雨の日曜日、荻窪へ、ゴリちゃんの実家をたずねました。
よく、トレーニングのときに、実家ばなしをしました。
ゴリちゃんの話からは、
どれだけ父さん母さんのことが、
家族のことが好きかがよくわかりましたし、
どれくらいたくさんの愛情を受けて育ったのかも、
ゴリちゃんを見ていればすぐわかりました。
だから、会いたかったのです。
うまく言えませんが、
ゴリちゃんに会わせてくれてありがとうございますと、
そう言いたい気持ちで、でかけました。
あれから3週間が経ちましたが、
いないんだ、ということに、
いまだに慣れることができません。
いないものは、いないのに、
そのことを忘れて、いるような気でいるものですから、
ふとした瞬間に、いないんだ、ということを思いかえして、
冷たい水を頭から浴びたような気持ちになります。
うまいものを食べたり、好きそうな服を見つけたり、
おもしろいことを知ると、
「あ、あいつに教えてあげよう」と思います。
ぼくは、ずいぶん、これまでも、
そう思ってきていたのでしょう。
実家にうかがうのを、ちょっとのばしのばしにしていたのも、
現実を見るのがちょっと怖かったのかもしれません。
ゴリちゃんのお父さん、お母さんは、
とても明るく、元気で、すてきなひとたちでした。
笑ったり、泣いたりしながら、
たくさんの話をしてきました。
生まれたときから、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、
ぼくの知らないゴリちゃんの写真を見せてくれて、
たくさん話をしてくれました。
写真のなかのゴリちゃんはほんとうに元気いっぱいで、
たよりがいがあって、明るくて、楽しくて、
悪ぶったところがまったくなく、
天性のリーダーシップがあって、
先輩から好かれ、上手に甘え、後輩にやさしい、
そんな体育会系の男の子でした。
小学校のときは野球、中学校のときはバスケット、
そして高校大学を通してやっていたラグビーでは花園にも行ったそうで、
小柄ながら人をまとめる力があるゴリちゃんは
ラグビー部ではキャプテンをつとめていたそうです。
東海大のラグビー部のキャプテンって
そうとうなことなんだろうなと
そのあたりに疎いぼくでもわかります。
まったく世代は違うけど、
アルバムを通して、ものがたりとして、
同じ青春を生きた気になりました。
ほんとに、もし同級生だったとしたら
ばりばりの文系、中高は小説と音楽漬けで
大学は美術史なんていうぼくからは
これほど違う世界にいるやつもいないから、
たぶん、あこがれを持ちながらも仲よくなる機会がなく、
すれちがっちゃってたでしょうね。
オトナになってから会えて、よかったと思います。
社会人になってからのゴリちゃんのことは
逆に、ぼくが知りうる限りのことを伝えました。
知りあってから、撮った、何枚かの写真があったので
プリントして、お渡ししてきました。
ゆうがたになり、
「せっかくだから、ごはん、食べてってね」と、
豚じゃがと、えだまめと、おつけものと、ビールと、
おすしをご馳走してくださいました。
おいしかったです。
よくゴリちゃんが「元気ないんです」と落ち込んでたあと
「元気になりました!」と戻ってきたときは
たいてい、実家に戻って
お母さんのゴハンを食べてきてたのを思い出しました。
そして、ゴリちゃんの遺したものを、
形見分けにいただきました。
オシャレなゴリちゃんのオシャレな洋服やサングラス。
試着させてもらって、
「あら、似合うじゃない、似合う似合う」
なんておだててもらったりして。
ありがとうございました。大事にします。
帰り際、「もらっちゃったよーん」と、
遺影に話しかけたら、さんざん泣いたあとなのに、
また涙が出てきてしまいました。
遺骨の箱に額をつけて、震えるほどに泣いてしまいました。
そういえば最後にゴハンを食べた時に
「武井さん、痩せ過ぎですよー!
目尻のしわがひどいですよ~」
と、憎まれ口を叩かれましたが、
ぼくはふだん目尻にしわが出ません。
よっぽど、顔をくしゃくしゃにしない限りは。
そのときは、笑ってしわが出ましたけど、
今日もまた、泣いてしわが出ちゃったなあ。
泣いてくれてありがとうね、と、
うしろで、お母さんが言いました。
とんでもないです、ぼくのほうこそ、
ほんとうにありがとうございました。
ゴリちゃんに会わせてくれたのは、あなたたちです。
ほんとうにありがとうございました。
飾ってあった写真のゴリは
こっちにむかって手を差し出していて、
最後に交わした両手での握手の
手の熱さを思い出しました。