東京03 FROLIC A HOLIC
『何が格好いいのか、まだ分からない。』
公演を観てきました。
東京03の舞台は初めて。
きっかけは千葉雄大くんがこの日ゲストで出るということである。
これは見届けなくてはとチケットを手配したのだけれど、
そもそも東京03はテレビでも「目が離せない」グループで、
彼らのコントの面白さは短い尺のなかでも感じていた。
だからこそ舞台はどんなものなのだろうということに
とても興味があったのでした。
しかもこの舞台、メンバーにハマケン(浜野謙太)とおぎやはぎ。
さらにジェントル久保田さんが立つ。
久保田さんって、えーっと、
二階堂和美さんのアルバムのバックをやっていた
GENTLE FOREST JAZZ BANDのひと?
そしてこの日のゲストは千葉くんとともにバカリズム。
予備知識がまるでないのだけれど、
楽しみにして損はないはずの舞台です。
で。
いやはやびっくりした。面白かった。
まったく予想していなかったのだけれど
3時間休憩なし、まるっと1本の流れがあって、
そのテーマがタイトルどおり
『何が格好いいのか、まだ分からない。』である。
お笑いのライブ、ではなく、
演劇として観たとしても、すばらしいものだったのです。
「作・演出」に名前のあるオークラさんというのは放送作家で、
もと芸人さん、バナナマンと親交があったことから
手伝いをするようになり作家になったという。
いろんな芸人の単独ライブにかかわっているそうだ。
この舞台の「さっきのアレが、ここにつながっているのか!」
という緻密な構造、仕掛けは、この人による世界だろうか。
こまかいことを書くときりがないんだけど、
最初のほうの人物紹介や、
回想シーンをうんとわかりやすく説明するような演出も、
とびぬけて新鮮だったなあ。
「作」にはもうひとり、東京03の飯塚悟志さん
(メガネじゃない、ツッコミの人)の名前がある。
そしてこの舞台は、彼の視点で物語。
つまり飯塚さんの思考が脚本にそうとう入っていると感じる。
この舞台は「飯塚さんが回している」と言ってもいいと思う。
彼はこの町に縁はあるが、「外の人間」である。
だからぼくらも安心して彼に物語を委ねられる。
でもこの舞台の主役は誰なのかというと、
じつは角田晃広さん(セルフレームの人)である。
どうなっちゃうのかわからない軽薄でひどく心配な人物を、
徹底的に、きっちりと、
「この人、ほんとにこういう人なんじゃない?」
というレベルまで役作りをしている。
「困った人ぶり」が完璧なのである。
セリフの量も半端じゃない多さなのに、
それをまったく感じさせないくらい、
役そのものの人間として舞台で生きている。
本人にしてみたら「長いコント」というようなことなのだろうか。
あれをあんなふうにできる役者がどれだけいるだろうか。
ほんとは地なんじゃないか。
ちょっとおそろしいレベルだと思う。
もちろん角田さんのキャラクターでのアテ書きというところが
この台本にはあるだろうけれど、それにしても
この「どーしょーもない」人間の一挙手一挙動、セリフ、表情が、
観客であるぼくらを「飯塚さんの目」とシンクロさせ、ふりまわしていく。
そうなのだ、彼を「観察する」役割の飯塚さんは、
そのまま観客全員の視点を担っているのである。
もうひとりの東京03、
豊本明長さん(銀縁メガネの人)は、
徹底的に「ボケ」である。
物語には深く介入しない傍観者だが、
世の中にはこういう人がいて、
ただ面白可笑しく立ち回って、
他人の人生にはコミットせず、
じぶんの人生にもコミットさせず、
なんの責任もとらない立場を生きている。
彼自身はそれで楽しいらしい、という役である。
つまりコメディにおいて「必要」な人間を、
でしゃばらずに丁寧に描いている。
