赤銅鈴之助のごはんちゃわんが大好きだった。
小学校にあがるくらいのときの話である。
からだがうんと小さいときは、
座るとテーブルの面が、顔からとても近い。
だから記憶の中のその(小さなはずの)ごはんちゃわんは、
目の前にどかんと、とても大きく存在していて、
鈴之助のすがたが剥げるまで使っていたのをおぼえている。
そうだよなあ、ずいぶん長く使ってたよなあ、と思いつつ、
まあ子供のときは時間が経つのがやけにゆっくりだったし、
昭和40年代の量産品である、
プリントとて剥げやすかったんだろうから、
そんなに長く使ってもいなかったのかもしれないけれど。
なんであれが好きだったのかな。
べつに「夢は大きな少年剣士」というわけでもなかったし、
「自分で選んだ」のかどうかも忘れてしまったが、
毎日使っていくうちにそれは育った。
その食器を好きな気持ちは、ひとりっこのぼくにとって、
「ともだち」を大事にするみたいな感覚に近かった。
(兄弟、は持ったことがないからわからない。)
いつの間にか(割れたのか、こどもっぽいからと
替えてくれたのかはわからない)使わなくなり、
ふと、あれどうしたんだろうと思い出して、
さびしくなったという胸の痛みを
今でもぼんやり思い出すことができる。
そうか、鈴之助よ、きみは「ともだち」だったのか。
これは鈴之助のごはんちゃわんに限ったことではなく、
金持ちの青山の従兄の家から届く
お古の革靴や上等な生地の冬の半ズボンなんかにも
ほのかに感じる記憶である。
大事にしてたなあ。
当時の武井家は貧乏なうえ(そのあとしばらく貧乏なまま、今に至る)
坊ちゃん育ちの父は若い頃から自分の趣味
(狩猟と釣りと将棋と酒と靴と服)にだけ金を使う人だから
「べつに趣味ではない」食器は、ただの実用品という位置づけで
ひじょうに適当なものを使っていた。
ま、当時の庶民ってそんなものである。
和菓子屋といっても餅菓子屋系だからそんなにたいした漆もなかったし。
着るものは前述の通り金持ちの青山の従兄の家、
K家(母の兄が婿入りした家)から
たいへん上等なオーダーメイド子供服のお古がじゃんじゃん届いたので、
ぼくの見た目は妙に金持ちの家の子っぽかったんだが、
内情はひどいもんだった。びんぼっちゃまだった。
そういえば親に「おもちゃ」を買ってもらったことがない。
(親戚が買ってくれてた。)
今になって父母が偉いと思うのは、子供にまったく
「うちはびんぼうだ」ということを
気づかせずに育てたということである。
私立の学校に行かせるのにたいへん苦労したというのは
ずいぶんあとになってから人づてに聞いたのみだ。
しかし残念だったのは、貧乏ゆえではなく、
たぶん父親の無関心ゆえに、その後、実家暮らしのなかで
「鈴之助」のように大事にしたい食器に出会わなかった、
ということである。
料理にかける情熱があれほどある家なのに残念なことである。
その後は、いわゆるふつうのごはんちゃわんで、
欠けたら交換はするものの、
とりたてて大事にするような感覚にはならずに
18歳までを過ごした。
というか武井家の食卓はいつも大騒ぎで怒号が飛び交い、
いわば「寺内貫太郎一家」のようなものだったから、
それどころではなかった。
料理はたいへんおいしかったが、
「食卓を囲むよろこび」には欠けていた。
それはいまだもってぼくが追いつづけているもののひとつである。
●
伊勢丹新宿店の食器売り場はなかなか面白いところで、
一般的な特選食器にまじって、
フィンランドのアラビア社のヴィンテージを扱っていたりする。
「とくべつなものが見つかる」というワクワク感のある、
百貨店とは思えないような珍しいものが揃っている。
その話が出たときに
「アラビアで俺のカップがほしいんス」と言う友人がいたので、
「俺の」じゃなくてさ、と思い、意見を伝えた。
彼は4人家族で、二児の父親でもあるので、
「アラビア買うなら、家族分買いなよ」と思ったのである。
すると「独身のくせに。わかってない」
というニュアンスで反論された。
子供はプラスチックの食器でいいのだそうだ。
ううむ、それを言われちゃおしまいである。
●
ぼくは食器を1点だけ買うということに抵抗がある。
いい食器ならなおさらだ。
まるで上等な寂しさを買っているように思うからだ。
そこが服や靴と違うところで、
食器はプライベートではなく、
