料理が好きだ。
つくるのも食べるのも好きだし、
つくったものを食べてもらうのも好きだ。
味見をしないので(ひどいですね)
おいしくできているとほっとする。
一緒に食べていると(おいしい場合に限り)
「お店ができるね」と褒めてもらえたりもするが、
お店って。これまでそういうことを考えた事がなかった。
なんでかなあ、と考えてみると、
ぼくは親しい誰かと食べることとその時間を共有したいのであって
見知らぬ人に仕事として料理を供するのはしんどいのでした。
イベント的にときどきやったりもするけど、いつもはできない。
こちらの体調も機嫌もあるし、
安定してうまいものをつくりつづける自信はない。
それがぼくがプロの料理人を尊敬する理由でもある。
彼らはいつ何どきでもうまいものをつくる。
不本意な批評にさらされても、へこたれずにつくる。
そんなことはぼくにはできない。すぐ凹んじゃうよ。
ぼくは料理を愛するもののためにつくる。
ともだちのためにもつくる。
同僚にもつくる。
ぼくの料理はいうならば「仲間たちのための料理」だ。
仲間のなかには自分も入っている。
ふと想像する。
人々が狩をしていた時代、
食べ物が手に入ったら、
火を囲んでみんなで食べたのではないだろうかと。
職業というものがなくても得意なことはあったろう。
速く走る事ができない足でも
遠くが見えない目でも
肉を焼くのが得意なものがいただろう。
自分はそんなやつだったのかもしれないと。