徹底して豊本さんにこの役をやらせたことは
この舞台にとって成功だったはずである。
舞台は、とある町。
主人公の角田さんは40を過ぎてうだつが上がらず。
おぎやはぎ演じるちんぴらにぺこぺこして生きている。
彼が巻き込まれる災難に
心ならずもつきあうことになる飯塚さんだが、
そうは言うものの飯塚さんには実害が及ばない。
なぜなら飯塚さんは観客そのものでもあるので、
彼がひどいことになっては、この舞台はぼくら観客にとっても
心が痛いだけのものになってしまうからだと思う。
ここで描かれる酷いこと、というのは、そうだなあ、
大人計画で松尾スズキさんが描く物語に比べたら
その酷さは100分の1くらいだけれど、
「こういうところから抜け出せないということが地獄なんだよなあ」
とわからせるには十分な「抜けない毒」であり、
なんだかすごく身近なリアリティがあるのだ。
悪役を、じつは丁寧に、しっかりと演じているのが
おぎやはぎの小木博明さんで、
ぼくはこの人のテレビにおける「小悪党」というか、
ちょっと他人を嗤う感じというのが苦手だったのだけれど、
もしかしたらおそろしく真面目な人なのではないだろうか。
気の小さいちんぴら程度の小悪人というのは
ある意味彼のキャラクターそのままだが、
いや、そのまんまであの芝居はできない。
TVのキャラクターを活かした配役なのだろう。
また彼にしかできない「声芸」のコーナーもあって、
オークラさんと飯塚さんが、
小木さんを骨までしゃぶっている印象だ。
ものすごく働かされてる。
かたや矢作兼さんは、ほんとにもう、
ひじょうにいいかげんである。
この人はなにも考えていないんじゃないか。
役柄もそうなんだけど、そこに本人性がすごくあるように見えるのだ。
セリフも入ってないようだし(しょっちゅう間違える)、
滑舌もひどいからわりと肝心なところが聞き取れないし、
そのことで飯塚さんが最後にキレてたのは
本気じゃないかと思うほどなのだが、
この人はなにしろTV的アドリブ力が半端なくあるので、
「なんとかしてしまう」のが凄い。
じっさい彼がいちばん「爆発的な」笑いをとっていたわけである。
とはいうもののそれはTV的。
しかしながらこの舞台にTV的な笑いを入れたのは彼だけで、
それが観客にとっては「安心感」になっている。
あのどうしようもない異世界と現実をつなぐメディア役なのかも。
角田さんとならぶもうひとりの主役が、
じつはハマケン。われれがハマケン。
ハマケン、ブラボー!
彼の舞台上での仕事量はおそろしく多く、
遠慮なしに彼の力量を信じて頼り切っている。
ハマケンは角田さんの演じる人物と同じくらいに
「しょーもない」人間を演じるのだけれど、
角田さんとくらべると
「ほんのちょっと頭がまわる」人間として描かれている。
狭い町のどーしょーもない人間であることには変わりないのだが、
もうちょっとで外の世界とつながるんだけどな、
というギリギリを生きているような人物である。
これがハマケンにぴったり合っている。配役の妙。
これもほかにできる役者はなかなかいないだろうなあ。
音楽は、録音された効果音的な音響とは別に、
舞台奥にGENTLE FOREST JAZZ BANDがそろい、生演奏をする。
その指揮者としてジェントル久保田さんがいて。
狂言回しとして、いい具合にこの舞台にコミットしている。
ハマケンも場面をつなぐ「音楽」のシーンで歌う。
この音楽、ハマケンの使い方もとてもいい。
これは資料をたしかめたわけではなく、
ただのぼくの想像なんだけれど、
昭和12年生まれの母が
「むかしね、新宿ACBに、
クレイジーキャッツを観に行ったわ」
などと言う、その時代のショーって
もしかしたらこんな感じだったのかな?
