たびだちの朝、4時半起床。
フランス式に書くと04h30でしょうか。
フランス式に書く必要はない。
こういう小さなところから人はかぶれてゆくのです。
さてパッキングの続き。
昨晩(酔っ払いながらも)ちょっとやっておいたので
あとは確認と整理‥‥のはず。
詰めるべき洗濯物(というか洗濯済みの衣類)を
取り出そうと洗濯乾燥機を開けると、
まったく乾燥ができていない! がーん!
生乾きどころか脱水後そのままという感じ‥‥。
仕方がないので部屋のラジエーターの温度を上げて、
衣類をひっかけて乾かすことに。
しかしこれが衣類の上に衣類が重なることで、
たいへんみすぼらしいクリスマス・ツリーのようになる。
しかもかけたそばからバリバリ乾いていくのが恐ろしい。
女子のみなさん冬のヨーロッパはお肌に大敵ですよ!
重いものは、大型本、銅鍋、ワイン、瓶詰の食材。
両方が同じくらいの重さになるよう、
2つのトランクに分けて詰める。
割れ物があるときは、
トランクの中で動かないようにするのが鉄則。
隙き間が出来ないように詰めるのだ。
ワインはプチプチシートにくるんだうえ、
段ボールに格納、隙き間は衣類で埋める。
あとは洗濯物を仕舞うだけ! と、
ためしにいったんトランクを閉じ、
よっこらせと床に置こうと持ち上げたら、
(ソファの上で荷造りしていたのです)
バランスがひどく悪い。
頭が下がって車輪が浮くぞ?
なんじゃこりゃ!
はっ! 上のほうに重いものを詰めちゃった!
重心は車輪側にしないと、だめじゃん!
天地、完全に逆!!!
建物から出ると左右がわからなくなるほどの方向音痴は
こんなところにも被害をおよぼすのである。
二十代のはじめにNYに遊びに行ったとき、同行の友人
(ブーツ、というあだ名。鳩のような方向感覚があった)にも
よく呆れられたものだ。
いったん店に寄ったりしたあと、
必ず目的地と逆に歩き出すのが
(しかも自信満々に)始末に負えないと、
最初は笑っていたブーツも、最後は怒っていた。
「とけさん(ぼくのこと)が右と言ったら左だよな!
ほんとにしょうがねえなあ」と。
そのうち「さあ、どっちでしょう?」とからかわれ、
「そりゃ、こっちだろう!」と指さす方向は必ず逆。
こっちだと思ったので逆を差せば、それでも逆。
どういうこと?
しかもぼくの方向感覚は、碁盤の目でよりダメになるので
NYなんて殊更たいへんなことになる。
彼はもうこの世にいないのだが、
天地逆のトランクを前にぼう然とするぼくを見たら
大笑いするんじゃないだろうか。
「あいかわらずだなー! さすがだなー!」と。
というか、ほんとにそばで見て笑っているような気がする。
そう、パリではそんな気配が何度かあった。
おもしろい現代美術を見たり
(彼は現代美術のすばらしいコレクターでもあった)、
とんでもなくうまいものを食っていたりすると
(そしてグルメでもあった)、
うれしそうにそばにいるような気がしたものだ。
リコちゃんと飲んでいるときの会話でも
何度も何度も彼ら(この世にいないともだち)の話が出た。
彼女は空いた椅子を指さし
「彼、この椅子にいると思う」と言っていた。
ちなみにゴリちゃんはいない。
あいつはとっくに生まれ変わって
いまごろおっぱいをちゅうちゅう吸っているはずだというところでも
妙に意見が一致しました。
そうだよなあ、あいつはなあ。
そしてブーツは生まれ変わらない気がする。
なんだか「いきものの格」として
トップまで行っちゃったというか、
いまは神様のところで仕事をしていて、
そこに落ち着いている気がする。
あっちでもかなり重要な役割をしていて、
その分自由もあるので、
奥さんのところにはしょっちゅう行ってるようだが、
ぼくらともだちのところにもたびたび
来てくれている気がする。
ちょっと、ブーツ、おれが道を間違えたら教えてね!
