この十五年。
ともだちのからだに起こったある問題の、
たったひとつの解決法はあまりに残酷な現実で、
ぼくはどうにもそれを認められずにいた。
いろいろな専門家や、
彼のそばにいる愛情にあふれた人たちが
できるかぎり、考えられるかぎりの手を尽くし、
そして、もうどうしようもなくなったとき、
できることは、動けずに横たわる彼のからだをさすり、
話しかけて、笑って、
それがまるでなんでもないことみたいに接することだった。
連休中に、会いに行った。
彼は自宅のベッドの上で、
顔を苦痛にゆがめ、手を震わせ、
それでもこちらに気づくと
「おう!」と、いつものように上機嫌な声を出した。
ふりしぼって出した声だ。
その声が、とても大きくて、ぼくは驚く。
そして、彼の目にやどる力に、驚く。
彼の愛犬がベッドに乗り不審な来客に吠えたてる。
そんなに吠えるなよ。きみのご主人とは、
ながいともだちなんだよ。
奥さんがコーヒーを淹れてくれる。
とても香り高いコーヒーだ。
世界がこんなおいしいコーヒーみたいだったらいいのに。
ぼくらは笑顔でいるべきなのだろうと思う。
まるで現実は希望にあふれ
世界のいたるところでうつくしい花が咲き
ひとびとが口ずさむのはあたらしいメロディで
湧き上がる泉の水はほんとうにおいしいと、
そんなふうな笑顔で接するべきなのだろうと思う。
じゃあね、きょうは帰るね、また明日ね。
明日はどこへ行こうか? 待ち合わせはどこにする?
おなかすかせて来いよ、なにかうまいものを食べよう。
ぼくらは笑顔でいるべきなのだろうと思う。
彼は大丈夫だと言いつづけてきた。
治すからさ、と、そう言いつづけてきた。
十五年前、それがわかったときも、そう言った。
その気持ちはおそらく最期まで変わらなかったはずだと思う。
それは人間の尊厳そのもののように思える。
けれどもぼくは。
神様、いらっしゃるのなら
どうかせめて苦しませないであげてくださいと
祈り、思うことしか、できなかった。
明日という日が、きたほうがいいのかどうかも、
ぼくにはわからなかった。
悲しくて悲しくてほんとうにやりきれなかった。
つい今し方、奥さんから電話で、
きょう夜9時半に息を引き取りましたと連絡をもらった。
昼に、これから鎮痛剤を使い意識を落とします、
もうしばらく息はしてますが、帰ってきません、
よく頑張りました──、
というメールをもらったばかりだった。
ほんとうによくがんばった。えらかった。
またそのうち会えるだろう、とぼくは思う。
じゃあね、またこんど。
こんど会ったらどこへ行こう? 待ち合わせはどこにする?
おなかすかせておきなよ、なにかうまいものを食べよう。
ぼくらは笑顔でいるべきなのだろうと思う。