん「20世紀美術」にダダは抜けないので
あってしかるべきなんだけど
これを同じ美術館でやっているんですよ?!
ああ、もう、すばらしい。
しかもこれもまたダダ展と同じくらいの広さ。
(展示の密度はずっと少ないけど、なにしろ作品がでかいし、
日本の美術館まるごとひとつよりずっと規模が大きい。
歩く量はそうとうなもの)。
写真撮影OKだということなので(ダダ展は駄目)、
いろいろ撮ってみたけど
いったいどういうふうに写るんだろう。
帰国後現像するのがたのしみ!
夕飯は、ちょうどパリに来ている友人一家と待ち合わせて
ダダ展と同じフロアにある「ジョルジュ」へ。
噂に聞くようなまずさ、ではなかった。
そこそこおいしい。
というかここがNYなら
「最高のおいしさ」と言われるんじゃないのかというくらい。
あ、なんかすごく生意気になってる! 舌が!
この日はマレの、おそくまでやっている
書店をひやかしてホテルに。
日記をつけて就寝。
●
30日。朝から雪。
乾いた粉雪なので傘は不要。
ものすごく寒い中、歩いてポンピドーへ。
11時の開館前に入場待ちの列は300メートルくらい。
もちろんほとんど並ばなくていい会員用の入り口へ。
ちょっとは並びますけど、もうぜんぜん違う扱い。
あー気分いい!
6階まで直行してまだ人のほとんどいないダダ展を
もういちどゆっくり見る。
昨日の大混雑で見逃していたものもけっこうあって
こんどはわりと冷静に見れた。
最後の展示はデュシャンの
「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」
(こういうタイトルが調べずにすらすら出てくるところは、
‥‥おたく?!)
通称「大ガラス」だけど、
展示されているスペースは、ポンピドーの最上階の角の
これまたガラス張りの部屋の奥。
この作品はフィラデルフィアまで
見に行ったことがあるんだけど
もう確実にポンピドーの勝ち。
だって、ポンピドーセンターというガラスと鉄の威容のなかに
デュシャンの大ガラスということは、
それがもう「編集された作品」と言えるわけです。
冬のうすい日ざしが大ガラスを抜けて床に影をおとして
そのきれいなこと!
そしてこれを通してパリの街が見えるんだ。
ここにこれを置く、ということが実現したときの
キュレーター氏の興奮が目に浮かぶようだよ。
さて1Fにもどって、ギャラリーで(といっても、
日本の美術館だったら「大回顧展」と名付けそうな規模)
ウイリアム・クライン展に。
そんなに好きじゃないけど、圧倒する力をもつ写真家。
しっかり圧倒されて楽しんできました。
で‥‥朝を抜いたので腹が減った。
昨日行ったマレの「かまど焼き肉」のビストロが
気になってしょうがないのでもういちど行くことに。
席をもらったら相席が日本人の6人組、
こちらにお住まいのみなさんらしい。
話が聞こえてくるのでたのしませていただく。
ひとり40代後半のおじさんがいて
どうやらファッション関係らしい。
あとはワカモノで留学生らしい。
19歳の女子もいた。
おっさんがものすごくよく喋っていた。
どこにも「大せんぱい」というものはいて
めんどうだったりよくしてくれたりするものなんだろう。
昨日と違う、いわしのマリネ(!!!)と
牛のブルギニヨン(!!!!!)。
やっぱりものすごくうまかった。
ああ‥‥あああ。
パリ、すごいなあ。
その後カルティエ財団の現代美術館に行こうとしたんだけど
地下鉄を乗り継いでいる途中で
どうも時間がないことに気づく。
リコさんと4時10分に、ランブトー通りの
とあるケーキ屋の前で待合わせなのです。
ケーキを買ってミレ・エ・ベルトーのアトリエで
パトリックとケーキを食べようという計画で。
なのでその2時間を、サンジェルマン・デ・プレを
散歩することにした。
‥‥駅についたら雪は雨に変わり、
しかも歩道は積もった雪が半分凍ったようになっていて
足もとのお悪い中、わざわざ‥‥という状態になっていた。
腹筋に力を入れて滑らないように歩いたので
(雪道を歩くのは慣れていないのです、静岡人だから‥‥)
とっても疲れたけど、
サンジェルマン界隈のスノッブな感じはなかなかたのしかった。
マレが裏原宿ならば
サンジェルマン・デ・プレは表参道+広尾でしょうか。
ここはここで、泊まったりしたら楽しそうだ。
でもマレに戻ったら心底安心している自分がいました。
さてケーキ屋はPain de Sucreといい、
リコさん一押しの店。
さんざん迷って、次のひとに順番をゆずってまで迷って、
ケーキを5つ。ココナッツをつかったムース、
グラスに入ったゼリー、
同じくグラスにはいったマンゴークリーム、
チョコレートタルトなど。
そしてぼくはプラハへの手みやげにパウンドケーキ、
そして東京へのおみやげにチョコレートも。
てくてく(雨に濡れながら)
ミレ・エ・ベルトーのアトリエまで行き、
お針子のトルコ系のかた(ごめん、名前忘れちゃった)と
パトリックと4人でケーキをつつく。
こ、これがね、これがね。
そのままはばたいて空に浮かびそうなくらいうまかった!!
