こんなことを今さらカムアウトしてもしょうがないんだけど
かなりの「雑貨好き」だなあと思う。
カワイイ雑貨をみつけると
「きゃあ」って言っちゃうもんなあ。
雑貨というか、雑貨的なもの、というか。
そもそも「雑貨」というのは
「種々のこまごました日用品」ということだから、
もとは「必要だけど小さなもの」の意味なわけだ。
しかしいまや有用なそれら小さなものは
「生活雑貨」と言われて区別されてるよねえ。
つまり「雑貨」という言葉はどうも
「ま、必要かっていわれたら必要ないけど、
カワイイからいいんじゃない?」
みたいなニュアンスになっているような気がする。
おかあさんに見つかると絶対に
「またそんなものばっかり買って!」
と言われるようなものですね。
そしてぼくはそういうものが大好きなのだなあ。なんだか。
そういえば高校のころ
ぼくがレコードを買うのを諭すのに母は
「あんたには、そんなに、音楽は、必要ないんだから!」
と言ったことがある。
本を買うのは止めない母が
なぜ音楽をダメだというのかわからなくて
すごく「きょとん」としちゃったのを覚えている。
音楽を必要じゃないと言う気持ちがわからなかったのだ。
そのころのぼくは、音楽を杖のようにして歩いていた。
あのときあの音楽に出会わなかったら
どうなっちゃってたんだろうと、ぞっとするくらい。
あれがなかったら生きられなかったと思う。
おおげさではなく、
ほんとに死んじゃってたかもしれないとさえ思う。
と、話がややこしくなりそうなのだが
いまは「死ななくてすむためのもの」というほどの
重きをおくことはないにせよ、
音楽も、雑貨も、やめるなんて考えられない。
ぼくが育ったころの静岡には(つまり20〜30年前)
そういう雑貨がなくって、そんななか雑誌で
東京には「文化屋雑貨店」だの
「ハリウッドランチマーケット」なんてものがあると知り
おこずかいを貯めては東名バスで遊びに行っていた。
母の言う「ろくでもない」ものにずいぶんときめいて
買って帰っては怒られていた。
それはどうやらいまも変わっていないみたいで
「見つかったら怒られる!」と思いながら買ってます。
マザコンかも。
というわけでおかあさんにまた怒られそうな店、
7/31にオープンした
colette meets COMME des GARCONSに
(↑サイトもできてた!)
遊びに行ってきました。
開店を待つ徹夜組も出たそうで、
それはやっぱりなにか心の大きな穴を埋める行為?
もっと軽いのかな、よくわかんないな、なのだけど、
午後4時になっても入場制限されていて
行列ができていました。
中に入ったらやっぱり「きゃあ」と叫んでしまいました。
人によっては「なんじゃ、こりゃ」と
思うようなものばかりなんだろうけど、
わたくしには「きゃあ」でした。きゃあきゃあ。うるさい。
この店にしかありません、というものだけが
とうぜんすべて限定品で並ぶということで、
コム デ ギャルソンの本店が美術館だとするならば
ここは「画廊」。
しかし予算がないので、ミュージアムグッズ的なものを
ちょっとだけ買いました。ふふふ。
そうそう、iPodのこの店仕様(黒)、ありましたよ。
かーっちょよかったですよ。
20Gなのに15万4800円という気の狂った価格でしたよ。
しかし初日分完売だそうですよ。誰が買うんだ!
と某氏に言ったら「高城剛さんとか」と聞き、
「さもありなん」と思い、ちょっと冷めることができました。
買えばいいじゃないのさ! ふーんだ。