伊藤まさこさんの新刊がとどいた。
『NEW YORK RECIPE BOOK』といって、
ニューヨークで食べた「おいしい!」と思う料理を再現、
スタイリングをして1冊の本にまとめたもの。
何が新しいって、まず著者。
3人が連名になっている。
ひとりは料理の坂田阿希子さん。
ひとりは編集とコーディネーションの仁平綾さん。
そしてもうひとりがスタイリングの伊藤まさこさんだ。
いままでの本だと、料理本っていうのは
「レシピ」をつくった料理人のものだ。
だから著者は、基本ひとり。
コーディネーションもスタイリングも、裏方。
逆に写真は、著名な人だと表紙に名前が出たりするけれど、
それはそのほうが目に留まるからだったり、
印税契約をしたりしている場合。
この本が、なぜ3人の連名になっているのかというと、
それはこの3人があつまって
つくりたくてつくった本だから。
といってユニット名ではないところもいい。
「共著」のかたちをとっているところが、
なんていうんだろう、
本をつくるうえでの役割分担をふまえたうえで、
著者ってなに? っていうことの
あたらしい提案をしているように思うのだ。
編集も、コーディネートも、スタイリングも、料理も、
文章も、すべて「著作」であると。
おそらく本づくりは3人の共同作業で進んでいる。
レシピづくりも面白い。
「食べて、感じたことを、レシピに落とし込んでいく」
という方法。
お手本はある。3人が食べておいしいと感じた店の料理。
でも「そのまま」じゃない。
たぶん許諾は取っているんだと思うけれど、
じぶんたちがおいしく感じるようにアレンジをしている。
そしてちゃんと「おいしくできた」から載せているわけで、
そこは食いしん坊ユニットの面目躍如だろう。
このスタイルには
「料理ってなんだろう?
おいしいものを食べるってどういうことだろう?」
という投げ掛けが込められているように思えるのだ。
レストランの味はあくまでもレストランの味。
それを家庭で完璧に再現することに、
そんなに意味はないと、ぼくは思っている。
やりたければやればいいんだけど、
食べに行ったほうが絶対おいしい。
レストランのオーナーシェフによる料理本は、
多くはプロフェッショナル向けに書かれているから、
しろうとのぼくが読むときは
「すばらしい知見の詰まったヒント集」
だと思っている。
きっと3人は、レシピ探訪の旅の途中、
「これがおいしいんじゃない?」
「こっちのほうが私たちの口には合うよね」
「これは‥‥いらなーい!」
というような会話をしたにちがいない。
そして「自分でつくる」ので、再現性が高く、
「いま」の自分たちに合う味に仕上げたいねと、
この方法を選んだんじゃないかなあ。
そういう意味で、アメリカが舞台というのもぴったりだ。
住人たちが好きにかたちを変えて、今がある国。
歴史は守るものではなく、つくるもの。
そんな気概がこの本と通底しているように思える。
全体を通じて感じるのは、
ヒントと工夫しだいで、
人生はこんなに楽しくなるんだよっていう、
世界観の提示のようなことだ。
楽しく生きたいなら、そのために使えるヒントって、
世界にいっぱいころがってるよ、というか。
考えてみると、こういうことは、
ふだん、食いしん坊で料理好きの人はやっていることだ。
でもこういうかたちで書籍になるっていうことが、
やっぱり新しいんだよなあ。
ちなみに、この本、出版社の主導ではなく、
3人がつくりたくてつくり
(つまり取材費などは自腹ってことじゃないかな)
あとから版元を探したのだそうです。
前作のパリを舞台にした『TERRINE BOOK』も同じ。
そう、「つくりたいから、つくる」のだ。
あたりまえだけど、すごい。攻めてる。
これ、東京カリ~番長の水野仁輔さんもそうで、
彼(ら)のHPを見ると、
「未完」のカレーの本のタイトルが
ずらりと並んでいる。
やりたいことがいっぱいで、かつ、惜しみないんだよなあ。