小学生のときだとか思春期だとか大学のときだとか
あるいは今思うと二十代だってヒマだったよなと思う。
いくらでも考え事ができたし、時間気にせず喋ってられたし、
曖昧に空を見てるような時間を過ごしたりもできた。
いまそうはいかない。いかないんだよ。
だからおとなに、中年になってからのともだちって、
できにくいんだと思う。
それでも──、なんていうんだろうな、
ほんとうにごく稀に、
砂漠でコンタクトレンズを探し当てるみたいな確率で、
「ああ、きみだったのか」みたいなのに出会うことがある。
きみのことは全然知らないけど、全部知ってるぞ、みたいな。
ぼくもそいつのことはすぐ理解できて、
そいつがぼくに関して言ってくれることもぜんぶ合ってて、
でも圧倒的に知らないのはおたがいが
「どこにいてどうしてきたのか」ということだけ。
それを埋めるのは会話しかないんだけれど、
昔みたいにいくらでも時間があるわけじゃないから、
それは一気にはできない。時間がかかる。
なんども同じことを書いてる気がするけど
もう、「またあしたねー」は言えないからね。
そういうちょっととくべつなともだちが
ぼくにはたとえば3人いる。
ぼくが勝手に思ってるだけだから
むこうがどう考えてるかは知らない。
知らないけど話をすすめます。
ひとりは二十代で、
ひとりは三十代で知りあい、
そしてもうひとりは四十代で知りあった。
三十代で知りあったともだちはいきなり死んじゃって、
その喪失感はただごとではなかったし、
いまも心には、でっかい穴があいている。
ぼくはその穴を大事にしながら穴とともに生きている。
その事件より前に
二十代で知りあったともだちが事故で死にかけて
それを知ったときは(助かって、命に別状ないという段階で
事故のことを知ったから、まあそうなんだけど)
心配より先に「おいおい、死んでもらっちゃ困るんだけど」と思った。
必要なんだけど、と。
とある作家がぼくの仕事(編集の、です)をみて
こんなことをおっしゃったことがある。
「武井さん怖いもん。うん。
あの人ほんとに怖いなと思うもん。
持ってるものが。
なんかそのエネルギーが人を殺すとか。」
とても褒めてくださったのだが、
こんな比喩、小説家で、
しかもタロットの恐ろしいくらいの名手だという
その作家に言われると、ちょっと怖い。
ていうかかなり怖い。どこ見てるんだあの人。
しかもそのときのぼくは
ともだちが理不尽に死んじゃったあとだったものだから
「ああ、だからあいつ、死んじゃったんだろうか」
「もしかしたらぼくのせいなのかな」とぼんやり考えたし、
(もちろんそんなことはないです。ないんだが、
それもまた理不尽に、ただ、そう思ったのです)
「やだな、この先、殺したくないな」と思ったんだった。
四十代で知りあったともだちとゴハンを食べた。
お互いどうしようもなく忙しいなかで
(ぼくはそうでもないんですけどね。合わせやすいから)
確保できたのがランチの1時間半。
いくら話したいと思ってもこうして数か月にいっぺん、
そんなふうな時間をつくるのがやっとだ。
ドラえもんのウルトラストップウオッチでもあれば
もっと話せるのになあ。
で──、ぼくはやっぱり思っているわけだ、
こいつが突然いなくなっちゃったらどうしたらいいんだろうと。
ものすごく運の強い人間だということは知っているけどさ、
いきなり死んだり死にかけたりするなよ、と。
死にかけてもいいが戻ってこいよ、と。
そんなこといつも思ってるわけじゃないけど
通奏低音みたいに感じたりしている。
そんな不吉なこと考えてたのかよと言われそうだが、
そうなんですよ。ばかでしょう。ばかなんだよ。
でも今回、みじかいけれど濃密な会話のなかで
彼がたいへんな未熟児で生まれたことを知り、
なんだかちょっと安心したのだった。
一回、死神と闘ってるな、きみ、と。
だったらもう、そうかんたんにくたばらないだろ、と。
●
「中島みゆきコンサート」に行ってきた。
(以下、ネタバレというやつをふくみますので
これから行く人はここで閉じてくださいな。)
1回、じんわり涙がうかび(夜曲)、
1回、つつっと涙が出て(二雙の舟)、
1回、不意打ちのように号泣させられました。
だって選曲と演出がひどいんだもの。すごすぎ。
こんなメッセージ。(うろおぼえです)
「この会場にいるだれもが、
明日、生きているとはかぎりません。
一歳の赤ん坊でも、100歳の人でも、
同じように、明日が来るかどうかは、わかりません。
きょう、この場にいてくれてありがとう。
この拍手は、わたしからみなさん、
ひとりひとりの人生に、おくります」
そう言って、5000人の観客に、
ただひとりで拍手を贈った中島みゆきは、
アカペラで、25年ぶりに人前で歌うという
あの曲を歌いだした。
「いまはどんなに悲しくて
涙も枯れ果てて」
‥‥「時代」です。
あちゃー。これか!
もう「何かを思う」とか「誰かを思う」じゃなくて、
いっぺんにいろんな感情がどーんと込み上げてきて、
もう泣くしかない、というふうになっちゃった。
でも声を出すわけにいかないので我慢してたら
嗚咽を我慢しすぎて振動が伝わって椅子ががたがた震えました。
死ぬなよー。生きよう。
ぼくも生きるから。