夏休みが終わる日曜の深夜、日付が変わる直前に
静岡の友人から電話があった。
共通の友人の訃報。
58歳だった。
亡くなったのは5月のことだそうだ。
「1年以上にわたる入院加療中で、
別の治療をするために
大学病院への転院が決まっていたのですが、
叶いませんでした」
と、彼の使っていたメールアドレスから
奥さんが連絡をくださったのだ。
「葬儀につきましては、
誠に勝手ながら遺族のみの家族葬にて執り行いました」
そして報せが遅くなったことへのお詫びが続いた。
亡くなってからの3ヶ月間、
きっととてもつらい時間を
彼の家族は送っていたのだろうと思った。
大病を患っているとは知らなかった。
たいへんだったんだね。
つらかっただろうね。
小中高がおなじ、どころか、
家は同じ通りで2ブロックしか離れていない。
あっちは寿司屋でこっちは和菓子屋。
家の電話番号もまだ覚えている。
連絡をくれた友人は駅の近くの文具店で、
ぼくらは同じ学区の商店街キッズだった。
性格も趣味もまるで違う3人だったが、
ケンカなんてしたこともない。
みんな18歳で東京に出てきた。
大学は違ったし、卒業後の進路もまるで別だったけれど、
付かず離れずという感じで仲がいいのは変わらなかった。
頻繁に会うことはなかったけれど、
最後に会ったのは千駄ヶ谷にあった「マンジャペッシェ」に
みんなでおいしいものを食べに行ったときだったと思う。
ずいぶん会っていないのに昨日も遊んだかのような、
そんな距離感は相変わらずだった。
しばらく散歩して「またね~!」と言って別れた。
ちなみに文具店の友人は静岡に戻り家業を継ぎ、
寿司屋の友人は住んでいた神奈川県の
とある市役所に勤め始めて、そこで家庭を持った。
ちなみに和菓子屋と寿司屋はとうに廃業していて、
寿司屋のあった場所では
しばらく彼のお兄さんが別の商売をしていたが、
いつの間にかその看板はなくなり、
建物の名前も変わっていた。
最後に連絡があったのは2021年。
3人でやり取りしていたメールの返事がこなくなった。
メールといっても小学校からの仲なので
くだらないことばっかりだったから、
返事が要るものではなかったものの、
気にしていたらひょいと連絡が来た。
返信しないときでも、
二人のやりとりはいつも
楽しく読ませてもらっています。
ありがとうね。
施設の所長になってしまい仕事がすごく忙しいこと、
体調を崩しがちだということを
以前のメールで知っていたので、
連絡があったことに安心はしたけれど、
今読むと、もう、なにか、あったのかもしれないと思う。
そのあと2通くらい、なんてことのない返信が来たけれど、
年末で連絡が途絶えた。
2022年だったか、文具店の友人のところに、
奥さんの名前でメールが来て、
入院して返事ができず本人がすまなく思っていると
書いてあったそうだ。
入院だって! なんだろうね、心配だけど、
次の連絡をくれるまで、
心配しすぎず待とうか、と話した。
昨年からぼくが介護のことでわりと頻繁に
静岡に通うようになって、
駅からウチまでの通り道にある友人の文具店に顔を出しては
「‥‥どうしてるかなあ」と話した。
まったく気配すらない。
SNSをやっていないから検索しても出てこない。
彼の両親もとうに亡くなり、
商売をしていたお兄さんとぼくらは親交がない。
文具店の友人は、弟と誕生日が同じだということで
彼の誕生日を思い出し
誕生日おめでとうのメールをしようかと思ったそうだけれど
「なぜだか‥‥メールを打ちかけてためらって、
やめたんだ」と言った。
今年の夏、7月のことだった。
その話を聞いてぼくも不安になったけれど、
悪い予感は口に出さないほうがいいと思って黙ってた。
でももうその時、友人はこの世にいなかったんだ。
訃報を知って数日経った。
夏休みは終わり、ぼくは仕事に、
それなりに忙しく復帰している。
友人の顔も声も笑い顔も、
楽しかったり切なかったりするエピソードも、
思い出すことはくっきりとたくさんあるのに、
いなくなったことに実感がなくてふわふわしている。
一緒に撮った写真もない。
もっと会っておけばよかったし、
写真も撮っておけばよかった。
返事がなくてもくだらないメールを送っておけばよかった。
もっとお節介に心配してもよかったんだ。
「聞いて聞いて~!」と話したいことが、
ものすごくいっぱいあるんだよ。
きみに報告したらきっと驚いて喜ぶはずの
ちょっとしたニュースだってある。
ぼくはなんだか放り出されたような気持ちでいる。
子供のころのぼくらの別れ際の挨拶はいつも
「また明日ね!」だった。
大人になってそれは「またね~!」になった。
明日じゃなくてもまた会えることを信じて疑わなかった。