ああ眠れない。というようなことを言うのは
ここじゃなくてtwitterのほうがいいんだろうか。
ブログとtwitter、あとmixi、
いまひとつ使い分けが決めらんないな。
ぜんぶtwitterでいいじゃん、という人の気持ちも
わからないでもないものの、
なんとなくあの散逸したムードのなかで
ひとつ芯のあるようなこと(と自分では思っていること)を言うのは
雑談でにぎわっている人の大勢いる広い会場で
ひとり演説を始めるような居心地の悪さがある。
twitterってその演説すらも呑み込む装置だとは思うけど。
というふうにまだよくわかっていないtwitterですが
友人たちのつぶやきはそれとしてまとめておくと
なじみのクラスに入ったみたいな気分になるし
知り合いの辣腕編集者たちの途方もない量の、
しかも情報戦のようなつぶやきの嵐は
それはそれで面白い。
しかし編集者になるタイプの人ってやっぱりそもそもが
「聞いて聞いて聞いて!」っていう性格なんですね。
「なんだようるせえな」
「ていうか聞いて聞いて?」みたいな。
「へえそうか」と言えば「そうなんだよ!」と叫び
すぐに「でさ、話変わるけどさ」と続くところが凄い。
ほっとくと画面全部が編集者のつぶやきになっている。
彼らのつぶやきはなにしろ情報が多いので
ちゃんと選ばないと情報の土石流みたいなことになるので弱る。
作家や音楽家になるとまた違って、
かなり内向的につぶやいておられて
それはそれで味わいぶかい。
さて、話題はかわりますが前回書いた美食かつ大食いの件、
1本まるごと焼いてくれた幼羊の後ろ脚を
ほとんどひとりで食べることになり、
そんなの入るわけがない、
視覚的にはぜったい無理、と思ってのに
なんだかんだ、たいらげちゃったわけですが、
そのすんなり受け入れた自分は食の淫乱だと思った。
というようなことはtwitterで書けばいいんだろうか。
ここじゃなくてtwitterのほうがいいんだろうか。
ブログとtwitter、あとmixi、
いまひとつ使い分けが決めらんないな。
ぜんぶtwitterでいいじゃん、という人の気持ちも
わからないでもないものの、
なんとなくあの散逸したムードのなかで
ひとつ芯のあるようなこと(と自分では思っていること)を言うのは
雑談でにぎわっている人の大勢いる広い会場で
ひとり演説を始めるような居心地の悪さがある。
twitterってその演説すらも呑み込む装置だとは思うけど。
というふうにまだよくわかっていないtwitterですが
友人たちのつぶやきはそれとしてまとめておくと
なじみのクラスに入ったみたいな気分になるし
知り合いの辣腕編集者たちの途方もない量の、
しかも情報戦のようなつぶやきの嵐は
それはそれで面白い。
しかし編集者になるタイプの人ってやっぱりそもそもが
「聞いて聞いて聞いて!」っていう性格なんですね。
「なんだようるせえな」
「ていうか聞いて聞いて?」みたいな。
「へえそうか」と言えば「そうなんだよ!」と叫び
すぐに「でさ、話変わるけどさ」と続くところが凄い。
ほっとくと画面全部が編集者のつぶやきになっている。
彼らのつぶやきはなにしろ情報が多いので
ちゃんと選ばないと情報の土石流みたいなことになるので弱る。
作家や音楽家になるとまた違って、
かなり内向的につぶやいておられて
それはそれで味わいぶかい。
さて、話題はかわりますが前回書いた美食かつ大食いの件、
1本まるごと焼いてくれた幼羊の後ろ脚を
ほとんどひとりで食べることになり、
そんなの入るわけがない、
視覚的にはぜったい無理、と思ってのに
なんだかんだ、たいらげちゃったわけですが、
そのすんなり受け入れた自分は食の淫乱だと思った。
というようなことはtwitterで書けばいいんだろうか。