神保町の小宮山書店の4階で、
床に置かれた額のなかの写真に
目が釘付けになってしまった。
木陰に犬を従えた太った男が座っているのだが、
頭には二本の角をはやし
上半身は裸、下半身は獣である。
革でできた下着をまとい
両肩に花輪‥‥いや、花じゃない、
葡萄の蔓の輪だろうか、をつけている。
表情は、機嫌が悪いわけではなさそうだが
無表情というわけでもなく、
なにかほかのことを考えているか、
ちょっと疲れているような感じだ。
神だろうか。けれども神々しくはないのだ。
調べてみたが牧羊神パーン(ギリシア神話)は
半身が山羊。顔も山羊っぽいが、
この写真の男はどちらかというと羊だ。
(背景にも羊らしい動物が写っている。)
ローマ神話にもこういうのがいたような気がするが
それはたしか人の姿だったような。
写真の男には、神々しいというよりは、
「見てはならぬもの」を見てしまったときの、
禍々しい印象がある。
よからぬもの。
話が通じない。
迂闊に近寄れない。
けれども目が離せない。
さらに調べてみたところ、
サテュロスではないだろうか。
ギリシア神話の精霊で、怠惰で無用の種族。
悪戯好きで小心者、破壊的で危険、
恥ずかしがり屋で臆病、ワインと女性と美少年が好き、
音楽に乗って踊って口説くらしい。
「本能的にあらゆる肉体的快楽をむさぼろうとした」と
ウィキペディアにある。
なるほど、その印象ならぴったりだ。
けれどもぼくの目を引きつけたのは
神話的世界ゆえではなく、
写真に不思議な点があったからである。
まず下半身の獣具合が、リアルすぎる。
いわゆる特殊メイクや扮装の域を超えている。
そういうふうに見せるボディアート‥‥なのだろうか。
そしてもう一点。
男には腕がない。
肩にのせた葡萄の蔓の輪の先がない。
神話のサテュロスは手があるはずなので、
サテュロスを再現した写真、というよりは、
この「腕のない男」──もしかしたら
足もないのかもしれないのだが──を撮りたくて、
しかももっとも写真的に美しく見せるために、
サテュロスをモチーフにして
このとんでもない見立てをしたのではないだろうか。
だとしたらこの写真家はいったい‥‥?
「この写真に魅かれている自分」が
なんだか居心地がわるかったものだから
店の人(若く美しい女性である)に訊ねるのを
躊躇していたのだが、
訊かずに帰ったら後悔する。
あのう、写真家は誰ですか?
「これは、ウィトキンです」
ウィトキン。
憶えがあるような、ないような‥‥
写真史のことはすこし知っているつもりでいたのだが
ぱっと浮かばない。
ウィトキンってどんな写真家だったっけ?
「2Fに写真集があると思いますよ」
ということで2Fにおりて、
奥から数冊の写真集を出してもらい、
カウンターでめくってみた。
‥‥なるほど、こういう写真家でしたか。
ジョエル=ピーター・ウィトキン。
アメリカ合衆国の写真家。存命。
ベトナム戦争では戦場写真家として活躍、
そのあとで彫刻や美術を学び直している。
扱うテーマは、死とフリークス、アンドロギュヌス。
歴史的絵画を引用し構成し、
現像やプリントの段階でも
かなり実験的な手法を使って仕上げる。
おそらく写真史的にはアウトサイダー、
むしろ美術史(異端も含めて)に位置づけられる芸術家。
当然のことながら写真集は1ページずつが
ひじょうに衝撃的なもので、けれども美しく、
途中でやめられなくなり最後までめくってしまったが、
正視にたえない人もいるだろうなあ。
自分の価値観や「ただしいもの」「うつくしいもの」にたいする
「かくあるべし」という思いを
暴力的に(血が流れるほどに)打ちのめすものだから
ぼくはいままで横目で見るだけでスルーしてきたのだった。
今回は打ちのめされた。
サテュロス──4Fで見た写真が、
ウィトキンのなかではひじょうにおとなしいものだった、
というのは幸いだった。
あらためて見てみると、
この気弱に見えるサテュロスはもしかしたら
なにか酷く暴力的なことをしでかしてしまったあとで
ひどく後悔し、脱力しているようにも見えた。
(通常サテュロスの下半身はむき出しで
ペニスは常に勃起しているはずなのだが)
下着はつけているので
サテュロスのなかでも、
かなり弱気で恥ずかしがり屋の
はぐれものなのかもしれない、
ちなみにメキシコで撮ったものだそうで
どうやらモデルはメキシコ人。
写真集で見たほかのウィトキンの写真にくらべると
ほんとうにおとなしい写真だと思える。
とはいうものの、やはり最初の印象の
「見てはならぬもの」であることは変わらないのだけれど。
背徳の入り口をちょっと覗いて、
あわてて引き返してきた、そんな体験でした。
グーグルで探してみたら、画像がありました。
見てみたいかたはどうぞ。
こちらです。