1月はあまりにいろんなことがありすぎた。
その集大成みたいな最後の週末、
考えてみると節分を前に、
旧暦の1年でかぞえれば、年の最後の週末だ。
15年ぶんのいろんなタイミングが一気にあつまって、
いろんな歯車が一斉にでっかい音で「がっちゃん」。
そもそも──その歯車を回したのはほかならぬ自分だ。
しかしそこまで複雑にかみ合っていたものが
一気に動き始めるとは思わなかったのだ。
それはまるで、北からお神輿が、
東からエレクトリカルパレードが、
南からリオのカーニバルが、
西からちんどん屋が来た感じで、
なんでもまっすぐど正面で受け止めがちな自分は、
まんなかで踊るしかない。
あまりのことになんだかオーバーヒート気味。
走馬灯な二日間。
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こういうときに思い出すのは、
ゴリちゃんが死んだ前の夜のこと。
「あらゴリちゃん」「ゴリじゃないか」
「おーい、ゴリ、久しぶり」と、
狭いレストランのあちこちのテーブルに
ゴリの知っているひとがいた、あの夜だ。
それはみんなほんとうにすてきな大人たちで、
あとで思うと、神様はなぜあの夜、
ぼくらをあそこに集わせたのだろうと思う。
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「いろんなこと」のなかには
とてもうれしいしらせが2つもあった。
自分でも驚いたんだけど
そのひとつを聞いたとき、あまりにうれしかったので
話してくれたひとを前に、5人で囲んでいた食卓で、
「そりゃあよかったねー。ほんとによかった‥‥」
と言いながらぽろぽろ泣いてしまった。
そんな自分に、自分がいちばん驚いた。
幸福が涙させるってなかなかない。
もうひとつのしらせも、
ぼくには格別深くじんわりうれしいものでした。
よかったねー。
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ポカスカジャン15周年。
ともに歩んだ、っていうと大げさだけど、
彼らはぼくの大事な一部でもあるんだよ。
彼らにとってぼくが一部かどうかはわからないけれど。
そしてひさしぶりだったワハハのちいさめの公演、
みんなが「わぁ武井さん!」と言ってくれるのがうれしかったなぁ。
そうだったね、ひさしぶりです。
喰さんは元気でした。あいかわらずです。
この「あいかわらず」って、
時と場合によっては困ったもんなんだけど、
すくなくとも人を安心させる。
あいかわらず。
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マンジャ・ペッシェに行ったら
コースの魚が、いかすみのソースだった。
で、いかすみを食べたら、皿に、いかの絵。
気が利いてる!
そしてマンジャ・ペッシェは2月末をもって半年間休業と知る。
このタイミングで、か。
でも、閉店じゃないからね。
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タイミングとか、運命って、
どうにもならないことなのかなあ。
あらかじめ決められていたことなのかなあ。
だとしたら神様のつくった台本、見事というほかない。
この役者でよくもまあこんなドラマつくるもんだ。
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ああ、旧暦の大晦日か。
立春を迎えたら初詣に行こう。
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江戸の時間といえば、志の輔らくご in PARCO。
当たったチケットが千秋楽だったというのを知らず、
行ったら「本日が最終日でございます」。
ひゃあ。
演目は古典の「だくだく」新作の「ガラガラ」、
そして大ネタはいっけん講壇風(釈台がある)ながら
ばっちり落語的にすすむ新作「大河への道」。
伊能忠敬の生涯を軸に、
江戸と現代行ったり来たり、その返し技がもう見事。
軽くてひねっててちょいと拍子抜けでくだらなくて、
ときに涙させつつ感動に持っていく、けどやっぱり笑わせる。
老獪なほど上手い志の輔さん、
さらなる「軽み」を味方につけ
とんでもない噺家になっていく。
重いと高くは飛べないものね。
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天国の神様たちに文芸部があるのなら、
ぼくの人生脚本担当は
志の輔さんみたいな神様であってほしい。
でもたぶん松尾スズキさんみたいな神様が担当だと思うな。
せめてハッピーエンドにしてください。
旧暦の初詣でそう願おう。
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ぼくのおもしろ人生をわりと間近で見てる者が
「自分は通りすがりだから」などと言う。
とんでもない、きみは、主要キャストです。
‥‥落語だけど。