久しぶりに木の器を買いました。
矢野義憲さんといいます。
福岡の糸島在住の木工作家。
73年生まれというから若い。
とても思慮深い印象で、
「このひとがどういう器をつくるんだろう」
というところに、まず、興味が行くような感じのかたです。
木の器というと、
どうしたって三谷龍二さんの存在を抜きには
語れないわけです。
ぼくにしても(というか、ぼくはそもそも)
三谷さんの大ファン。
そのぼくが、はじめて、
三谷さんじゃない木の器を買いました。
三谷さんの木の器には、
「これが正解」と目の前にぽんと置くような
唯一無二の「答え」があって、
だから、日本でやってる若手の木工作品は
どうやったって「三谷ふう」になっていくわけです。
答えをなぞっちゃうんですね。
で、自分流にやってるつもりが、
うっかりすると「フォロワー」になっちゃう。
twitterのじゃなくて、追随者の意味。
もっと下手するとまねっこになっちゃう。
クラフトフェアなんかで若手の木の器を見ると、
ほんとうにそういう人が多くて、
「そこから抜け出したほうがいいよ!」と、
おじさん思っちゃう。
それくらい三谷さんがスゴくて、影響力が強いんでしょうね。
そしてそのことで三谷さんをせめるのは筋違い。
三谷さんはどんどん先に走っていくわけで、
その背中ばかり見ててもしかたがない。
そう、木工にも三谷さん的ではないアプローチが
ぜったいにあるはずで、
それは木に真剣に向き合う人しか、
発見も到達もできないことなわけです。
だから若手のみんな、どうかがんばってくれよ!
と、我が侭な使い手は思ってた。
そんななかで、出会った矢野さんのうつわ。
すばらしいのです。
まったく違うアプローチだよなと思う。
うまく言葉に出来ないんだけど、
矢野さんの木工を見ていると、
「木のなかに、このうつわが眠っていた」
というふうに思うのです。
それを、ていねいに時間をかけて彫り出したのだろうと。
土で器をつくる人が、
「土が自然に立ち上がってくる」
という言い方をしますが、
矢野さんもそうなんじゃないか? と。
まず、木との対話があるんじゃないかなあ。
いろいろ探ってみたら、
スウェーデンの手仕事学校「カペラゴーデン」で
家具作りを学んだのが、キャリアのスタートみたい。
カペラゴーデンのことはよく知らなかったんだけれど、
これもまた調べるとすばらしそうな学校。
こういうところのポンと行くということ自体、すごいな。
さて、買ったのは、おおきなオーバル皿です。
ぼくはどうも、あたらしい作家の最初の1枚に
でっかいものを買う傾向があるみたいで、
三谷さんもそうだったし、岡田直人さん(下の写真)もそう。
どんだけパスタ盛るんだ! というような感じのものが好き。
そんな矢野さんのうつわ、いまはくだものをのせてますが、
そのうち来客があったときになにか料理を盛ってみます。
意外とむずかしいかも? 器負けしちゃうかも。
そういうところも三谷さんと違うなあ。
三谷さんは徹底的に料理を持ち上げてくれる。
五割増しくらいに見せてくれる。
さあ矢野さんはどうだろう? とっても楽しみです。