編集者ですと名乗りながら
編集者というものにになりきれないんだよなあと、
そんなふうに思って25年以上が経ちます。
そもそも編集者っていうのは
原稿を書かず、ひとにいい原稿を書かせる、
そういうものらしいんだけれど、
そんなふうにすくすく育つのは
大出版社のエリート編集者だけなんじゃないかなあ。
どかちん制作会社出身の編集者っていうのは
最初からなんでもひととおりたたき込まれる。
原稿を書くことはもちろん、
写真も(当時は印刷に使うのはポジフィルム!)撮ったし、
デザイン‥‥じゃないな、レイアウトも、
「そこそこ」できないといけなかった。
ついでにイラストも描いちゃったりしてね。
というか、編集も原稿執筆もデザインも写真もイラストも
何かを伝える道具として「同列」なので、
予算やスケジュールに応じて
どうしてもプロの手を借りないといけない部分から
予算配分をしていって、ここはまあ、という部分は
「おれがやります」てことになるわけです。
もちろんプロフェッショナルの領分というものはすごいものだし、
それが絶対的に必要という場面も多いけれど、
大出版社のように「すべてをプロに任せて、中心で編集者が手綱」
ということは、あまりなかった。
そして若かったぼくのところには、
お前行ってこい、書け、写真も撮ってこい、
というような仕事がいっぱい来た。
そのことが、ラッキーだったんだろうなあ。
いっぽう、大出版社の編集者のように、
いかに上手に原稿を書かせるか、
という部分には、ほとんどスキルがない。
作家の先生との付きあい方も知らない。
のちに友人となる同世代の出版系編集者のみんなが
飛び抜けてすごい、
そういうスキルと経験を持っているのを見ると、
とてもじゃないけどできないなあと思う。
TVに出たとき肩書きが「ネット編集者」となっていた。
自分でそう言ったわけじゃないし、
出身は雑誌や書籍だし、今でもつくってるわけだから、
ただの編集者でいいんじゃないかと思ったけれど、
いまの自分の仕事のスタイルはたしかに
インターネットの時代「ぽい」かもしれない。
同人誌的な部分が、メジャーな仕事のなかにも、あるし。
さてこの土日、休日出勤して原稿を書いている。
長く取材をしてきた案件があって、
自分で取材をして自分で書き自分で編集する、
そういう連載をつづけてきたのだけれど、
それが縁で販売をすることになったので、
販売用のページを別につくるのです。
頭にはこれまでの大量の情報が入っていて、
ほとんどが文字にもなっているわけだけれど、
そこから必要なことをとり出して、整頓して、
丁寧にラフを書き、
自分に原稿執筆を発注するわけです。
で、さあ書くぞ、と、Macintoshに向かい書き始めると、
書き手の自分がラフを見て「ちょっと違うんじゃないの」と
編集さんの自分に文句を言い始めたりする。
「そうだよねえ」と編集さんの自分はラフを修正する。
書いて、修正して、アイデアが出ちゃうと取り入れて、
さあどうする? と、
自分が自分に相談しながらすすめていくわけです。
ここにも「純・編集者」になりきれない自分がいる。
ライターさんに発注するのであれば
こんなに頻繁に「やっぱこうしない?」なんて
言ってちゃダメだものね。
たぶんぼくは「純・編集者」としては
そうとうダメな部類だと思う。
でも、これが楽しいのです。
あまり仕事をはっきりと「楽しい」と
思うことって少ないけど、
この行ったり来たりは楽しい。
ふたつの仕事を行ったり来たりすると、
ひょっとして運動エネルギーが生じるんじゃない?
バーチャルだけど、それが動力に加担する気がする。
まあ、「ひとりよがり」になる可能性もあるのが
おそろしいところだけれど、
そこはチームがあるし
信頼する同僚がいるから相談できるわけだ。
つまり、小さなチームだからできることがある、
というところも、インターネットならではじゃないかなあ、
なんて思うわけです。
‥‥って、こういうことを書いてないで、原稿を書け。
はい、そうします。