人生の道もだよ!! なんせ方向音痴だからさ。
さて、最後の朝食である。
これがもう素敵さのかけらもない朝食である。
硬くなった残り物のパン、
冷蔵庫で乾きかけたたまねぎを炒めて具にしたオムレツ、
シャルキュトリーで買ってきたテリーヌとハムの残り、
そして残り僅かなフルーツ。
あと飲みかけのジュース、コーヒー。
まあそう書くときこえはいいが、それはパリの魔法。
むしろ、なんというか、ちょっとだけ、
ブルーシートの宴会っぽい‥‥。
でもおいしい。そしてきれいに平らげる。
使った皿を食洗機につっこみ、
備品のタオルを洗濯乾燥機に入れる。
タオルは交換サービスが入るはずだから、
別に洗わなくてもいいんだろうけど、
立つ鳥跡を濁さずっていうんでしょうか、
なんとなくこういうところが日本人ぽい片づけ方だ。
もちろんキッチンもきれいに拭く。ごみも捨てる。
朝食をとっているあいだに
ラジエーター上の衣類は完璧に乾いた、
というか、干物みたいになっている。
服の形をした彫刻みたい!
女子のみなさん何度も言うけど、
冬のヨーロッパはお肌に大敵ですよ!
7時45分‥‥07h45(もういいってば)に、
リコちゃんがやってくる。
残った食材やペーパー類などを引き取ってもらうのです。
捨てるのはもったいないものね。
タクシーは昨日のうちに手配をすませ、
8時に玄関前に来てもらうようにお願いしてある。
パリのタクシーはあんがい正確で、
意外なことに5分前にはやって来る。
はやめに荷物を降ろしておかねばならない。
うちは1F(日本で言う2F)なので
階段はたいしたことないのだが、
よっこらしょと持ち上げると、
こ‥‥これは! 重い!!
手すりをつかみ、膝や腰をやられないよう、
一段ずつ、慎重に下ろす。
そして玄関の内側まで運び、
いちど部屋に戻って忘れものがないか確認。
電灯を消して、部屋の扉を閉める。
引っ越し経験がある人は(多くの人はあると思う)
わかると思うけれど、
荷物を出してがらんとした部屋からは
生気がなくなるというか、
ときには廃虚のように感じてしまうことがある。
短期貸しのアパートもそうで、
いつもだと、こうして片づけたとたんに、
部屋はよそよそしく、他人行儀な顔に戻っていった。
これがホテルとはちがうところだ。
けれどもふしぎなことに今回はその感覚がない。
この8日間、出かけるときに鍵を締めた、
その感覚とほとんど変わらない。
ここ、ちょっと不思議な部屋かもしれない。
この部屋に、ぼくはまた、
戻ってくることがあるのだろうか。
あるいは何度も来るうちに、
パリにすこしは受け入れられたということだろうか。
もしかしたら、小さな錨(いかり)のようなものを
こっそり降ろすことができたのだろうか。
そうだとしたら、とてもうれしいのだけれど。
タクシーはやはり5分前に到着。
慌てて荷物を積み(なにしろ一方通行で道幅が狭いので
後続車が来たら渋滞しちゃうのだ)、
玄関前でリコちゃんとさよならをする。
見送るひとがいてくれる旅の幸せ。
見送られない家に帰る必要はないが、
見送られたら帰ってこなくちゃいけません。
また逢いましょう、3区の、このシャポン通りで。
Roissy(CDG)へ向かう車は、未明の街を突っ走る。
最初に来たときは、空港に向かうことがいやで、
悲しくて仕方なく、
車の中でめそめそしていたものだが、
きょうは‥‥ただ眠いっす。
考えてみれば3時間しか眠っていないからなあ。
飛行機のなかでゆっくりすることにしよう。
今回はマイレージを使ってアップグレードをしているので
荷物はけっこう余裕があるはず、だったのだが、
荷物は(重いとは思っていたが)重量オーバーでありました。
39キロて!
クールな黒人の地上係員のお姉さんに
「減らしてくだいませんと!」と言われて
すごすご本を出し、それを別に預け入れることで解決。
みんな、大型料理本の大量買いには気をつけようね!