というふうにも思う。
ちゃんと音楽が入ることで全体のムードがキラッキラするのだ。
しかもGENTLE FOREST JAZZ BANDが達者。
ミュージシャンもまた演者のひとりとして
楽しんでいるのが伝わってきました。
女性出演者はひとりだけで、
劇団モダンスイマーズの生越千晴さん。
おちついていて、とてもいい。
全編をつうじて大事な役割なのだが、
最初は「ちょっとした花」的な登場だったのに、
だんだん、物語をかきまわす、謎めいた、
重要なキャラクターとわかってきて、
最後にはかなりの芝居の力量が必要になる。
だからこそ生越さんの演技がしっかりしていることが大事で、
そのことが、この舞台に一本きっちりとスジを通していた。
ここに芸人さんを持ってこなかったのは大正解だと思う。
聞いたところによると、ほかの日は「女性ゲスト」が
この役を演じたというから、なかなかたいへんだったのではないか。
でもみんな達者そうだけどね。
さあ、ゲストの千葉雄大くん。
ちなみにほかの日のゲストは、
塚地武雅+川栄李奈、
バナナマン+玉井詩織、
山崎弘也+飯豊まりえ、という男女の組み合わせなので、
この日がバカリズム+千葉雄大、
というのは変わりダネだったのだと思う。
ゲストの中で「役者」は千葉くんだけで、
そのことがよかった。
コントの達者な芸人さんは、芝居もできるんだよな、
と思うのだけれど、逆に言うと、
いい役者がコメディを本気でやるときのものすごさは、
また別の意味で面白く、凄みがある。
でもそういうものって「コメディ要素のある演劇」でしか観られない。
劇団☆新感線とか、三谷幸喜さんの舞台とかね。
最近、素人投稿の再現映像を
ちょっと名の知れた役者やタレントが演じる番組があるけれど、
‥‥舞台ってそんなもんじゃないでしょう。
そこへ行くと、ぼくとしては千葉くんよくやった!
やり切った! でありました。
千葉くんの出た部分というのは、
本編のストーリーには関係のないところなんだけれど、
『何が格好いいのか、まだ分からない。』というテーマには
とても深くかかわりのあるものだった。
コンビとして漫才(コント)の相方をやり、
そのあと、裁判劇につながっていくという
なかなかたいへんな「場」の主役である。
(千葉くんじゃないゲストの日は、
千葉くんの演じた部分を東京03の豊本さんが演じていたという。)
わずか2公演の舞台ながら、
自分がひとつのピースとなること、
それで舞台が「完成」するのだというプレッシャーは
きっと大きくあったと思うのだ。
たぶんものすごい集中力で稽古したのだと思う。
そういうバネが、力になる。
それでも「ひとつセリフを間違えた」らしいのだけれど、
そこをアドリブでとりかえした瞬間がすごかった。
文章で説明や再現ができないのがくやしいが、
それは、もしかしたら台本通りだったのかなとまで思った。
あとで「あれはアドリブだったの?」とたずねたら
「そうなんです‥‥」と言っていて、
ぼくはそのことにものすごくおどろいた。
きみは、そんなことができるんだ!
ぼくらはもしかしたら、ひとりの男の子が、
役者になっていく過程を見ているのかもしれない。
さてバカリズムさんが任されたのはエンディング。
連日、ゲストのコメディアンがそこを担当したらしい。
この役どころはものすごく力の要る(アドリブ力の要る)ことで、
なにしろエンディング、舞台の印象を左右してしまう。
そんななか、彼の「回し方」は見事だったと言うしかない。
その場面にはTV的なバラエティ・ショーの色合いもあり、
ちょっとゆるめの「おふざけ」の時間でもあったのだが、
そんななかに、きっちりとした演出が入る。
たとえば音楽の使い方などがそうである。
「にらめっこの歌」でトランス化させるとはね。
おそるべしバカリズム・ワールド。
しかしこのクオリティで4日間6公演。
もったいない! とも思うし、
こう http://www.tokyo03frolicaholic.jp/
いうものが観られる東京ってすごいなとも思う。
あ、すごいのは東京03か!