パブリックな要素が大きいのだと思う。
そう、自分の身の回りについては、
上等なものをひとつずつ揃えていく楽しさがある。
けれども家で使う食器は「お父さんの上質なシャツ」や
「ここぞというときのための靴」のようなものとは
違うんじゃないかと思うのである。
もちろん「大人がいいものを使う」ことは
とても大事なことだと思うが、論点はそこじゃなくてね。
食器は「揃い」の楽しさがあるはずである。
独身者のぼくも、気に入った食器は複数個、買う。
食事は一人では味もよろこびも半減するし、
料理が上手になるのは人に食べさせることで
客観的な批評性が生まれるゆえである。
(食べさせてもそこがないと上手にならない。)
食器は、いつか使うことを想定して複数個買う。
そう準備していることが自分の暮らしを
ゆたかにしてくれると信じているからだ。
幻想だろうか。独身者にはわかっていないのだろうか。
「揃い」が家族の姿だということについては、
まあ、独身者の幻想だと言われてもかまわない。
それはむしろ、永遠に深く穴をあける
自分の欠落部分を埋めたい気持ちゆえなのかもしれない。
揃いで買い、ともに使う喜びが
毎日味わえるのに、もったいないねえ、きみらって。
ちなみに、そのことは、アラビアのふるさと、
フィンランドの取材を通じて痛感したことでもある。
戦後のフィンランドが「アラビア」と「マリメッコ」に
託したものは、そういうことだった。
なぜあの食器があれほど美しくなければならなかったのか。
あれほど丈夫でなければならなかったのか。
重ねて収納できるものでなければならなかったのか。
アラビアの食器には、
貧しくとも心ゆたかに生きていくという決意と、
家族が一箇所にあつまって美しく暮らすということについての
「国家的提案」が含まれているのだ。
その在りようを、ずいぶん取材して、書いてきたのだが、
なかなか伝わらないものなんだろう。
それと。食器は割れる。
じょうぶなアラビアとて、硬いところにぶつければ欠ける。
陶器なんてほんとうにすぐ割れる。
ガラスなんかもうたいへんだ。割れたら怪我するしね。
かたちあるものはいつか壊れる。
けれどもぼくは、それでいいのだと思っている。
小学校にあがるくらいのときの話である。
からだがうんと小さいときは、
座るとテーブルの面が、顔からとても近い。
だから記憶の中のその(小さなはずの)ごはんちゃわんは、
目の前にどかんと、とても大きく存在していて、
鈴之助のすがたが剥げるまで使っていたのをおぼえている。
そうだよなあ、ずいぶん長く使ってたよなあ、と思いつつ、
まあ子供のときは時間が経つのがやけにゆっくりだったし、
昭和40年代の量産品である、
プリントとて剥げやすかったんだろうから、
そんなに長く使ってもいなかったのかもしれないけれど。
なんであれが好きだったのかな。
べつに「夢は大きな少年剣士」というわけでもなかったし、
「自分で選んだ」のかどうかも忘れてしまったが、
毎日使っていくうちにそれは育った。
その食器を好きな気持ちは、ひとりっこのぼくにとって、
「ともだち」を大事にするみたいな感覚に近かった。
(兄弟、は持ったことがないからわからない。)
いつの間にか(割れたのか、こどもっぽいからと
替えてくれたのかはわからない)使わなくなり、
ふと、あれどうしたんだろうと思い出して、
さびしくなったという胸の痛みを
今でもぼんやり思い出すことができる。
そうか、鈴之助よ、きみは「ともだち」だったのか。
これは鈴之助のごはんちゃわんに限ったことではなく、
金持ちの青山の従兄の家から届く
お古の革靴や上等な生地の冬の半ズボンなんかにも
ほのかに感じる記憶である。
大事にしてたなあ。
当時の武井家は貧乏なうえ(そのあとしばらく貧乏なまま、今に至る)
坊ちゃん育ちの父は若い頃から自分の趣味
(狩猟と釣りと将棋と酒と靴と服)にだけ金を使う人だから
「べつに趣味ではない」食器は、ただの実用品という位置づけで
ひじょうに適当なものを使っていた。
ま、当時の庶民ってそんなものである。
和菓子屋といっても餅菓子屋系だからそんなにたいした漆もなかったし。
着るものは前述の通り金持ちの青山の従兄の家、
K家(母の兄が婿入りした家)から
たいへん上等なオーダーメイド子供服のお古がじゃんじゃん届いたので、
ぼくの見た目は妙に金持ちの家の子っぽかったんだが、
