なんでダイエットがつらいんだろうと考えてみた。
わかりました。
「おいしいものが食べられないから」?
いいえ、ちがいます。だって、忙しくって、
朝も昼も夜も適当なもんしか食べられなかった、
なんて日は、しょっちゅうあります。
ろくに食べない日だってあります。
夕飯食べそこねることだってざらです。
そういう日には感じないはずのストレスを
ダイエット中になると「ぐあーん」と強烈に感じるのはなぜだ?!
それは
「おいしいもののことを考えてはいけないから」
です。
いや、いいんですよ、考えたって。
皮がぱりぱりに焼けたローストチキンに
バターたっぷりねりこんだマッシュポテトのことや
炭火の上でじゅうじゅう脂がしたたりおちて
それに火がついて自分で自分を燻すやんばる豚のことや
ぬお〜〜〜〜っと糸をひいて口元までのびるチーズを
くるくるくるっとしながら食べるビザや
汗を吹き出しながら食べる麻婆豆腐、
あまりのうまさに泣きながら食べる子牛のグリエ、
からすみをのせたペペロンチーノ、
アラの内臓の茶わん蒸し、
鯛のたきこみごはん、
小魚のフリットとバーニャカウダ、
マカロンとシュークリーム、
大好きないちごのショートケーキ。
いくら考えたって、食べなきゃダイエットに響かないのですから。
考えればいいじゃない、いくらでも!!
ですが!
そんなふうに「おいしいもの」のことを考えてもムダなのです。
「さあ、いつ行こうかなあ」とか
「じゃ、一緒に行く?」とか
「予約の電話しとくね、8時でいいかな」とか
「その日は昼めし抜きで挑もうなー!!」
なんて楽しみは、ないわけです。
「思い立ったから、今晩食べにいっちゃおうか」も
「悪い、ちょっと遅れそう」も
「気がせいて、早く来ちゃったよーん」も、ない。
そういうことがありえないのに、
おいしいもののことを考えて、なんの得がある?
空しいだけです。
中島みゆきを聞きながら枕を抱いて泣きぬれて眠るだけです。
だからダイエット中は「おいしいもの」を考えることじたいを
自分で「禁止」にするわけです。
いっそそのほうが楽だからです。
でないと幻覚の世界で生きたくなり死んでいった
マッチ売りの少女のようになってしまいます。
そこにほんとうのしあわせはありません。
ようするに、ダイエット中って、
精神的な刑務所状態になるのでした。
妄想はいいけど、
あんたにそれを実現する自由はありませんよ、と。
こないだ映画を観て、自分の閉所恐怖症(プチ)が
「狭くて暗いところ」という空間にあるのではなく、
「出ることができない」という状況にあることがわかりました。
トム・ハンクスの「ターミナル」という映画だったんだけど、
主人公に空港から一歩も出てはいけない、
ということが命じられた瞬間、息がつまっちゃって。
そうしたら急に映画館という場所が苦しくなって
「わーーーーっっ!!」と叫んで外に出たくなった。
でもあくまで「プチ恐怖症」なので、
自分自身をコントロールできるぎりぎりのところでなら、
ふんばっていられることができます。
「考えないようにする」ことでなんとか最後までもちました。
これはおとぎ話だから、
最後は必ず外に出られるようにできてるんだ、と。
同じことで動いている飛行機の中は平気なんだけど
止まっている飛行機、とくに「いつ動くかわからない」
という状態で待たされている状態は気がふれそうになります。
というわけでいまダイエットという塀の中、
体脂肪減のために動かない飛行機の中におります。
でも「動けない」と思うとまた気がふれそうになるので
ついにタニタのすげーいい体組成計を注文しました。
変化する数字が友達です。
はやくとどかないかなあ?