洋服が好きだ。
たくさん持ってるしたくさん買うし、
仕事ではカジュアルウェアでオッケーなので
毎朝着ていくものを選ぶのがたいへん楽しい。
が、全部似合うというかというとそんなことはなく
自分の似合う洋服の幅は、たいへん狭い気がする。
100の洋服があると似合うのは3も無いんじゃないか。
1あればいいほう、というか。
じっさい今、好んで着ているものも、
似合うかどうか怪しい。
とくべつなデザインのものばかりを着て
「あの人は、ああだから」と納得してもらっている気がする。
そんななか、イタリア人の知りあいが、
──べつに太ったふつうのおじさんなんだけど──
スーツを着ている姿を動画で見た。
それが「すげっ、似合う!」のです。
どこのブランドかどういうデザインかという話じゃなくて
「スーツというものが似合う」わけです。
かなわないなぁ。
これが西欧人ってものかなあ‥‥とここまで書いて、
フィンランド人のおじさんはスーツが似合わないのを思い出した。
なので西欧人ならスーツが似合うというわけではなさそう。
フィンランド人が似合うのは作業着。
妙な話だけどほんとです。
さて、それはともかく、自分の話。
ぼくらは「洋服を着た自分たち」を見慣れているわけなので
そのことをあたりまえと思いながら、
「似合う、似合わない」をジャッジしているんだけど、
ほんとは「似合わない」が前提なんじゃないのかと思えてきた。
いや、みんなの話にしては申し訳ない。
そう、私は洋服が似合わないのだと思う。
こんなに好きなのに。好きならいいってもんじゃない。その通り。
そういえば、湿板写真という、古典的な手法の撮影法で
40歳の誕生日に撮ってもらったポートレートは、
「はじめて洋装した、明治維新の時代の日本人」みたいだった。
それが面白いとさんざん笑ってもらったのは嬉しかったけど
じつはかなり胸中複雑だったんですよ。
それが、小倉充子さんの浴衣を着ると、
どうしてこんなにしっくりくるのかと思う。
あの、ちょっと突飛だけどしっかり江戸からつながっている浴衣。
明らかに似合う。人も似合うと言ってくれる。
誰が見ても似合うというのはそうないことだと思う。
ああ、嬉しい。でも悲しい。だって普段、着ないんだものな。
そうなんである。毎日和装をしたいわけではないし
「みんな和装にすべし」とはまったく思わない。
そんなの現代の生活では面倒すぎるし、
今更そんなふうになるわけがない。なってほしいとも思わない。
ただ「和装という選択肢もあり」ということがわかっていると、
ちょっと楽になるというか。
数としては100の洋服に1の和服があって
「じゃあ今日は和装」くらいの。
つまり年に3、4回くらい、和装のチャンスがあるくらいが
ちょうどいいのかもしんない。それでも多いかな。
でもそのときは「どう見ても似合う」と思いたいし、言われたい。
ちなみに和装って、間違うと
「逆コスプレ」みたいになってしまうんだよな。
どこか余所の国の人が着たみたいになる。
じゃあ洋服はどうなんだよと言われると、
着慣れないタキシードなんかは、まさしくそうなりますよね。
どっこいどっこいかなぁ。
ちなみにぼくが似合うと言われた浴衣の着方は
浴衣の下にTシャツ、あたまに白いハンチング。
似合うと言われた洋服は、ジャケットに半ズボン。
どちらも正統派じゃないことを
嬉しいと思うことにしておこうっと。