ルンバがほしいなあとフローリングのこの部屋に越してきてから何度も思った。
あのロボット掃除機である。
前の部屋はカーペットだったのでそんなに気にならなかったのだが
フローリングは掃除を怠ると埃が浮くし、スリッパの裏がジャリジャリする。
まめに掃除機をかけ、拭き掃除をすればいいのだが、なかなかそうもいかず、
ジャリジャリしたりフワフワしたりしてからやっと掃除機を出す。
しかしこの掃除機をかけるという行為が苦手で。
何がどう苦手なのかというと、コードが引っかかることや、
ホースが拗(ねじ)けること、方向転換のときに家具に引っかかることだ。
苛々する。なぜか汗をかく。
道具がとっちらかるのもイヤだし。
せめて掃除機が気に入れば違うだろうとずいぶん前にセールで
ダイソンのいわゆるキャニスター型掃除機を買った。
その妙ちきりんな形状や色彩感覚はとても好きなのだけれど、
だからといってやっぱりしょっちゅう出してかけるわけでもない。
そもそも掃除機を出してセッティングするのが面倒なんだもの。
出してかちゃっと嵌めてコンセントひっぱって電源を差し込むだけなのに。
だからジャリジャリやフワフワがあまり好きじゃなくても、
見つけたらすぐになんとかしたい気持ちをないことにして、
見て見ぬフリをして、ギリギリまでほうっておくのだ。
引き戸のレール部分に溜まる小さなゴミなんかも気になるが、
「いずれまとめて」なんてことにして無視する。
あんまりよろしくない。仕事だったら自分を叱る案件である。
ルンバのすばらしさは、猫を飼っている家や忙しい家庭のヌシたちからの絶賛で
「なるほどそういうものか」と理解している。
初期費用のみならずランニングコストが(毎年バッテリーを交換するとか)かかるし
けっこう壊れるみたいだということもわかったが、
ルンバ愛好家たちはそれを厭わない。コストを補って余りあるよさがあるのだろう。
昼間不在のぼくのような生活スタイルだったら、
セッティングしておけば留守の間に掃除ができちゃうわけで、
そりゃあ便利だろうなあと思う。
知らない間にあの床のジャリジャリがなくなるんだから。
わかる。わかるのだが、踏み切れずにいた。
くれる人がいれば遠慮なくもらうだろうけど、という感じで。
なぜだろう。理由は値段の高さだけじゃないはずだ。
いっぽう、コードレスのハンディタイプの掃除機のよさ、というのもまた
コードレスハンディ派の人びとからよく聞いていた。
気になったらサッと出してチャッとかけておしまい。
すごく便利だそうだ。きっとそうなのだろう。
そしてコードレスを導入するならば
「ダイソンは高いからM社のにするといい」という意見も多かった。
壊れたら平気で買い替えられそうな価格帯のM社製品は、
なるほど悪いとは思わないがすがたを見るにぼくの好みではない。
残念だけど仕方がない。
「たのしいほうがいい」と思っているんだろうなあ、と思う。
暮らしが。掃除ですら。
主体的な行為としてたのしみたいと。
そんななかで選ぶとコードレス掃除機はいい。
そして見た目のたのしさや、
ばかばかしいとすら言えるほどの高性能の追求がダイソンにはあって、
これを使うこと自体が面白いじゃないかと思う。
ルンバにも「ばかばかしいとすら言える」部分は濃厚にある。
けれども、購入者(使用者)はルンバの奴隷になるわけである。
奴隷は言いすぎか。お世話係ですね。
掃除はあっちがするわけで、ぼくはごみ捨て係になるわけでしょう。
主体を失った掃除という行為。
それがどうも。
これは一眼レフを使うとき
「せめてピント合わせは自分でしたい」と思うのに似ている。
たまにオートフォーカスを使うとすごく便利ではあるんですけどね。
というわけできょうダイソンのコードレス掃除機が届いた。
買っちゃったのだ。ほとんど衝動買いである。
勤務先で隣席の夫人となんとなく話していたら
「わたし、先週、壊れたのをきっかけにルンバをやめて、
ダイソンのコードレスにしたところです!」
とニコニコと言うのが背中を押した。
そうでしょうそうでしょう、やっぱりそうでしょう。
ちなみに長く使っているキャニスター型は壊れたわけではない。
けれどもチャッと出してサッとかけられる状態が欲しかった。
ダイソンのコードレス掃除機は壁にかけて充電セットできるんだけれど、
そのすがたが悪くない。というかかなりヘン。
洗面脱衣所にいいスペースがあったので、
いま、そこにセッティングして最初の充電中なんだけれど、
はやく使いたくて仕方がない真夜中である。
うるさいからしないけど。
そこまで掃除をさせる気になるんだから、ダイソンのコードレス、
たいしたものだと思うのですよ。