しかし慌てていたのでろくに封もしていないバッグを
そのままベルトコンベアに乗せて見送ってしまった。
だいじょうぶかちら。
搭乗。
お酒とランチ(けっこう豪華)のあと、歯を磨いて、
iPhoneの音楽をシャフルで聴きながら、ちょっと眠る。
起きて、映画『大統領の料理人』を観る。
これが、よかった。
南極フランス基地で1年間、
料理人をつとめている中年女性。
基地を去る日を前に、最後の晩餐会の準備に余念がない。
じつは彼女は以前、ミッテラン大統領の官邸(エリゼ宮)の
主菜を担当する料理人だった。
その彼女がなぜいま南極にいるのか。
そしてこれからどこへ行こうとしているのか。
たまたま基地を取材で訪れていた
オーストラリアのジャーナリストの女性が、
彼女に興味を持ち、取材をしようとするのだが‥‥。
映画は「現在(南極)」と「過去(エリゼ宮)」を
重層的に描き、だんだんと謎をといてゆく。
最初は英語で通そうとするジャーナリストに
冷たくフランス語であしらう料理人。
しかし最後のほうではその関係も雪解けする。
(ついでに、フランス人のおちゃめなところと、
けっこうはっきりいやなところの
両方がちゃんと描かれてる映画だと思う。)
大きなクライマックスのない映画だけれど、
最後のほうでぽろぽろ泣いちゃった。
「人生はままならないが、それでも面白く、
私たちは、前に進むしかない」という映画である。
フランスの地味な文芸作品であるが、
こういう映画をラインナップに加えてくれて
JALさんありがとう!
そして料理のシーンのおいしそうなこと。
料理本好きにもたまらないシーンがあったりして、
ぼくのなかでは『バベットの晩餐会』と並ぶ作品に位置づけられました。
それからやっぱりフランス語の響きは
なんとも好きだなあということを再認識。
毎度のことながら、
ちゃんとフランス語をやろうと決意する空の上である。
それにしても、8日間、たのしかったな。
フランス語では1週間をなぜか「8日」と数え(huit jours)、
2週間は「15日」(quinze jours)だという。
つまりフランス式にちょうど1週間過ごしたことになるわけだ。
‥‥みじかいよなあ。今回もまた、思い残すことがいっぱいだ。
あの素敵な包丁を諦めざるをえなかったし、
ほしい料理本だってまだまだある。
訪れることのかなわなかったレストランや肉屋。
ああ、あそこのタルタルは今度こそ、である。
快適なキッチンでたくさん自炊ができ満足だが
(なにしろ25回の食事のうち、3回しか外食してないのだ)、
日本では知りえないような食材もまだまだたくさん。
今回は肉ばかりだったし、
次回は魚介類も調理したいものだ。
ちなみに次回来るときに持参すべき荷物のひとつが、
「よく切れる包丁」であることは間違いないです。
あとできればまな板(こっちで買ってもいいけど)。
一泊か二泊で地方にも足をのばしたいし、
パリ市内にだって行きたいミュージアムが
まだまだいっぱいある。
ルーヴルもオランジュリーも知らなければ、
凱旋門を一度も見たことがないというのは、
「それより行きたい場所がある」のだから仕方がない。
ぼくのパリは、まったく網羅的じゃないが、
そういう愛し方もあると思ってください。
そろそろ機上の食事サービスが終わる時間らしい。
窓の外はまだまだ暗闇だが、
朝の羽田はもうすぐなのだろう。
そして今ごろパリはすっかり日が暮れて、
ビストロや家庭の食卓がにぎやかになっている頃だ。
お肉買ってきたよ!
きょうはどんなワインを開けようか?
エクレア買うのに並んでたいへんだったんだから。
そんな会話が聞こえてくるような気がする。
ぼくの1週間は、根を張った暮らしではなく、
あくまでもかりそめの生活、
喧騒と団らんは、いつわりの思い出かもしれないが、
それを、ぼくは、きっと、あの部屋に置いてきたのだろう。
毎日長々と綴りました年末年始のパリ日記、
これにて〆といたします。
お読み頂いたみなさま、ありがとうございました。
あいかわらずコメント欄を持たないブログですが、
ほそぼそとやっていきますんで、
今後ともどうぞよろしくお願いします。