サダハル・アオキのケーキに
東京で感激したことがあって
「こんなにうまいものをつくれるんだ」
という、もう、そのケーキの内包する
パティシエの歴史をすべて肯定して
「あんた、すごいよ、ほんとうにすごい!」と
肩をつかんでぶんぶん揺らしたくなるような
そういううまさ。
この店のパティシエは、三つ星のレストランで名をあげ、
いよいよというかんじで独立し、
最初はパン屋を居抜きで借りていたんだけど
改装してケーキを全面にだすようになってから
パリの人々が「ここはすごい!」と
あらためて認識するようになり
もういつ日本から出店のおさそいが来てもおかしくないねと
ささやかれているそうなんだけど
地元のひとは「そりゃうれしい出世だけどね」という
複雑な思いで、ここの店のおいしさを見つめているみたいだ。
「おいしすぎると、日本にもってかれる」というのは
たしかに複雑なところだよなあ。
サダハルアオキについてもそんなかんじみたい。
今日でことしの営業終了だというので
ミレ・エ・ベルトーでオリジナルの香水を買う。
3種類あって、「1」は甘くて女性的。
「2」はスパイシーで、男性的。
「3」はグリーンな感じで、少年的。
どれも「みんなこういう香りは好きなのに、
いままでなぜなかったんだろう?」という香り。
すごいことです。
2か3かでずっと迷っていたらパトリックが
「ひとつかえばいい、ひとつプレゼントするから」と
あわわわわ、そんなそんな、でもありがとう!
すばらしいものをいただいてしまいました。
ああ、こんなふうに特別に親切にされると
旅の残りが少ないことを
とても切なく思ってしまうじゃないか。
さてさて、ミレ・エ・ベルトーに別れを告げて、
これくらいは見ておかなくちゃと、
エッフェル塔を見にトロカデロへ。
雨にけぶるエッフェル塔、
てっぺんは靄にかくれたエッフェル塔、
足もとは雪でつるつる滑るトロカデロの見晴らし台から
それはそれはうつくしいものだった。
声をなくしてしばらく陶然。
これも当時のひとたちは「なんて醜い!」と
言ったそうだけれど、エッフェル氏はどうやら
とても先見の明のある人だったんですね。
地下鉄を乗り継いでモンパルナスのヴァヴァンという駅へ。
途中でものすごく高速の「動く歩道」を体験する。
これねえ、信じてもらえないかも知れないけど、
入り口と出口は、手すり(動いている)につかまって、
「ビー玉を敷き詰めたような」ところを進むんですよ。
「転ぶぞ注意!」ってモニターがしつこく言う。
そんなあ、と乗ってみたらほんとうに転びそうになる。
ものすごくキケンである。
雪道から解放されたと思ったらこれかよ!
しかも途中から「動く歩道」に乗るのである。
無茶だ。
しかしなんとも楽しくて、リコさんときゃあきゃあ言いながら
無事に乗り換えてヴァヴァンに着く。
さてさて、なぜヴァヴァンに来たかというと
リコさんのともだちであり
ミレ・エ・ベルトーのポートレート写真も撮っている
マツイくんという青年と食事をするのだ。
ほんとうは料理ジャーナリストである
マツイくんの奥さまもと話していたんだけれど
急きょ会食がはいったということで
3人となる。
モンパルナスでいちばん‥‥パリでいちばん? の
魚屋も併設しているシーフードのビストロ、
LE DOMEを予約してくれたという。
ラスパイユ通りの歴史的なカフェで待ち合わせて
シャンパンを1杯のんで向かう。
モンパルナス、といえば、
古くはモジリアニだ、ゴーギャンだ。
ピカソだアルチュール・ランボーだ、
ダダで言えばツァラやブルトンが
アトリエをかまえていたのがここだ。
墓地にはマン・レイが眠っている。
サルトルとボーボワールも
ジーン・セバーグもゲーンズブールも眠っている。
そしてヘミングウエイ好きなら「移動祝祭日」である。
通りに立ってみて驚いたけれど、
ここはイメージ通りの「パリ」だった。
カフェの制服を着たギャルソンの感じとか
客層がただものではない感じとか、
アール・デコとアール・ヌーヴォーの感じとか、
もうこれぞパリ!