内情はひどいもんだった。びんぼっちゃまだった。
そういえば親に「おもちゃ」を買ってもらったことがない。
(親戚が買ってくれてた。)
今になって父母が偉いと思うのは、子供にまったく
「うちはびんぼうだ」ということを
気づかせずに育てたということである。
私立の学校に行かせるのにたいへん苦労したというのは
ずいぶんあとになってから人づてに聞いたのみだ。
しかし残念だったのは、貧乏ゆえではなく、
たぶん父親の無関心ゆえに、その後、実家暮らしのなかで
「鈴之助」のように大事にしたい食器に出会わなかった、
ということである。
料理にかける情熱があれほどある家なのに残念なことである。
その後は、いわゆるふつうのごはんちゃわんで、
欠けたら交換はするものの、
とりたてて大事にするような感覚にはならずに
18歳までを過ごした。
というか武井家の食卓はいつも大騒ぎで怒号が飛び交い、
いわば「寺内貫太郎一家」のようなものだったから、
それどころではなかった。
料理はたいへんおいしかったが、
「食卓を囲むよろこび」には欠けていた。
それはいまだもってぼくが追いつづけているもののひとつである。
●
伊勢丹新宿店の食器売り場はなかなか面白いところで、
一般的な特選食器にまじって、
フィンランドのアラビア社のヴィンテージを扱っていたりする。
「とくべつなものが見つかる」というワクワク感のある、
百貨店とは思えないような珍しいものが揃っている。
その話が出たときに
「アラビアで俺のカップがほしいんス」と言う友人がいたので、
「俺の」じゃなくてさ、と思い、意見を伝えた。
彼は4人家族で、二児の父親でもあるので、
「アラビア買うなら、家族分買いなよ」と思ったのである。
すると「独身のくせに。わかってない」
というニュアンスで反論された。
子供はプラスチックの食器でいいのだそうだ。
ううむ、それを言われちゃおしまいである。
●
ぼくは食器を1点だけ買うということに抵抗がある。
いい食器ならなおさらだ。
まるで上等な寂しさを買っているように思うからだ。
そこが服や靴と違うところで、
食器はプライベートではなく、
パブリックな要素が大きいのだと思う。
そう、自分の身の回りについては、
上等なものをひとつずつ揃えていく楽しさがある。
けれども家で使う食器は「お父さんの上質なシャツ」や
「ここぞというときのための靴」のようなものとは
違うんじゃないかと思うのである。
もちろん「大人がいいものを使う」ことは
とても大事なことだと思うが、論点はそこじゃなくてね。
食器は「揃い」の楽しさがあるはずである。
独身者のぼくも、気に入った食器は複数個、買う。
食事は一人では味もよろこびも半減するし、
料理が上手になるのは人に食べさせることで
客観的な批評性が生まれるゆえである。
(食べさせてもそこがないと上手にならない。)
食器は、いつか使うことを想定して複数個買う。
そう準備していることが自分の暮らしを
ゆたかにしてくれると信じているからだ。
幻想だろうか。独身者にはわかっていないのだろうか。
「揃い」が家族の姿だということについては、
まあ、独身者の幻想だと言われてもかまわない。
それはむしろ、永遠に深く穴をあける
自分の欠落部分を埋めたい気持ちゆえなのかもしれない。
揃いで買い、ともに使う喜びが
毎日味わえるのに、もったいないねえ、きみらって。
ちなみに、そのことは、アラビアのふるさと、
フィンランドの取材を通じて痛感したことでもある。
戦後のフィンランドが「アラビア」と「マリメッコ」に
託したものは、そういうことだった。
なぜあの食器があれほど美しくなければならなかったのか。
あれほど丈夫でなければならなかったのか。
重ねて収納できるものでなければならなかったのか。
アラビアの食器には、
貧しくとも心ゆたかに生きていくという決意と、
家族が一箇所にあつまって美しく暮らすということについての
「国家的提案」が含まれているのだ。
その在りようを、ずいぶん取材して、書いてきたのだが、
なかなか伝わらないものなんだろう。
それと。食器は割れる。
じょうぶなアラビアとて、硬いところにぶつければ欠ける。
陶器なんてほんとうにすぐ割れる。
ガラスなんかもうたいへんだ。割れたら怪我するしね。
かたちあるものはいつか壊れる。
けれどもぼくは、それでいいのだと思っている。