そして、LE DOMEですけど、
マレの食堂もすばらしいし、
ポンピドーのジョルジュも面白いけど、
やっぱりこういうところで食べてみるもんだ!
牡蠣(ザンカイエと、スペシャリテを6コずつ)、
オマールのハーブソースをいただく。
う、うまい‥‥。ものすごくうまい。
白ワインもうまい‥‥。
リンゴのうすいタルトもうまい‥‥。
そしてマツイくんの頼んだ定番の
「舌平目のムニエル」をちょっともらったら、
こ、これは! これが
「舌平目のムニエル」というものだったんですね! と、
いままで何を食べていたんだろうと反省しつつ
あまりにうまさに、叫ぶ。
ちなみに、内装はとってもゴージャスですが、
ビストロなので普段着で大丈夫です。
が、もちろんイブニングを着ている女性もいて、
さらにうしろの席は、ものすごく豪華な家族が
タバコをすぱすぱ吸いながら(これがまたかっこいいんだ)
食事をしていて、
最初は「家族じゃなくて愛人どうしなんじゃないの」などと
「コックと泥棒、その妻と愛人」な世界を
勝手に想像して楽しんでいたんだけど
あとで本人に聞いてみたら
おっさんはイタリア出身でパリジェンヌと恋におち
こうして家族はみんなフランス語をしゃべるんだと言っていた。
ごきげんなおっさんで、
「シシリー出身だよ! ヤクザだよ! わっはっは!」
とかうそぶいていた。
「いい靴だな! どこで買った」
あ、東京です。
「ヨーロッパにはないのか!」
うーん、コム デ ギャルソンだけど、
メインブランドのじゃないから(ジュンヤ)、
たぶん、ないと思う‥‥
などと話してもなお
「ほかにどんな色があるんだ!」
とやけに興味をもっておられました。
黄色とか青とか黒がありますよ。
「東京には行ったことがないんだ」
だそうです。
ちなみにジュンヤ×ダナーの
オレンジのマウンテンブーツでした。
マツイくんの写真は、ミレ・エ・ベルトーで
パトリックさんが「日本で香水を展開するための
宣材につかうポートレート」を見せてくれたんだけど、
それがほんとうにすばらしいものだった。
ぼくはパトリックさんを良く知っているわけではないけれど、
その写真には、パトリックさんがすごしてきた人生の
とてもいつくしむべき時間が、ちゃんとうつっていた。
しわの深さや心から笑っている感じ、
ただただ呑気に過ごしてきたらこうはならない、
そして、だから今があるんだという顏が
ちゃんとそこに写っていた。
来年、モンパルナスのカフェで個展をするそうなので
ぜひぜひまた見にきたいものです。
あまりにおなかがいっぱいになったので
リュクサンブール公園のわきを通って
カルチェラタンからシテ島、サンルイ島をわたって
マレまで歩いて帰ってきた。
そういえば初めてセーヌ川見た!
「わたしずっとセーヌ川が流れているって
思ってなかったんです」
と、リコさんが強烈なボケをかましてくれて
ほんとうにそれはどうかと思う!
でもまあ、たしかに「川の流れ」を感じさせない
ゆったりとした水がそこにはありましたが。
戻ってすぐ寝ちゃったので、
この日記は朝書いてます。
いま8時半、鳥がちゅんちゅん啼きはじめました。
さて今日は大晦日。
2時半に「地下鉄のホーム」でジャンマルクさんと待合わせて
「白鳥の湖」を見に行って、そのまま氏のお宅に遊びに行く。
奥様、おなかこわしていると言ってたけど大丈夫なのか。
牡蠣を用意してくれると言っていたけど、
もう、ほんと、なんでもいいですからね。
しかし2時までどうしようかなあ。
美術館が開くのが11時とか12時なので
けっこう持て余すのです。
もうちょっと明るくなったら出て
歩いてカルティエ財団まで行こうかな?